――ある日曜日の朝。


「お待たせ」


俺が待ち合わせ場所に行くと、時計台の陰からだれかが振り返った。


「ううん。オレもさっききたところ」


現れたのは、黒色のパーカーにゆとりのあるカーキ色のパンツ姿の男子。

オールバックにセットしたヘアスタイルに、整った顔がよく似合う。


そう。

それは、ルームメイトの矢吹だ。


今週は、金曜日の学校終わりに俺も矢吹もたまたま実家に帰っていた。

そして、実家からお互いこうして待ち合わせ場所にやってきた。


今日は2人で遊びにいく予定をしている。


先週、俺から矢吹を誘ってみた。

母さんが商店街の福引で水族館のペアチケットが当たってそれをくれたから、この前助けてくれたお礼で矢吹と行こうと思って。


「それにしても、今日はその格好なんだな」


矢吹は学校での地味男子モードではなく、周りには秘密にしているダウナー系男子モード。

服もかっこよく決まっていて、がんばってオシャレしてきたつもりの俺が霞んで見えてしまうくらい。


「いいのか?もし学校のやつらに見られたら…」

「大丈夫だろ。あそこの水族館って、ここから少し離れてるし。知り合いに出会う確率は低いだろうから」

「でも、0%ってわけじゃないだろ?」

「まあな。けど、椎葉と2人でいるときは素のオレでいたい」


そう言って、矢吹が俺に微笑んだ。


そっか。

矢吹がそれでいいなら、俺はべつにどっちでもいいんだけど。


そうして、俺たちは電車に乗った。

しばらくの間電車に揺られることになるから、俺たちは空いている2人掛けの席に座った。


「あっ。あの雲、イルカみたいに見えね?」

「え、どこどこ?」

「ほら、あそこだって」

「だから、どこだよ〜」


窓に張り付いてイルカ雲を探す俺を見てクスクスと笑いながら、隣の席の矢吹が後ろから身を乗り出して窓を指をさす。


「あれだよ」

「あれか!」


すると矢吹は、窓に向かって人差し指を立てていた俺の右手をそっと自分の手で包みこんだ。


「違う違う。あっち」


そうして、窓の上を右側に滑らせるようにして誘導する。

矢吹の手のぬくもりが俺の手の甲にじんわりと伝わる。


それは、心地のいい温かさだった。


「椎葉、見えた?あれがイルカっぽい雲」


耳元で矢吹の声が聞こえて我に返った。


「…ああ!あの雲かっ」


矢吹に握られた俺の手の人差し指の先に、矢吹が言っている雲を見つけた。

思っていたよりも、なかなかイルカっぽい形をしている。


しかし今の俺は、イルカ雲よりも至近距離にいる矢吹のほうが気になって仕方がなかった。

なんで俺、こんなに矢吹にドキドキしてんだよ…!!


車窓から流れていく景色をいっしょに眺めていると、まるで2人で旅に出かけているような気分になった。



水族館の最寄り駅まで、まだあと30分はあるという頃。

停車した駅で老夫婦が乗ってきた。


それを見て、俺は立ち上がった。

と思ったら、ゴツンと頭をぶつけた。


ぶつけた頭を擦りながら隣を見ると、矢吹も同じように頭を擦っていた。

どうやら、同時に席を立ち上がったようだ。


「…イタタ。もしかして、矢吹も?」

「ははっ、同じこと考えてたみたいだな」


勢いよく頭をぶつけてしまったため、俺たちは顔を見合わせて苦笑い。

そして、通路をゆっくりとした足取りで歩いてきた老夫婦に俺が声をかけた。


「あの、ここどうぞ」

「あら、ありがとう。でも悪いわ、せっかく座っていたのに」

「お気遣いなく。オレたち、次の駅で降りるので」


そう言う矢吹だけど、降りるにはまだもう少し先。

でもそう言っておかないと、この遠慮気味な老夫婦は座ってくれなさそうだったから。


「ありがとう、助かるよ」

「やさしいのね、ボクたち」


その言葉に俺たちははにかんだ。

もう“ボク”と呼ばれる年齢ではないけれど、矢吹といっしょに褒められたらやっぱりうれしい。


俺たちがなかなか降りないと老夫婦が気を遣わないように、俺と矢吹はそっと隣の車両へ移動したのだった。



そうして、水族館に到着。


母さんからもらったチケットを財布から出して、さっそくゲートへ。

しかし、肝心の矢吹がついてこない。


「どうした?矢吹」


振り返ると、矢吹がうつむいたまま動かない。


「早く行こうよ」

「…本当にいいのかな」


ぽつりと矢吹が声を漏らす。


「ここまできてこんなこと言うのもあれだけど、そのチケット、椎葉のお母さんが『仲いいお友達といっしょに』って言ってくれたんだよな?」

「ああ、そうだけど」

「それなら、森さんと2人できたほうがよかったんじゃないのか?」


矢吹の言葉に、愛奈ちゃんの笑った顔が頭の中に浮かぶ。


「チケットの有効期限もまだあと半年近くあるみたいだし、オレじゃなくて今度森さんと――」

「…あー、もう!面倒くさいやつだな。俺の中では、お前が“仲いいお友達”なんだよ」

「え…、オレが?」

「そうだよ。春から同じ部屋で暮らしてて、みんなは知らない矢吹を俺だけが知っている。これって、“仲いい”他に言い方ねぇだろ」


俺がそう言うと、矢吹はぽかんとした顔で俺のことを見ていた。


…ヤベ。

『面倒くさいやつ』とか、…ちょっと言い過ぎたかな。


「と…とにかく!俺が矢吹といっしょに行きたいんだよ。だから、それでいいだろ」


俺には、これくらいしかお礼できることがないんだから。


そう思いながらドギマギして待っていると、矢吹がゆっくりと顔を上げた。


「椎葉がオレのことそんなふうに思ってくれてただなんて、めちゃくちゃうれしい」


矢吹のその笑顔は、地味男子の矢吹でも、ダウナー系男子の矢吹でも見せたことがないくらいキラキラしていた。


「行こうぜ」

「ああ」


俺がチケットを差し出すと、矢吹はそれを快く受け取った。



水族館の中は、カップルや家族連れで賑わっていた。

水族館自体くるのは久々で、実は俺も楽しみだったりする。


薄暗い館内では、矢吹の雰囲気もいつもと違って見える。


夜に矢吹と出歩いたことがあるのは、不良に絡まれて矢吹が家まで送ってくれたあの日だけで、あのときは明るい歓楽街を通っていた。

だけど今は、水槽の青や紫のぼんやりとした照明が顔にかかり、その怪しげな色がミステリアスな矢吹にピッタリで絵になる。


「矢〜吹っ」


俺は、ぼうっと水槽を見上げていた矢吹に歩み寄った。

そこは、ミズクラゲの水槽だった。


「クラゲ、好きなの?」

「そうだな。なんかずっと見てられる」

「あっ、それわかるかも」


ふわんふわんと自由に水中を漂うクラゲの姿は俺も好きだ。


「もう少しここにいてもいいかな」

「おう」


本当にクラゲが好きなんだな。

またひとつ、俺しか知らない矢吹を知ってなんだかうれしくなった。


――クラゲを見つめてたたずむ矢吹。


その姿が、なぜだか俺の初恋の桜ちゃんと重なった。


そういえば、小学1年生のときの遠足でどこかの水族館に行ったとき――。

桜ちゃんもあんなふうにクラゲの水槽を眺めていたっけ。


「椎葉、そろそろ行こうか」


すると、矢吹が声をかけてきた。


「もういいの?」

「ああ。それに、もうすぐイルカショーの時間みたいだから」

「ほんとだ」


俺たちは、イルカショーが行われるプールへと向かった。


様々な技を披露するイルカに拍手を送り、ときには客席にまで飛んできた水しぶきが顔にかかり、隣に座る矢吹と顔を見合わせて笑った。


タッチプールでは、ヒトデや小魚を触ることができた。


「…うおお!この魚、思ってたよりもヌルヌルする…!」

「椎葉、ビビリすぎだって。そっちのデカイ魚は?」

「えっ、…なんか噛まれそうじゃね?」

「大丈夫だって。てか、腰引けすぎ」


そう言って、大笑いしながら矢吹が俺にスマホを向ける。


その場で矢吹が撮った動画を見せてもらったら、たしかに魚を触るのにへっぴり腰になっている俺が映っていた。

なんだったら、脚も若干震えてる。


「だったら、矢吹が触ってみろよ。そのデカイ魚!」

「まあいいけど」


矢吹はパーカーの袖を腕まくりすると、水槽の中へ手を入れた。

ビビる矢吹を絶対に撮るんだと、俺はスマホを構えた。


「ほら、べつに噛まねーよ」


すると、まったくおもしろくないことに、平然とデカイ魚をも撫でてみせる矢吹。


「…なっ。そんなあっさり…」

「オレ、よくガキの頃じいちゃんと釣りに行ってたから。そのあと、釣った魚を捌くこともあったし、魚には慣れてるっていうか」


クソ〜!

どこまでかっこいいんだよ、矢吹のヤツ。


「そもそも、噛むような危ない魚ならこんなところに入ってないだろ」

「そ、それはそうだけど〜…」


見た目からしてなんだかこわいじゃん。


「それに、タッチプールでキャーキャー言ってるの、子どもと椎葉くらいだけど?」


そう言われて辺りを見回すと、触りながらも小さな悲鳴を上げてはしゃいでいるのは、小学生以下の子どもくらいだった。


「…俺、高2なんだけど」

「いいじゃん、だれにでも苦手なものはあるんだから」

「でも、子どもといっしょって…」

「だから、いいんだって。かわいい椎葉が見れたから」


…か、“かわいい”?


だれかから、“かわいい”と言われたのは初めてだった。

男の俺が“かわいい”と言われるのは変な感じだけど、それで矢吹が楽しそうなら…まあいっかな。


そのあと、お腹が空いた俺たちは、水族館内にあるレストランに昼メシを食べに入った。

ここは、全席水槽を眺めながら食事をすることができる。


俺と矢吹は、レストランの人気ナンバーワンのランチプレートを頼んだ。


運ばれてきたのは、サラダやフルーツもいっしょに付いたオムライス。

しかしこのオムライス、ただのオムライスではない。


海をイメージしているらしく、なんと上にかけられたソースが青いのだ。


そのインパクトある見た目に、俺は思わず横に置いていたリュックからスマホを取り出した。

しかし、構える前にそっとリュックの中に戻してしまった。


「見てー、すごいソースの色」

「ほんどだ!写真のほうがもっと青く見える〜」

「あとでSNSにアップしよ〜っと」


周りのお客さんは、パシャパシャと運ばれてきた料理の写真を撮っている。


本当は…俺も撮りたかった。

でも、友達の姿を撮り合うならまだしも、いちいち料理を撮るとなると女子みたいって矢吹に思われるかもしれないから。


「食べようぜ、矢吹」

「いいの?写真撮らなくても」

「…ええ!?そ、そんなのべつに撮らないし」


…ヤバイ、バレてたか?


俺は記念に写真に収めたい気持ちを押し殺して、オムライスの真ん中にスプーンを入れた。


青色ソースのオムライスは見た目こそすごかったが、思ったよりも味は普通だった。

なんだったら、普通のオムライスよりもおいしかった。


ただ成長期真っ只中の高2の俺からしたら、量としては少し物足りなかった。

まだ小腹が空いている。


矢吹も俺と同じなのか、ペロリと平らげていた。


「矢吹。外に売店あったから、あとでそこでなにか買ってもいいか?」

「オレは全然構わねぇけど」

「じゃあ、ひとまずここ出ようぜ」


そう言って席から立ち上がった俺の腕を、なぜだか向かいの席に座る矢吹がつかんだ。


「…矢吹?」


キョトンとして見下ろすと、ゆっくりと矢吹が顔を上げた。


「本当は、これを食べたかったんじゃないのか?」


矢吹が手にして俺に見せたのは、テーブルの端に立てかけていたメニュー表。

そこの期間限定のパフェのページを俺に見せた。


それを見て、ギクッとした。


「椎葉、ここに入る前、店の外にあったこのパフェの看板をずっと見てただろ?だから、頼みたいのかなって思ってて」


図星だった。


俺は甘いものが好きな、自称『スイーツ男子』。

とくに、期間限定商品には目がない。


もちろん、レストランの入口前に並べられていたこのパフェの看板はすぐ目に入っていた。


水色のゼリーが詰められた、上に海の生き物をかたどったクッキーがのっているパフェ。

しかも、プラス500円でシロクマの3Dラテアートのカフェモカをセットできる。


…そして、販売期間は今日まで。

今日を逃せば、二度とお目見えすることができなくなる。


見た目からしてかわいいし、絶対写真に撮りたい。


だけど、そもそもこんな女子ウケ狙いのスイーツを俺が頼んだら…。

絶対矢吹のやつ…引くよな。


そう思って、無難な人気ナンバーワンのランチプレートしか頼めなかった。


案の定、矢吹の視線が気になって、それすらスマホで撮ることはできなかったし。


実はそんな葛藤をしていた俺の気持ちに、…矢吹は気づいていたのか?


「小腹空いてるんだろ?だったら、ちょうどいいじゃん。今から追加で頼んだら」


矢吹の言葉に、俺の心が揺らぐ。


…た、頼みたい。


でも、キモすぎだろ。

パフェ頼んで、追加でシロクマラテアートのカフェモカもだなんて。


「いいの、いいの。すごいパフェだなーって、ちょっと見てただけだから」


本当は嘘。

だけど、そう言っておかないとせっかく抑え込んでいた『頼みたい』という欲があふれ出そうになるから。


矢吹に悟られないように無理して笑ってみせる。

完全に痩せ我慢だ。


――すると。


「じゃあ、オレは頼んでみようかな」


向かいの席からそんな声が聞こえた。

驚いて振り返ると、矢吹がメニュー表からひょっこりと目だけを出して俺を見つめる。


「実はオレ、このパフェ気になってたんだよね。でも、1人で頼むのはなんか恥ずかしいから、椎葉もいっしょに頼んでくれるとうれしいんだけど」


そう言って、視線をパフェのメニュー表へ促す矢吹。

俺はごくりと生唾を飲んだ。


「けど…矢吹、俺に合わせようと無理してない?」

「無理?なんで?」

「だって、俺のために好きでもないパフェなんて頼まなくても――」

「知らねぇの?オレ、スイーツめちゃくちゃ好きだけど」


それを聞いて、一瞬ぽかんとした。


細マッチョで、ダークオーラ漂うダウナー系男子の矢吹が――。

俺と同じ…スイーツ男子!?


「毎食、デザートに甘いもの食わないとやってけないタイプ」

「…矢吹が?どちらかというと、その見た目からして辛いもののほうが好きそうな感じだけど…」

「食べれないことはないけど、どちらかというと辛いものは苦手」


…マジかっ。

見た目とのギャップが違いすぎるだろ。


「だからさ、いっしょに頼もうよ。椎葉」


矢吹が甘えた声で俺を誘ってくる。

そんな声と上目遣いで見られたら――。


「そこまで言うなら…、仕方ねーな!」


俺はやれやれというふうにイスに座り直した。

でも本音としては、めちゃくちゃうれしかった。


「すみませ〜ん!」


矢吹が手を上げて店員さんを呼ぶ。


「この、『ドルフィンマリンパフェ』2つお願いします」

「かしこまりました。以上でよろしいでしょうか?」

「あ、ごめんなさい。セットで、この『シロクマカフェモカ』も2つで」


…3Dラテアートのカフェモカまで!

矢吹のやつ、わかってる!!



「お待たせいたしました。ドルフィンマリンパフェとシロクマカフェモカになります」


やってきたパフェとカフェモカを見て、思わず俺の口から感嘆の声が漏れた。


かっ…かわいい!

それにシロクマカフェモカに関しては、俺と矢吹のとで3Dになっているシロクマの表情がそれぞれ違った。


「じゃあ、さっそくいただきま――」

「待って、椎葉」


ロングスプーンをパフェの一番上にのったバニラアイスに振り下ろそうとした俺に、矢吹が待ったをかけた。


「矢吹、どうかしたか?」

「食べる前にパフェとカフェモカ、ちょっとこっちに移動させてもいいか?」

「え?…あ、ああ」


矢吹に言われたとおり、席から見える水槽のほうへパフェとカフェモカを並べる。

すると、矢吹がズボンのポケットからスマホを取り出した。


「かわいいから、ちょっと写真撮らせて」


そう言って、2つ並んだパフェとカフェモカを撮り始めた。

その姿に、俺は呆気に取られていた。


「…あ、わりぃ。もしかして…引いた?」

「う…ううん。でも、矢吹ってそんなキャラだったんだと思って」

「本当はさっきのオムライスのときも、椎葉が写真を撮るならオレも撮りたいなって思ってはいたんだけど」


矢吹が…そんなことを?


「でも、さすがにこのパフェセットはかわいすぎるから、そのまま食べるのは無理だった」


そう言って、照れたように笑ってみせる矢吹。


矢吹は同じスイーツ男子だけじゃなく、俺と同じで記念に料理の写真も撮りたいやつだったんだ。


「お…俺も、いいかな。写真撮っても」

「ああ。早くしないとアイスが溶けるぞ」


矢吹に促され、俺は思い思いにスマホで写真を撮った。


こんなかわいいシロクマの顔を壊すことなんてできない。

でも残しておいても次第に崩れていってしまうから、それならかわいい状態を写真に。


アングルを変えながら写真を撮る俺を、矢吹は微笑みながら見つめていた。


「うま!矢吹、この水色のゼリー食べたか!?」

「まだそこまで行ってねぇよ」

「へ〜。矢吹は順番に上から食べていく派なんだな」

「これが普通じゃね?」

「俺は、下へ下へと掘り進めていく派」


あまりのおいしさに、パフェを食べる手が止まらない俺。

だけどここでふと気になって、スプーンを握る手を止めた。


「椎葉?どうかしたか?」


不思議に思った矢吹が俺の顔を覗き込む。

俺はスプーンを置いて、矢吹に目を向けた。


「…やっぱり、変かな」

「変?」

「だって、男が2人だけでかわいいパフェ食べながらキャッキャッしてるのって」


周りを見ると、俺たちと同じパフェを食べている人たちはいる。

でもみんな、カップルや女子同士のお客さんばかりだ。


「なんだか、笑われてるような気もするし…」


俺はおそるおそる周りに視線を送る。

すると、矢吹がテーブルから身を乗り出して俺の顔を両側から挟んだ。


そして、こっちを向けと言わんばかりに無理やり顔を向けさせられる。


「周りからどう思われようが、そんなのなんだっていいじゃん。オレたち2人が楽しかったら、それで」


その瞬間、その言葉が俺の胸に突き刺さった。

まっすぐに俺を見つめる矢吹のまなざしには、一切の迷いがない。


「それに、案外椎葉が思ってるほどでもねぇよ?」


矢吹は俺にアイコンタクトを送る。

それを受けて辺りを見回してみると、俺たちのことを見ている人なんてだれもいなかった。


水族館内と同じで薄暗いレストランの中は、そもそも他のお客さんの表情まではっきりとは見えない。


「あははっ!じゃあ次はここまわろうよ」

「もう〜、そんなに急いで食べるから。だから言ったでしょ、フフッ」


それに俺の耳に聞こえた笑い声も、よく聞いたら俺たちに向けられたものではなかった。


「案外みんな、自分たちのことしか見てねぇんだよ」

「な、なんかそうみたいだな。ごめん、おかしなこと言って」


自意識過剰だった自分が恥ずかしい。


「椎葉はずっと周りには隠してたのか?スイーツが好きなことは」

「まあ…そうだな。男のくせにって思われそうだから」

「そんなの、男も女も関係ねぇよ。好きなものは好きなんだから」


矢吹はパフェにのっていたさくらんぼを口の中へと入れる。


「スイーツ好きなかわいい男もいれば、クールなものが好きなかっこいい女もいる。なにも変じゃねぇよ」

「そうなんだけど、そうじゃない男や女のほうが多いとは思うから」


俺はモテたいから、かっこいい男でいたい。

そう思ってスイーツ男子ということを隠していたし、これまで俺と同じような男子にも出会ったことがなかった。


「だったらさ――」


矢吹はそうつぶやくと、口の中からなにかを出した。

それはさっき食べたさくらんぼのヘタ。


なんと、そのヘタが蝶々結びになって出てきた。


「こんな近くに気の合う男が2人いて、偶然出会った。オレたちってめちゃくちゃラッキーじゃん」


――ラッキー…。


そうだよ。

もしかしたら、好きな人に出会う確率より低いかもしれない。


「オレは、俺の知らない椎葉を知れてうれしい」


矢吹の言葉が胸に響く。

俺が、周りは知らない矢吹を知ってうれしいように、矢吹も俺のこと…そんなふうに思ってくれていたんだ。


「ありがとう、矢吹」


俺はパフェを頬張った。

すると、それを見た矢吹がクスッと笑う。


「椎葉、ここっ。クリームついてる」


そう言って、自分の口元を指さす矢吹。


「へ?ここ?」

「違う違う、反対」

「このへん?」

「もう少し下」

「え〜…、もうどこだよ〜」


ぷぅっと頬を膨らませる俺を見て笑う矢吹が、握っていた自分のロングスプーンを俺のほうへと向けた。


「だから、ここだって」


俺の口元を撫でるようにしてスプーンを滑らせる矢吹。

見ると、矢吹のスプーンの上に白いクリームがのっていた。


「はい、あーん」


そう言われたものだから、俺は反射的に口を開けた。

その口の中へ、矢吹がクリームのついた自分のロングスプーンを差し込む。


ふと、ロングスプーンを握る矢吹と目が合った。


…この状況。

よくよく考えたら、俺が矢吹に食べさせてもらってるみたいな――。


想像するだけで、一瞬にして俺は顔が熱くなった。

暗がりでわからないとはいえ、きっと頬を真っ赤にしていることだろう。


そんな俺のことを悟ったのか、矢吹は人差し指を自分の口元にあてた。


「シッ。だから、心配しなくたって大丈夫だって。みんな自分のことしか見てないから」 


ドキドキしながら視線だけ周りに向けると、矢吹の言うとおりだれもこちらを見ていなかった。

みんなそれぞれのおしゃべりに夢中だ。


「そうだな」


俺も自然と笑みがこぼれた。


この席を取り巻くこの空間は、俺たちだけのものだ。



「は〜、さすがに腹いっぱい!」


俺は、飲み干したカップをコースターの上に置いた。

向かいに座る矢吹も、名残惜しそうに残りのカフェモカを飲んでいる。


「なあ、椎葉」

「ん?」


水槽を眺めていた俺が振り返ると、矢吹がそっとカップから口を離した。


「オレの前では嘘つかないで」


俺を瞳に映す矢吹の視線から目が離せない。


「スイーツ好きな話もそうだけど、ランチプレートを食べる前、本当は写真撮りたかったんだろ?」

「…え、あ…ああ、…まあ」


やっぱり、どうやら矢吹にはお見通しだったようだ。


「素直に言ってくれたらよかったのに。いや、べつに自分の分の料理の写真を撮るくらい、自由にしたらいいのに」

「だ、だって、女子っぽいだろ…?矢吹、引くかな〜って思って――」

「引かねぇよ!そんなことで、椎葉のこと引くわけねぇだろ!」


突然矢吹がテーブルを叩いて立ち上がるから、俺は目を丸くして驚いた。

さすがにこれには、周りの席のお客さんもこちらを見ていた。


「矢吹…!みんな見てるから」

「わ…わりぃ」


矢吹はパーカーのフードで顔を隠すと、おずおずと席に座り直した。

どうやら、自分でも思いがけず大きな声を出してしまったようだ。


「とにかく、椎葉がなにをしようとオレはなんとも思わねぇよ。むしろ、いろんな椎葉の一面をもっと知りたい」

「…矢吹」

「だから、オレの前では素のままでいて。オレがこうして、椎葉に本当の姿をさらけ出せているように」


そう言って、矢吹が俺の頭の上にぽんっと手を置く。

そして、わしゃわしゃと頭を撫でられた。


「や…矢吹!やりすぎだって…!」

「いいだろっ。かわいいんだから」


俺、矢吹から年下みたいに思われてるのかな。

だって、さっきから矢吹の言う“かわいい”って、“かわいい弟”みたいな意味で言ってくれてるんだよな?



レストランから出ると、俺たちはまだ見れていない残りのエリアをまわった。


男2人で水族館なんて嫌がるかなと思ったけど、楽しむ矢吹を見て俺もうれしくなった。


きてよかった。

そう思えた。


最後にやってきたのは、深海エリア。

深海魚が展示されていて、館内で最も照明が暗く設定された場所だ。


隣を歩く矢吹の顔でさえも若干見えづらい。


「深海魚って不思議だよな」

「そうだな。こんなやつが海の底にいるんだよな」


俺たちは、ひとつひとつの水槽を見てまわった。


「矢吹、見てみろよ。この魚、変な顔してる!」

「ほんとだ。でも、なんかちょっとかわいいかも」


ぶよっとした顔が潰れたような魚を見て笑う俺と矢吹。

隣の水槽に移ったとき、さっき俺たちが見ていた水槽にカップルがやってきた。


「見て見て!この魚、変なの〜」

「なんだよ、こいつ!希子、飼ってみてよ」

「えっ…。買うならカクレクマノミがいいな」


仲よさそうに水槽を覗き込むカップル。

しかし、そのときの俺は一気に額から汗がにじみ出ていた。


…“希子”?


聞き覚えのある名前に、そうっと顔を向けると――。

水槽の照明に照らされたその顔は、なんと愛奈ちゃんの親友の高田さんだった!


日曜日の人気の水族館。


知り合いに会う確率は0%ではないとは思っていたが、まさか同じ学校の、しかも同じクラスの人がこの水族館にいるだなんて…!

それに、高田さんの彼氏って青峰高校の1つ上の先輩だったよな…!?


もし2人が今のダウナー系男子の矢吹に気づいたら――。

きっと明日には学校中の噂になっているに違いない。


でも、俺でもぱっと見はすぐに矢吹に気づけなかったから、意外と出くわしても大丈夫だったりするのか…?

でも、さすがに声で矢吹とバレるか。


騒がれるのが苦手で、矢吹は地味男子と偽って姿を隠してるっていうのに、こんなところで学校のやつらにバレるわけにはいかない。


「ねぇ、隣の水槽も見ようよ」

「ああ」


…ヤバイ!

高田さんたちがこっちにくる…!!


「椎葉。さっきの魚気になるから、やっぱりもう一度――」


今そっちの水槽に戻ったら、高田さんカップルとすれ違う…!


俺は矢吹の口を防ぐと、とっさに壁の陰に隠れてしゃがみこんだ。


――ここが深海エリアの暗い部屋でよかった。

顔と同じくらいの高さにある水槽にしか目が行っていない高田さんカップルは、すぐそばの壁の陰にしゃがみこんでいる俺たちには一切気づかず、俺たちの前を手をつないで通り過ぎて行った。


「…あ。もしかして、…あれって高田さん?」


ようやく高田さんに気づいた矢吹が声を漏らす。

でも声が聞こえるといけないから、俺は矢吹の口元を塞いだまま。


息を殺して、高田さんカップルが遠ざかっていくをやり過ごす。


「次のところ行こっ」


高田さんカップルが深海エリアを出ていったのを確認して、やっとのことで安堵して大きなため息をつく。


「…危なかった〜。危うく、矢吹がバレるところだった」

「椎葉、お前…」


体と体が触り合うくらいの距離で、俺たちは声を潜めて話す。


「なに驚いた顔してんだよ、矢吹」

「だって、こんな必死になって隠れなくたって――」

「必死になるに決まってるだろ。矢吹の本当の姿は、俺だけの秘密なんだから。矢吹がそう言ったんだろ?」


俺は、あの日の会話を思い出す。


『だから…。オレの秘密、みんなには内緒な』

『お、おう…!絶対だれにも言わない』

『ありがとう、椎葉。2人だけのヒミツってことで』


ああ言って、約束したんだから。


「だから、矢吹の秘密は俺が全力で守ってみせるから」


そう言って、俺はニッと笑ってみせた。

暗がりでそれが矢吹に見えているかはわからないけど。


すると、突然矢吹が俺に向かって腕を伸ばしてきた。

左手は俺の背中にまわし、右手は俺の後頭部にやさしく添える。


見つめる矢吹の顔が近づいてきて――。

ドラマでよく見るシチュエーションに、思わず俺はドキッとした。


これは…!

もしかして…、キ…キキキキキキキキ……キス!?


とっさにギュッと目をつむると、予想に反して唇にはなにも当たらなかった。

気づいたら、俺は矢吹のたくましい腕に抱きしめられていた。


「ありがとう、椎葉」

「お、お礼なんかいいって…!」


だれかにハグされたことがなかったから、…正直恥ずかしい。

でも、嫌じゃなかった。


男同士だって、ハグくらいするよな。


それにしても、一瞬でも矢吹にキスされるかもなんて考えてしまっていた俺…バカだろ。



帰りの電車。

俺たちは、窓からオレンジ色にまぶしい夕日を眺めていた。


「椎葉、今日は誘ってくれてありがとう。楽しかった」

「ほんと?矢吹が喜んでくれたのならよかった」


今日はたくさん矢吹の笑った顔を見ることができて、いっしょにいて俺もすっげー楽しかった。


「椎葉はこのまま寮に直接帰るんだよな?」

「そのつもりだけど、矢吹は?」

「オレは実家に帰るよ。この格好のまま寮には戻れないしな」


今の矢吹は、ダウナー系男子モード。

寮へ帰るとなると、いつもの地味男子モードに戻らなければならない。


「明日は実家から登校して、それで授業が終わったら寮に帰るから」

「そっか」


このままいっしょに寮に戻れると思っていたから…なんだか寂しいな。

今日の夜は、部屋は俺1人か。


電車は、青峰高校の最寄り駅に到着する。

一旦矢吹とはここでお別れ。


「それじゃあ矢吹、また明日――」


と言って、ホームに降りた俺が振り返ると、閉まろうとするドアから矢吹が飛び出してきた。


「…や、矢吹!?」


突然矢吹が降りてきて、普通にビビった。


〈無理な駆け込み乗車等は危険ですのでおやめください――〉


ほら、アナウンスで怒られた。

絶対矢吹のことだよ。


俺たちがさっきまで乗っていた電車は、そのまま発進して行ってしまった。


「…ど、どうしたんだよ。忘れ物か?」

「違う違う。椎葉に見せたいものがあるのを思い出して」

「見せたいもの?」


首をかしげる俺の顔を矢吹が覗き込む。


「まだ時間、大丈夫そ?」

「俺は、寮の門限にさえ間に合えばいいだけだから、まだ大丈夫だけど」

「そっか、よかった」


矢吹は微笑むと、俺の手を引いて案内した。


連れてこられたのは、歓楽街の中にある矢吹のバイト先のバー。

しかし、バイト先に入るのではなく、その裏の通りへと進んでいく。


そして、ある建物の前で足を止めた矢吹。

しゃがみこんで、ゆっくりとシャッターを持ち上げると――。


「…おおっ!かっけー!」


そこに現れたものを見て、俺は声が漏れた。


矢吹が倉庫のシャッターを開けて俺に見せてくれたものは、艶のある黒いボディのバイク。


「これ…、矢吹の!?」

「ああ。ここ、マスターが所有してる倉庫で、オレのバイクも置かせてもらってるんだ」

「そうなんだっ。それにしても、めちゃくちゃかっけーよ!」

「フフッ、ありがとう」


指紋がついたら大変だから、遠めからまじまじと見つめる。


やっぱりバイクは男の憧れだよな!

俺もいつか、こんなでっけーバイクを乗ってみてーなぁ。


「椎葉!」


すると、後ろから矢吹が俺を呼ぶ声が聞こえた。

振り返ると、俺に向かってなにかが飛んできたから、矢吹のバイクに当たるといけないと思って慌ててそれをキャッチする。


俺がつかんだものは、ヘルメットだった。


「これは…?」


ぽかんとしながら矢吹のほうを見ると、矢吹はフルフェイスのヘルメットを装着していた。


「なにぼうっとしてんだよ。行くぞ」

「行くって…どこに?」

「さっき、『見せたいものがある』って言っただろ」

「…え?見せたいものって、このバイクのことじゃ――」

「違ぇよ、なんの自慢だよ。こんなんじゃなくて、もっとすごいの」


…すごいの?


「早く行こうぜ」


矢吹に急かされ、俺は不慣れにもヘルメットを被った。


「ど、どこに足を乗せたらいいんだ…?」

「足はここ」

「じゃあ、どこに捕まれば…」

「慣れてないなら、ひとまずはオレの背中にしがみついたらいいから」


矢吹がそう言うものだから、俺は遠慮なくギュッと矢吹の背中を包み込むようにして腕をまわした。


「…ちょっ、椎葉。いくらなんでも引っ付きすぎだって。もう少しゆとりを――」

「だ、だって…!俺、バイクに乗るのなんて初めてだから…!ちょ、ちょ、ちょっと…ビビってる」


本当はかっこよく矢吹の後ろに乗りたいところだけど、こわいものはこわい…!


べつに笑われたっていい。

矢吹が言ってくれたから。


『オレの前では素のままでいて。オレがこうして、椎葉に本当の姿をさらけ出せているように』


だから、俺もそのままの俺でいる。


それに矢吹なら、どんなに情けない俺を見たとしても絶対に笑うはずがない。


「じゃあ、椎葉があんまりこわくないように、いつも以上に安全運転で行くから。少しの間だけ、我慢できる?」


背中にしがみつく俺を振り返りながらやさしく矢吹が問いかけ、それに対して俺はブンブンと首を縦に振った。



バイクで走ること、30分。

太陽はすっかり沈んでしまって、月が顔を出そうにも今日は分厚い雲が空を覆っていた。


バイクは歓楽街を抜けてそのまま突き進んでいき、走り続けていると徐々に車通りが少なくなってきた。

街灯もまばらになって、空が暗い分まるで闇の中を走っているようだった。


矢吹はそんな明かりのない空を見上げて声を発する。


「いい感じ」


その言葉の意味が俺にはわからなかった。

そもそも、矢吹がどこに向かっているのかもわからない。


急にひんやりとした空気に変わったと思ったら、山道に入っていた。


「寒いか?」

「ううん、大丈夫」


俺は、再度矢吹の背中に抱きついた。

ほら、こうしたら温かい。


「着いたぞ」


矢吹は、周りにはなにもない山頂にある駐車場にバイクを止めた。


きれいとは言い難い公衆トイレと明かりに吸い寄せられた虫たちが舞う自動販売機がぽつんとあるだけ。

おそらく、明るい時間帯には山道の運転に疲れたドライバーが休憩に立ち寄ったりする場所なのだろう。


「こんなところに、…見せたいもの?」

「ここじゃねぇけどな。あっち」


そう言って、矢吹はスマホのライトを頼りに雑木林の中へ入っていった。

闇雲に歩いていくわけではなく、昔はハイキングコースだったようで、思ったよりも歩きやすかった。


そうして、雑木林を抜けて開けたところで前を歩いていた矢吹が足を止めた。


「これが、椎葉に見せたいもの」


そう言って俺のほうを振り返る矢吹の後ろには、まばゆいばかりの光の海が広がっていた。

その夜景のあまりの美しさに、俺は息を呑んだ。


「…すっげーーー!!!!」


そして、ワンテンポ遅れて感嘆の声が漏れた。


感動して小走りで駆け寄る俺の手を、なぜか矢吹が握った。


「足元悪いから、あんまりはしゃぐと危なねぇから。気をつけて」

「は…はいっ」


矢吹の注意を聞き入れ、俺は矢吹の隣で夜景を眺めた。

俺たちが暮らす街並みが、光の粒となってきらめいている。


「今日は月も出てないし、とくにきれいに見える」


暗がりでも、矢吹の微笑む顔がうかがえる。

ここへくる途中で、矢吹が空を見上げながら『いい感じ』とつぶやいたのはこのためだったのか。


有名な夜景スポットは人が多いだろうけど、ここには俺たち以外だれもいなく、聞こえるのは虫の音だけ。

静かに、そしてゆったりとした時間に包まれながら夜景を堪能することができる。


「ここって、矢吹が見つけたのか?」

「そう言いたいところだけど、マスターに教えてもらって一度連れてきてもらったんだ」

「へ〜、そうなんだ」


こんなところ、バイクか車じゃないとこれないもんな。

免許も持っていない今の俺には、絶対にこれないような場所。


しばらくその場で夜景を眺めたあと、矢吹がバイクで寮まで送ってくれた。

寮付近でだれかに矢吹を見られるとマズイから、少し離れたところで降ろしてもらった。


「送ってくれてありがとな、矢吹。夜景、すっげーきれいだった!」

「オレも、マスターに連れてきてもらった以来だったから、久々に見たら改めて感動した」

「そうだったんだ。まあ、あんなにきれいなんだからな」


俺はバイクから降りてヘルメットを外すと、それを矢吹に手渡した。

すると、なぜだか矢吹は俺の手を包み込むようにしてヘルメットに手を添えた。


「夜景を見たときのあの感動をだれかと共有したくて、次くるときは“大切な人”を連れてこようって決めてたんだ」


そう言って、矢吹が俺をまっすぐに見つめた。

その視線になぜだか俺の胸がドキッとする。


「え…、えっと。…矢吹、今のって――」

「オレ、行くな。おやすみ、椎葉」


矢吹はフルフェイスのシールドを下げると、バイクのエンジンを噴かせて颯爽と夜の街へと消えてしまった。


今日は矢吹と水族館に行って、夜はサプライズで夜景にも連れていってもらって、めちゃくちゃ楽しい1日だった。

新しい矢吹の一面を見たり、俺も矢吹に素を見せることができるようになった。


――それにしても。


『次くるときは“大切な人”を連れてこようって決めてたんだ』


あの意味は、いったいどういうことだったのだろうか。



なあ、矢吹。

お前の……“大切な人”ってだれのこと?