白高の五月から六月下旬にかけては何かと忙しい。
 なぜかといえばその間に中間テストと体育祭があるからである。テスト期間中に組み分けがあり委員会別に放課後集まって仕事の割り振りがあったり競技の内容を決めたりとやることがそれなりにある。
 けれど忙しいのも案外楽しいもので、特に委員会活動は普段関わりのない他学年の生徒とも話せる機会であり周はそれなりに充実した日々を過ごしていた。ちなみに周と咲良は同じ放送委員会で、この前の集会の時は居眠りしているところを咲良に見られたばかりだ。
 さて──不安だった咲良の中間テストも無事終わった今現在、白高は熱気に包まれていた。

「走れーーーー!」
「負けんな諦めんなー!」
「頑張ってー!」

 怒号と声援が混ざる熱狂的な空間で選ばれし数名がグラウンドをひた走る。学年でも指折りの俊足を持つ男女が本気で走る姿は見ているだけでも心が奮い立つものがあるなと思いながら周は放送席のテントでのんびりと過ごしていた。
 体操服に体育祭の時にだけ身につける鉢巻を巻くだけの格好だが、女子は髪型やメイクも凝っている人がいる。周が所属している白組の応援団の女子は頬に雪の結晶を描いていたし紅組は炎だ。気合が入っている。

 周は運動が出来ないわけではない。でも得意でもない。徒競走に選ばれるはずもなければ騎馬戦にだって選ばれない。人数が足りない場所にひょこっと参加して後は応援に徹するのみだ。
 組対抗応援合戦も周は参加しない。あれは選ばれし光の人たちが行くものなのだ。

「南くん応援合戦今年も参加しないんだ?」

 放送席にて現在進行形で熱い実況をしている人の横に座っている女子が周の方を振り返る。昨年も同じ委員会だった三年の先輩だ。

「しません。リズム感が家出してるので」
「あー。応援合戦ってなぜか踊りがちだよね、しかも難しいやつ」
「今年は外国の女性グループのやつだから余計無理です」

 この人は放送委員の副委員長に当たる。委員長は今熱い実況をしている男子の先輩だ。プロも顔負けなんじゃ無いかと思う程の名実況に会場が沸いている。来年は誰がこの人の後を継ぐんだろうかと少し遠い目になった。周は来年も放送委員を志望するつもりだが、もちろんこんな実況は出来ない。来年に期待かな、なんて思いながらグラウンドを見る。
 すると徒競走の一年男子が最終組らしく、委員長のまるでプロレスの選手紹介のような癖のある巻舌で参加者の名前が挙げられていく。
 最早なんと言っているのかが分からないほど怪しくはあるのだが、最後の二人の名前ははっきりとわかった。思わず顔を選手側に向けると、何やら黄色い声も聞こえて周は目を丸くする。

「おおっと入学して僅か二ヶ月ですでに女子のハートを射抜いているのか錦咲良! ずるいぞイケメン直江良雄! これは完全に私情ですがこの二人には派手に転んでいただきたい!」

 生徒たちのテントから笑いが起きて遠目からでも咲良が居心地悪そうに顔を顰めているのがわかる。それに間違いなければすごい顔で委員長を睨んでいるが、これはまあ仕方がないよなと周は苦笑する他なかった。それに比べて良雄は全方位に投げキッスを送るというファンサービスを行なっていた。まるで正反対の二人の様子に会場はさらに盛り上がる。

「南くん幼馴染なんだよね、錦くんと」

 副委員長が視線を選手たちに向けたまま周に話し掛ける。

「誰から聞いたんですか?」
「聞いたというか勝手に耳に入ってくるというか。有名って程でもないけどたまに話題になるよ、女子の間で」
「ああ、まあ目立ちますもんね咲良。良雄もだけど」

 パン、とピストルの音が鳴り、大きな声援が上がる。
 スタートからゴールまではグラウンド約半周分の距離、ほんの少し目を離していたらすぐに終わってしまう数秒の出来事。力を入れて応援するタイプではないのだが、幼馴染二人の対決とあっては黙っていられず、周は思わず立ち上がる。周以外にも放送委員の全員が立ち上がって咲良やみんなのことを応援していた。
 鉢巻をたなびかせながら走る二人の姿を見て風のようだなと、そう思った。

「おおっと速い速い! 紅組錦咲良と白組直江良雄の一騎打ちだー!」

 幼馴染二人の大奮闘に周は内心大興奮だ。多分他の幼馴染たちも周と同じ気持ちだろう。小学も中学も徒競走での二人の競走は名物と呼んでも差し支えなかった。
 高校に入れば人数も多くなるしきっと見られなくなるのだろうなと思っていた対決がまさか実現するとは夢にも思わず、手に汗握る展開に拳をぎゅっと握った。
 必死に走る二人が放送席の前に差し掛かる。意識せず周は大きく息を吸った。

「二人とも頑張れー!」

 ゴールテープは放送席からよく見える場所にある。周の声援が消える間際に真っ白なゴールテープが切られ、ピストルが鳴った。
 ほとんど同着でゴールに飛び込んだ二人。肉眼では勝敗の見分けが付かないほどの接戦だったが、勝者が拳を高く天に突き上げた。

「あああクッッソ負けたーーー!」

 グランドに五体投地したのはふわふわの癖っ毛。つまり、咲良の勝利だ。

「おおおおっと! バスケ部期待のエースが帰宅部に敗れたーーー! 帰宅部の超新星の誕生だーーー!」

 わっと声のギアがまた一段と上がる。二人を称えるものから良雄への激励もあれば中には陸上部や運動部顧問や先輩方からの「錦―! 俺たちはお前を待っている!」そんな野太い声も混ざっていた。
 そんな熱烈なラブコールを無視して咲良は未だに倒れたままの良雄に手を貸して起き上がらせていた。二人が何やら話していたが咲良が良雄の背中を軽く殴ったあたりまた何か余計なことを言ったんだろうなと思いながら周は放送委員の椅子に座り直す。

 一年の徒競走が終われば次は二年三年と続き、それ以外にも綱引きや玉入れ、部活対抗のリレーなんかもあって時間はあっという間に過ぎていく。根っからの文系である周が参加する競技は運の要素が非常に強い障害物兼借り物競走だ。
 障害物はハードルや網などそう代わり映えのないものだが、借り物のクセが少し強いのだ。例えば先生の中で一番高そうな時計をしている人だとか、自分がちょっといいなと思っている人(性別不問)だとか、家でヨークシャーテリアを飼っていそうな人だとか、とにかくそういう「え?」となるお題が多いのだ。
 そんな感じだからか普通のお題の方が希少価値が高い。だがしかし周はその希少価値を引き寄せる運を持っていた。

「黒髪の同級生です」
「西田です!」

 グラウンドで参加者の阿鼻叫喚が轟く中周はさらりと同級生の西田とゴールテープを切り、そのまま何事もなく競技を終えるとまた放送委員のテントに戻る。するとそこには咲良の姿があった。

「おかえり」
「ただいま。一年のテントに行かなくていいの? 咲良いろんな競技に引っ張りだこって言ってなかったっけ」
「……あっちは視線とかがうぜえからやだ」
「ああ…」

 周は納得した。そしてさすがイケメンだなとも思った。今は実況休憩中の委員長も咲良の発言に眼鏡をくいっと押し上げながら「モテる男はつらいですなぁ」なんて欠片も思っていなさそうなことを笑いながら言っていた。
 咲良はそんな委員長を見て苦虫を噛み潰したような顔をしている。けれど先輩相手に咲良は失礼な態度を取ることはない。良い子だなと周は深く頷きながらその様子を眺めていれば現在進行中の三年生による障害物兼借り物競走でグラウンドにどよめきが広がった。