「あの、歩くんで許してください。多分、スカートの中見えてると思います」
周囲の視線に耐えきれずにそう声を漏らせば、市木先輩は「確かにそうね」とあっさりと下ろしてくれた。
「そういえば女装コンテスト見てたよ〜。圧倒的だったよキミ。女子にしか見えなかった。優勝おめでと〜」
「嫌味ですか?」
「ぶふっ、ちげえし。捻くれすぎだって。……キミ面白いね、さすが礼が気に入るだけあるわ」
市木先輩はお腹を抱えながらケタケタと笑った。
「礼は……」
「ん?」
「先輩達といるとき、どんな感じなんですか?」
他人に興味がなさそうな礼は、市木先輩と川上先輩とだけはいつも一緒にいるように見える。俺と一緒にいるときの礼とは、また別の顔があるのだろう。
「そうね、これは今に始まったことじゃないんだけど、とにかく常に何かにキレてるね。ドリンクバーで間違えてドリンクが出てきたときとか、ポテト注文したらしなしなだったとか」
「……意外とスケールが小さいんですね」
「そうそう。ちっちゃいことですーぐ怒んの。でもそんなリアクションが面白くて、俺も川上もアイツとつるんでんの」
「この間も歩いてたら段差に躓いて謎に俺にキレてきたんだよ、マジで八つ当たり」と市木先輩は楽しそうに笑った。
「アイツって顔がいいくせに、あんまり自分に興味がないんだよね。だから鼻についたりしない。悩んだりすることは基本なくて決断は早いし、やりたいかやりたくないかの二択で即決するの」
確かに俺が見ていても、礼の行動原理は単純なものに思う。興味があればやるし、興味がないと思えば全部スルーする。だから時に周りからは冷たく映るし、それをルックスのせいでクールと称されるのだろう。
「でもさあ、最近の礼はいつにも増して不機嫌だし、ずーーっとしかめっ面して何かに悩んでんのよ」
「?」
「八月ぐらいからかな。キミ達喧嘩でもしたんでしょ、どうせ」
八月と聞いて思い当たるのは、古賀が帰省してきた辺りだ。そして、俺が礼に最低なことを言ってしまったのと時期が重なる。
(やっぱり、まだ怒ってるのか)
黙りこくる俺を見て肯定と捉えたのか、市木先輩はチラリと俺を見て微かに笑った。
「やりたくねえって言われてたバンドも急にやる気になってくれたし、行かねえって言ってた合コンも急に参加するって言い出してさあ」
「……」
「まるで何かを忘れるために別の何かに没頭したがってるように見えたな〜」
八月は日中、礼はほとんど家にいなかった。どこに出かけているのかと問いたかったけど、きちんと夕飯の時間には家に帰ってきたので問題はなかったし、何より俺にそんなことを聞く資格はないとわかっていたから、何も言い出せなかった。
(いつからこんなに臆病になったんだ、俺は)
俺ともう関わりたくないとハッキリと拒絶されてしまうのが怖い。礼の口からそれを聞くことを、傷付くことを恐れている。
「……もしも」
「うん?」
「酷いことを言って傷付けたとき、どうしたら許してもらえると思いますか」
隣を歩く市木先輩は、キョトンとしたように目を丸くしている。
「素直に謝るしかないと思うけど……でも後輩クンはさ、その先礼とどうなりたいの?」
「俺は、前みたいに……」
謝罪を受け入れてもらえたなら、また元通りになれるのだろうか。だけど、本当にそれでいいのか?
「……うん。きっとキミが求めてるのは、そんな答えじゃないよね」
心に沈めていた本当の気持ちに、はたと気付かされた。市木先輩には俺の本音などお見通しなのかもしれない。
礼のことを好きだと明確に自覚してしまった今、きっともうあのぬるま湯に浸かるような日々を繰り返すことは難しい。
「俺が言うのも何だけど、礼はキミに出会ってから別人かって思うぐらいに変わったんだよね。よく笑うようになったし、やけに丸くなってさあ。ま、俺らからしたらつまんねえんだけどね」
市木先輩はクスクスと笑った。
「──大丈夫。まっすぐにぶつかって、素直にキミの気持ちを話せば、きっとうまくいくよ」
どこまで見抜かれているのだろう。この人には、誰にも打ち明けていない礼への濁り切った気持ちでさえも知られているような気がしてしまう。
例え俺を励ますための綺麗事だったとしても、今の俺は確かに覚悟を持つことができた。
「ところでちょっと時間ヤバいから、走るよ。ついてきて〜」
「えっ、ちょっと待っ……、早っ!」
市木先輩は光の速さで俺の視界から消えたので、俺は慌ててその後を追いかけるのであった。
*
なんとか呼吸を乱しながら市木先輩の後を追い体育館に入ると、既に別のバンドの演奏が始まっていた。凄まじい熱量の歓声に圧倒されてしまう。市木先輩に招かれていそいそと舞台袖に続く扉を潜り、その後に続いて小さな階段を上る。
「なあ市木まだー? もう始まんべ」
舞台袖の方から川上先輩らしき声が聞こえてきた。市木先輩の陰からこっそりと覗き込むと、パイプ椅子に腰掛ける礼の姿が見えて、途端に緊張が走った。
「ただいま〜」
先に顔を出した市木先輩に気付いた二人が、あっと声をあげた。
「どこ行ってたんだよ〜。俺一人にこの不機嫌王子の相手させんなよ! 大変だったんだぞ」
「おっせーぞ市木。次だぞ。はやく準備しろよ」
二人分のブーイングも物共にせず、市木先輩はどこか楽しげに身体を揺らしている。
「わりーわりー。そんな礼くんに市木急便から、お届けもので〜す」
ヘラヘラと笑った市木先輩がすっと身体を横にずらしたので、その背後に隠れていた俺がいきなり注目を浴びる形になった。
俺の存在に気付いた礼は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まっている。その隣で先に口を開いたのは、川上先輩だった。
「おー? 誰? めっちゃ可愛いじゃーん。市木の彼女?」
どうやら川上先輩は、女装した俺のことを本物の女子だと思っているらしい。わくわくとした顔で俺のことを見る川上先輩を見て、耐えきれなくなった市木先輩はぶはっと吹き出した。
(──言わないと。そのために来たんだから)
覚悟はできた。俺は意を決してただ一人だけをまっすぐに見つめると、
「……礼」
と、その名前を呼んだ。
久しぶりに声に乗せた二文字。そっと視線が交わると、途端にさっきまでの固い覚悟が嘘みたいに萎んでしまいそうになる。
「その、ごめん」
全然格好がつかない。礼の前ではいつもそうだ。
「ずっと前、酷いこと言って」
ようやく告げることができた言葉は、想像よりも拙いものになってしまった。椅子に深く腰掛けたままの礼が、黙り込んでじっと俺を見上げる。今すぐに視線を逸らしてしまいたいけれど、試すような強い眼差しが俺にそうさせてくれない。
「別に、謝んなくていいよ」
沈黙を破ったのは礼だった。
「先におまえを傷付けるようなことをしたのは俺だし、気にすることねえよ」
固い声だった。言っていることは優しいはずなのに、まるで『だからもう俺に関わるな』と言っているように聞こえた。
「……なあ」
震えそうになる手をぎゅっと握った。
「礼は、もう俺と一緒にいたくない?」
全身から俺に対する拒絶が伝わってきて、ここにいることすら怖気づきそうになる。
縋るみたいな響きをもってして発せられた俺の声を聞いても、礼は表情ひとつ変えることはなかった。
「……普通に、無理だと思う」
やがて返ってきたのは、耳を塞ぎたくなるような現実だった。
「前みたいに仲良くすんのとかは、キツい」
ふい、と視線を逸らされて、頭の中が真っ白になった。全身がバラバラになってしまったかのように、手も足もだらんとして動かせない。
くしゃっとわらう顔が好きだった。それなのに俺の前にいる礼は今、笑顔一つ見せてくれない。
「……そんなに、俺のことが嫌いかよ」
ふつふつと、腹の底から憤りが込み上げてくる。ヤケクソになった俺は怒りに身を任せて声を荒げた。
「言っとくけどさあ、最初に俺にキスして関係ぐちゃぐちゃにしたのはあんただからな!」
「は?」
突然フーフーといきり立つ俺を見て、礼は目を丸くして愕然としている。
「俺にハッキリ自覚させたくせに、あんたはよそで女作ってベタベタしやがって……っ! あんたのそういう思わせぶりな態度が悪いんだろうが!」
「ちょ、待って。なに? 意味がわかんねえんだけど。一旦落ち着けって」
「ノンケなのに男にキスしてきたら俺のこと好きなのかなって思うじゃん! ふざけんなよ!」
「……っ」
椅子から立ち上がった礼は、俺の言葉を聞いて珍しく動揺しているようだった。口元を手で覆い、下を向いて何かを考えているように見える。
(あー、終わった。全部言っちゃったし、何で逆ギレしてんだよ俺……)
ダサすぎる幕引きだが、俺にはこれがお似合いなのかもしれない。息を整えると、沸騰していた頭の中が次第に冷静になっていく。そうすると今度は急に己の発言が全部恥ずかしくなってきて、居た堪れなくなった俺はいますぐこの場を逃げ出したくなった。
ジリジリとゆっくり後退りをし、勢いよく一瞬で身体を反転させ、小階段を飛び降りようとした。
刹那、勢いよく腕を捕まえられて引き戻される。
その反動で俺は、その胸に飛び込むような形で身体を預けることになってしまった。
ふわりと香るのは俺と同じ柔軟剤の香りと、それと混じり合った礼の香り。久しぶりに鼻腔を擽るそれに、無性に泣き出したい気持ちになった。
「……おまえが最初に言ったんだろ、『礼と兄弟でよかった』って」
「え?」
「だからおまえが望む『兄弟』になろうとしたんだよ。そのためにはとにかく離れなきゃいけなかった。そばにいたら多分、自分を抑えられねえから」
背中に回る礼の手に、力が込められるのを感じた。
「あのままおまえといたら、またおまえのこと傷付けると思ったんだよ」
礼の口から吐き出される言葉が全て、俺の都合のいいように変換されているのではないかという疑念すら抱き始める。これは本当に現実なのだろうか。
「俺が未凪を嫌いになるわけねえだろ」
ゆっくりと身体が離れる。見上げた視線の先には熱っぽい目をした礼がいて、その瞳の中に俺が映っていることが、信じられなかった。
「死ぬほど好きに決まってる」
寄せられた唇が、俺の額に口付けを落としていった。触れられた部分から熱が広がって、ジリジリと火傷しそうなほどに全身が熱い。思考が追いつかなくて、脳みそが爆発しそうだった。
「す、好きって、どういう……」
「今すぐ押し倒したいって意味の、好き」
「は……」
真面目な顔で淡々と告げる礼の言葉は俺の脳みそにとどめをさして、完全に思考が停止してしまった。
「はーい、イチャイチャしてるとこ悪いけど、一旦ストップしてくださ〜い」
そんな俺を見かねてか、市木先輩が間に割って入ってきてくれた。
「うん、とりあえずもう出番だから、続きはまた後にしてね」
「おい市木、俺達何見せられてんの? ってか、この可愛い子誰? 市木じゃなくて礼の彼女なわけ?」
「おまえ未凪に興味持ってんじゃねえ、殺すぞ」
「えっなに!?!? なんか急にダチのラブシーン見せられた俺が何で詰められてんの!?」
ぽかんとしている俺を置いて、周囲の時間が動き出す。ギターを担いだ礼は呆然と立ち尽くす俺に近寄ると、耳元に唇を寄せた。
「もう逃げんなよ」
「……っ」
最後にガリ、と耳たぶを甘噛みされて、思わず肩が跳ねた。ステージに上がっていくキラキラとした後ろ姿を、どこか夢見心地のまま見ていた。
周囲の視線に耐えきれずにそう声を漏らせば、市木先輩は「確かにそうね」とあっさりと下ろしてくれた。
「そういえば女装コンテスト見てたよ〜。圧倒的だったよキミ。女子にしか見えなかった。優勝おめでと〜」
「嫌味ですか?」
「ぶふっ、ちげえし。捻くれすぎだって。……キミ面白いね、さすが礼が気に入るだけあるわ」
市木先輩はお腹を抱えながらケタケタと笑った。
「礼は……」
「ん?」
「先輩達といるとき、どんな感じなんですか?」
他人に興味がなさそうな礼は、市木先輩と川上先輩とだけはいつも一緒にいるように見える。俺と一緒にいるときの礼とは、また別の顔があるのだろう。
「そうね、これは今に始まったことじゃないんだけど、とにかく常に何かにキレてるね。ドリンクバーで間違えてドリンクが出てきたときとか、ポテト注文したらしなしなだったとか」
「……意外とスケールが小さいんですね」
「そうそう。ちっちゃいことですーぐ怒んの。でもそんなリアクションが面白くて、俺も川上もアイツとつるんでんの」
「この間も歩いてたら段差に躓いて謎に俺にキレてきたんだよ、マジで八つ当たり」と市木先輩は楽しそうに笑った。
「アイツって顔がいいくせに、あんまり自分に興味がないんだよね。だから鼻についたりしない。悩んだりすることは基本なくて決断は早いし、やりたいかやりたくないかの二択で即決するの」
確かに俺が見ていても、礼の行動原理は単純なものに思う。興味があればやるし、興味がないと思えば全部スルーする。だから時に周りからは冷たく映るし、それをルックスのせいでクールと称されるのだろう。
「でもさあ、最近の礼はいつにも増して不機嫌だし、ずーーっとしかめっ面して何かに悩んでんのよ」
「?」
「八月ぐらいからかな。キミ達喧嘩でもしたんでしょ、どうせ」
八月と聞いて思い当たるのは、古賀が帰省してきた辺りだ。そして、俺が礼に最低なことを言ってしまったのと時期が重なる。
(やっぱり、まだ怒ってるのか)
黙りこくる俺を見て肯定と捉えたのか、市木先輩はチラリと俺を見て微かに笑った。
「やりたくねえって言われてたバンドも急にやる気になってくれたし、行かねえって言ってた合コンも急に参加するって言い出してさあ」
「……」
「まるで何かを忘れるために別の何かに没頭したがってるように見えたな〜」
八月は日中、礼はほとんど家にいなかった。どこに出かけているのかと問いたかったけど、きちんと夕飯の時間には家に帰ってきたので問題はなかったし、何より俺にそんなことを聞く資格はないとわかっていたから、何も言い出せなかった。
(いつからこんなに臆病になったんだ、俺は)
俺ともう関わりたくないとハッキリと拒絶されてしまうのが怖い。礼の口からそれを聞くことを、傷付くことを恐れている。
「……もしも」
「うん?」
「酷いことを言って傷付けたとき、どうしたら許してもらえると思いますか」
隣を歩く市木先輩は、キョトンとしたように目を丸くしている。
「素直に謝るしかないと思うけど……でも後輩クンはさ、その先礼とどうなりたいの?」
「俺は、前みたいに……」
謝罪を受け入れてもらえたなら、また元通りになれるのだろうか。だけど、本当にそれでいいのか?
「……うん。きっとキミが求めてるのは、そんな答えじゃないよね」
心に沈めていた本当の気持ちに、はたと気付かされた。市木先輩には俺の本音などお見通しなのかもしれない。
礼のことを好きだと明確に自覚してしまった今、きっともうあのぬるま湯に浸かるような日々を繰り返すことは難しい。
「俺が言うのも何だけど、礼はキミに出会ってから別人かって思うぐらいに変わったんだよね。よく笑うようになったし、やけに丸くなってさあ。ま、俺らからしたらつまんねえんだけどね」
市木先輩はクスクスと笑った。
「──大丈夫。まっすぐにぶつかって、素直にキミの気持ちを話せば、きっとうまくいくよ」
どこまで見抜かれているのだろう。この人には、誰にも打ち明けていない礼への濁り切った気持ちでさえも知られているような気がしてしまう。
例え俺を励ますための綺麗事だったとしても、今の俺は確かに覚悟を持つことができた。
「ところでちょっと時間ヤバいから、走るよ。ついてきて〜」
「えっ、ちょっと待っ……、早っ!」
市木先輩は光の速さで俺の視界から消えたので、俺は慌ててその後を追いかけるのであった。
*
なんとか呼吸を乱しながら市木先輩の後を追い体育館に入ると、既に別のバンドの演奏が始まっていた。凄まじい熱量の歓声に圧倒されてしまう。市木先輩に招かれていそいそと舞台袖に続く扉を潜り、その後に続いて小さな階段を上る。
「なあ市木まだー? もう始まんべ」
舞台袖の方から川上先輩らしき声が聞こえてきた。市木先輩の陰からこっそりと覗き込むと、パイプ椅子に腰掛ける礼の姿が見えて、途端に緊張が走った。
「ただいま〜」
先に顔を出した市木先輩に気付いた二人が、あっと声をあげた。
「どこ行ってたんだよ〜。俺一人にこの不機嫌王子の相手させんなよ! 大変だったんだぞ」
「おっせーぞ市木。次だぞ。はやく準備しろよ」
二人分のブーイングも物共にせず、市木先輩はどこか楽しげに身体を揺らしている。
「わりーわりー。そんな礼くんに市木急便から、お届けもので〜す」
ヘラヘラと笑った市木先輩がすっと身体を横にずらしたので、その背後に隠れていた俺がいきなり注目を浴びる形になった。
俺の存在に気付いた礼は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まっている。その隣で先に口を開いたのは、川上先輩だった。
「おー? 誰? めっちゃ可愛いじゃーん。市木の彼女?」
どうやら川上先輩は、女装した俺のことを本物の女子だと思っているらしい。わくわくとした顔で俺のことを見る川上先輩を見て、耐えきれなくなった市木先輩はぶはっと吹き出した。
(──言わないと。そのために来たんだから)
覚悟はできた。俺は意を決してただ一人だけをまっすぐに見つめると、
「……礼」
と、その名前を呼んだ。
久しぶりに声に乗せた二文字。そっと視線が交わると、途端にさっきまでの固い覚悟が嘘みたいに萎んでしまいそうになる。
「その、ごめん」
全然格好がつかない。礼の前ではいつもそうだ。
「ずっと前、酷いこと言って」
ようやく告げることができた言葉は、想像よりも拙いものになってしまった。椅子に深く腰掛けたままの礼が、黙り込んでじっと俺を見上げる。今すぐに視線を逸らしてしまいたいけれど、試すような強い眼差しが俺にそうさせてくれない。
「別に、謝んなくていいよ」
沈黙を破ったのは礼だった。
「先におまえを傷付けるようなことをしたのは俺だし、気にすることねえよ」
固い声だった。言っていることは優しいはずなのに、まるで『だからもう俺に関わるな』と言っているように聞こえた。
「……なあ」
震えそうになる手をぎゅっと握った。
「礼は、もう俺と一緒にいたくない?」
全身から俺に対する拒絶が伝わってきて、ここにいることすら怖気づきそうになる。
縋るみたいな響きをもってして発せられた俺の声を聞いても、礼は表情ひとつ変えることはなかった。
「……普通に、無理だと思う」
やがて返ってきたのは、耳を塞ぎたくなるような現実だった。
「前みたいに仲良くすんのとかは、キツい」
ふい、と視線を逸らされて、頭の中が真っ白になった。全身がバラバラになってしまったかのように、手も足もだらんとして動かせない。
くしゃっとわらう顔が好きだった。それなのに俺の前にいる礼は今、笑顔一つ見せてくれない。
「……そんなに、俺のことが嫌いかよ」
ふつふつと、腹の底から憤りが込み上げてくる。ヤケクソになった俺は怒りに身を任せて声を荒げた。
「言っとくけどさあ、最初に俺にキスして関係ぐちゃぐちゃにしたのはあんただからな!」
「は?」
突然フーフーといきり立つ俺を見て、礼は目を丸くして愕然としている。
「俺にハッキリ自覚させたくせに、あんたはよそで女作ってベタベタしやがって……っ! あんたのそういう思わせぶりな態度が悪いんだろうが!」
「ちょ、待って。なに? 意味がわかんねえんだけど。一旦落ち着けって」
「ノンケなのに男にキスしてきたら俺のこと好きなのかなって思うじゃん! ふざけんなよ!」
「……っ」
椅子から立ち上がった礼は、俺の言葉を聞いて珍しく動揺しているようだった。口元を手で覆い、下を向いて何かを考えているように見える。
(あー、終わった。全部言っちゃったし、何で逆ギレしてんだよ俺……)
ダサすぎる幕引きだが、俺にはこれがお似合いなのかもしれない。息を整えると、沸騰していた頭の中が次第に冷静になっていく。そうすると今度は急に己の発言が全部恥ずかしくなってきて、居た堪れなくなった俺はいますぐこの場を逃げ出したくなった。
ジリジリとゆっくり後退りをし、勢いよく一瞬で身体を反転させ、小階段を飛び降りようとした。
刹那、勢いよく腕を捕まえられて引き戻される。
その反動で俺は、その胸に飛び込むような形で身体を預けることになってしまった。
ふわりと香るのは俺と同じ柔軟剤の香りと、それと混じり合った礼の香り。久しぶりに鼻腔を擽るそれに、無性に泣き出したい気持ちになった。
「……おまえが最初に言ったんだろ、『礼と兄弟でよかった』って」
「え?」
「だからおまえが望む『兄弟』になろうとしたんだよ。そのためにはとにかく離れなきゃいけなかった。そばにいたら多分、自分を抑えられねえから」
背中に回る礼の手に、力が込められるのを感じた。
「あのままおまえといたら、またおまえのこと傷付けると思ったんだよ」
礼の口から吐き出される言葉が全て、俺の都合のいいように変換されているのではないかという疑念すら抱き始める。これは本当に現実なのだろうか。
「俺が未凪を嫌いになるわけねえだろ」
ゆっくりと身体が離れる。見上げた視線の先には熱っぽい目をした礼がいて、その瞳の中に俺が映っていることが、信じられなかった。
「死ぬほど好きに決まってる」
寄せられた唇が、俺の額に口付けを落としていった。触れられた部分から熱が広がって、ジリジリと火傷しそうなほどに全身が熱い。思考が追いつかなくて、脳みそが爆発しそうだった。
「す、好きって、どういう……」
「今すぐ押し倒したいって意味の、好き」
「は……」
真面目な顔で淡々と告げる礼の言葉は俺の脳みそにとどめをさして、完全に思考が停止してしまった。
「はーい、イチャイチャしてるとこ悪いけど、一旦ストップしてくださ〜い」
そんな俺を見かねてか、市木先輩が間に割って入ってきてくれた。
「うん、とりあえずもう出番だから、続きはまた後にしてね」
「おい市木、俺達何見せられてんの? ってか、この可愛い子誰? 市木じゃなくて礼の彼女なわけ?」
「おまえ未凪に興味持ってんじゃねえ、殺すぞ」
「えっなに!?!? なんか急にダチのラブシーン見せられた俺が何で詰められてんの!?」
ぽかんとしている俺を置いて、周囲の時間が動き出す。ギターを担いだ礼は呆然と立ち尽くす俺に近寄ると、耳元に唇を寄せた。
「もう逃げんなよ」
「……っ」
最後にガリ、と耳たぶを甘噛みされて、思わず肩が跳ねた。ステージに上がっていくキラキラとした後ろ姿を、どこか夢見心地のまま見ていた。