アジトを出て直ぐにルドラは大通りへと足を進めた。
平和ボケした日本のありふれた街並み。行き交う頭の悪そうな人間ども。

(ああ、早く壊してしまいたい。)

胸をくすぶるイラつきが、じわじわとその炎を大きくしていく。

(……ですが、まだその時ではない。ここはあくまで『最初の地』。ここから世界へと広げていくことを考えると、『チャトランガ』という不安要素は必ず排除しなければ。)

そう思案するルドラの母親は日本人だった。
とはいえ、自分を産んで直ぐに死んでしまったため、顔なんて覚えていない。

代わりに覚えているのは自分とよく似た青い眼をギラギラ光らせる父親とかいう存在だ。
所詮チンピラでしかない父親は、ルドラが8歳になる頃にはあっさりと死んだ。しょうもない喧嘩ですっ転んで頭を打ったらしい。

元々、ルドラは他の子供よりも地頭がよかったため、ギラギラと目を光らせては自分よりも体の小さい子供を殴り飛ばして悦に入るような父親のことを「哀れで、虚しい大人だな。」としか思っていなかった。
だから当然死んだと言われても何も感じず、海を越えた父方の親戚の元に送られるとなっても特に何も思わなかった。

冷めた子供だと、ルドラ自身も自覚があった程だ。突然引き取ることになった親戚も、そう思ったのだろう。

不気味だとあっさり捨てられ、闇市から流れ着いた先は、まだ幼い男の子を愛でることに快楽を覚える気持ち悪い変態金持ちの所だった。

ただ、金持ちのその女は馬鹿だった。適当に機嫌をとり、自分の都合のいいように転がす。それが出来るだけの頭がルドラにはあった。

自分が他人よりも優れていると気がついたのもちょうどその頃だった。
どいつもこいつもお飾りな脳みそばかり。少し囁けば簡単に自分の都合のいいように転がっていく。
自分以外の人間というのは自分よりも遥かに馬鹿なのだと、ルドラは齢9つを迎える前に理解した。

しかしそんな生活も、これまたあっさりと終わりを迎えた。
金持ちの変態女が人身売買していた証拠を警察が掴み取り、ルドラ達被害者は保護され、女は刑務所行きになったからだ。

そして、保護されたルドラが見た現実は、想像していたものよりも遥かに陳腐でつまらないものだった。

どいつもこいつもバカの一つ覚えのように「可哀想」「辛かったね」「これからは普通に暮らせるのよ」と哀れみの目を向けてくる。

(可哀想?このボクが?……お前たちよりも遥かに先を見通す頭脳があるのに?)

何故馬鹿に哀れまれなければいけないのか。
表社会へと連れてこられたルドラが思ったはそんな感情だった。

そして、外には馬鹿しかいないのだと、思い知った。

飢餓を知らないやつが「餓死する子供がどれほど可哀想なことか!」と声を荒らげる。

腐るほど金を持つ人間が「貧困をなくしたいんです!」と声を上げる。

戦争を知らない馬鹿が「戦争は悲惨なものなんですよ!」と知ったかぶる。

その社会の矛盾と結局は自分より下の人間を作りたいだけの愚かで馬鹿な人間ばかりの世界に、嫌気がさした。

そうなれば、この腐った社会を作り替えるには1度全て破壊してしまえばいいのでは無いかと、ふとルドラは思いついた。

だってそれができるだけの頭脳が自分にはあるじゃないか、と。

1度全てを壊し、既存の価値観や不平等性を無くし、新しく作り上げる。
それが、この醜くつまらないだけの世界を美しくする、唯一で最短の方法だ、とルドラは閃いてしまったのだ。

そうして、この世の不条理に嫌気がさし、ルドラに賛同した者達が集まって『弓の射手』が生まれた。
これは、この世界に蔓延る馬鹿どもの怠慢が招いた結果なのだ。

(とはいえ、世界を1度滅ぼすというのは中々難しい事。まずは確実にこの日本という国そのものを破壊しなければ。)

平凡な街並みにイライラしながら道を進んでいけば、開けた小さな公園があった。
暑さも相まって疲れてきたルドラは、一旦息をつこうと座れる場所を探す。

(地理を知っておくことは作戦にも重要になってきますが……日本の夏というのは結構キツイものだ……)

普段セキュリティと冷房の効いた部屋にばかりいるのが仇となったのか。汗があまり出ない割に、体の外も中も暑くて仕方ない。

木々の生い茂る端の方にベンチを見つけて近寄れば、そこにはすでに先客がいた。
恐らくまだ学生、高校生くらいの少年だ。木陰が風に揺られ形を変える中、手元に広げた物を一心に見つめている。

ふと、気になっていた暑さが消え、吸い込まれるように彼に近づいた。

少し長めの前髪が風に遊ばれている。
切れ長の目がふせられ、影になったまつ毛が、彼の儚さを余計に助長するようで。
そして、その儚さに反して彼の持つチェス盤の駒の動きはあまりにも鋭いものだった。

(これは……1人チェス?)

持ち運び用の簡易的なチェス盤と駒だが、盤上の展開は非常に難解だ。

(黒も白も1人で動かすチェスは、ルールを覚えるための初心者向けの練習だと思っていましたが……)

彼ほどのレベルになるとここまで緊迫した試合運びになるのか、とルドラは顎に手を当てて盤を覗き込む。

少年は相当集中しているらしく、彼の目にルドラが映る様子は無い。
恐らく彼自身相当のプレイヤーなのだろう。そんな彼が黒も白も両方全力で駒を動かしているのだ。

もちろん1人で動かしているからこそ、黒に白の戦略は筒抜けだし、白に黒の戦略も筒抜けだ。
一手一手の全てが慎重に、考え抜かれて置かれていく。

盤上のゲームを夢中になって眺めていれば、次第に形成は白が有利になっていき、最終的な結果は白の僅差での勝利で盤上は落ち着いた。

ふぅ、と少年が息をつき、その視線がルドラを捉えた。

少年はぱちぱちと目を瞬かせると、フッと笑って「チェス、お好きなんですか?」と柔らかく声をかけた。

ルドラは、彼の言葉に答えようとして、

「……あ、れ……?」

次の瞬間ぐにゃりと視界が回って暗転した。