王家の紋章のついた白い馬車に乗ると、私の隣に座りミカエルが心配そうに私の赤い頬を撫でてきた。

 彼の手のひらから伝わる高めの体温に、なぜか頬の痛みが増した。

「ルシア⋯⋯大丈夫かい? それにしても試験は凄かった」
「私たちの婚約は解消ね。どちらにしろ、姉と弟だから婚約は不成立だけど⋯⋯」

 ミカエルが急に骨が折れるような強い力で私を抱きしめてきた。

「ルシア⋯⋯だからなの? 僕との婚約を破棄したかったのは⋯⋯」
「違うわ。ミカエルは不貞を働いた父親に対して怒りは沸かないの?」

 スグラ王国は周辺諸国とは異なり、一夫一妻制をとっている。
 それゆえに女性の権利が保証されていると、優秀な女性を集められている。
 他の周辺諸国とは異なり、不貞行為に対しては厳しい目を向けられる。
 
「いや⋯⋯父上は元からセリーナ・ミエーダ侯爵夫人が好きで、国の為に母上と政略結婚した。気持ちが抑えられなかったのは仕方がない事かと⋯⋯」

 私は自分とミカエルの決定的な価値観の違いに気がついた。
(気持ちばかりは仕方ないと親の不倫を許す自分が、心が広いとでも思ってるのかしら⋯⋯)

「もし、ミカエルのお母様のエミリアン王妃殿下が他の男性と通じていても、仕方がないと片付けられる?」

 私の言葉にミカエルは押し黙った。
 結局、男の浮気は許せても、女の浮気には拒否反応があるのだ。

「ミカエル⋯⋯たとえ姉と弟ではなくても、私はあなたとの婚約は破棄したわ」
「だから、どうして! ルシアと僕は10年も仲良くやってきたのに!」

 ミカエルはルシアに拒絶されるのが、それほど嫌なのだろうか。
 彼に私の考えを説明しても、理解できるかは怪しい。

 そもそも彼には根底に男が上、国王のやることは絶対だという価値観がある。
 それは身分制度のない異世界から来た私には理解し難い。

「あたたと結婚したら上手くいかないわ。だって、あなたが自分と私を対等に思ってないじゃない」
「僕は本当に心からルシアを愛していた⋯⋯」

 彼も私を理解できないが、私も彼を理解できなかった。
 姉と弟と分かる前ならともかく、今、愛の告白をすることに意味などない。
 
 私は男には殊更冷たい目を向けてしまうようになっていると自分でも気がついていた。
 それでも、ルシアに愛を語りながらアリスに傾くルートを持っている彼の言葉は薄っぺらく感じた。

「それは、愛情と性欲を勘違いしただけでしょ」

 私はゲームでミカエルがアリスへの真実の愛に目覚めた時、ルシアへの思いは性欲の勘違いだったというセリフがあったのを思い出した。

 正体を知らずに姉と弟が出会うと惹かれあったりすると本で読んだことがあるが、本物のルシアはミカエルが自分の弟だと知っていた。

 おそらく本物のルシアもミカエルを弟としか最初から見ておらず、彼と結婚する未来に悩んでいただろう。

「酷いこと言うんだな。僕の気持ちを勝手に決めつけて、僕は君を対等に見て将来のパートナーとして愛してたのに⋯⋯」

 私の言葉にミカエルは傷ついたらしい。
 彼の愛を語る言葉と、彼が心の内で思っていることが一緒だとは思えない。

 私は男が雰囲気で話す言葉を疑うようになっている。
 だから、彼を慰める気には全くならない。
(これも柊隼人の呪縛だって分かってる⋯⋯)

「対等に見てないことに気がついていない時点で、スグラ王国はあなたの治世でも女性の権利は保証されなそうね。早く、私を国外追放してほしいわ⋯⋯」

 私はこの世界において、友情エンド以外の全ルートで国外追放になる身だ。

「国外追放って⋯⋯そんなに、アルベルトが好きなの? どうして? 僕とずっと一緒にいたじゃないか」

「じゃあ、王太子としてスグラ王国を男女平等の国にしてみてよ」

「スグラ王国は既に男女平等な国じゃないか⋯⋯そんなに、この国が嫌いならルシアが女王になって変えてみたら」

 政治の中枢を担っているのも男だらけで、男が女の権利を認めてやってると踏ん反り返ってるこの国のどこが男女平等なのか。

 既にミカエルは自分が立太子していて、正式に次期国王とされている。

 それなのに、私に女王になればなどと口先だけで不可能なことを言ってきて気分が悪い。
(弟という事実がなくても、私が彼を好きになることはなかっただろうな⋯⋯)

「ミカエルは王太子の座を、私に譲る予定でもあるの? 場当たり的に適当なことばかり言うのね。ほら到着したみたいよ」

 押し黙ったミカエルは、当然、王太子の座を譲るつもりなどないのだろう。

 夜の王宮が真っ暗な中に白く浮かび上がっている。
 せっかく、寮に入って勉強時間を作ろうと思ったのに、明日から通学時間がかかると思うとがっかりした。

 ミカエルが先に馬車を降りて、私をエスコートしようと手を出してくる。

 私は彼の指先に自分の指先を重ねた。
「カイロス国王陛下から、話があるらしいから案内するよ」
 彼の碧色の瞳は揺れていた。

 よく考えれば、彼も突然婚約者が姉だったと聞かされたのだ。
(できるだけ動揺を悟られないようにしてるだけで、かなり動揺してそうね⋯⋯)

「ミカエル、これからは姉と弟して宜しくね」
 私が微笑みながら語りかけたが、彼は無言で目を逸らした。

 玉座までたどり着くと、カイロス・スグラ国王とミカエルの母であるエミリアン王妃が座っていた。
 金髪碧眼のミカエルそっくりのエミリアン王妃は俯いている。
(夫が不貞行為をして、隠し子がいた事を急に知らされたんだから当然だわ)

 カイロス・スグラ国王が手で合図をして、人払いをした。

「ルシア⋯⋯余の唯一の子よ。略式だが、これよりお前を立太子させる儀式を行う」

 私は思わず、ミカエルと顔を見合わせた。
 ミカエルも予想外のカイロス国王の言葉に驚き、動揺している。

「父上⋯⋯一体何を⋯⋯」

「ミカエル⋯⋯お前は余の子ではない。ローラン王国に婿入りした余の弟サンタナ・ローランの子だ。余は1度も王妃とは床を共にしていない」

「あ、あぁ⋯⋯ごめんなさい。ミカエル⋯⋯セリーナ・ミエーダ侯爵夫人が陛下の子を妊娠したんじゃと怖くて、私は⋯⋯」

 突然、エミリアン王妃は泣き崩れた。

 理解が追いつかないが、ミカエルをカイロス・スグラ国王の子と偽装したと言うことだ。
 しかしながら、一度もエミリアン王妃と床を共にしていないカイロス国王は彼女の嘘に気がついていたはずだ。

「そんな⋯⋯そんなのって⋯⋯」

 震えながらミカエルは膝をついた。
 顔が真っ青で今にも失神しそうで可哀想になる。
 彼も知らなかった事実のようだ。

「王妃が不貞行為をしていたなど知れたら、王家は求心力を失う。だから、ミカエル⋯⋯表向きは余を父と呼ぶことを許そう。王子としてルシアを支えるが良い」

 カイロス国王が当然のように話す言葉に苛立つのは、私が現代の価値観を持っているからだ。

 結婚したのに妻を抱かず、元恋人との不貞行為の末に子まで作った彼こそが責められるべきではないだろうか。

「国王陛下、何か王妃殿下やミカエル王太子殿下に仰ることはないのですか? 一夫一妻制の国で、夜伽がないのに世継ぎを望まれ追い詰められた妻の不安に寄り添ったり、これまで血筋を偽っていた事を子に謝罪するのが筋かと存じますが」

 私は身分制度のある国で、国王に物言いするなんて許されないと分かっていた。
 それでも言わずにいられないのは、私がカイロス国王への不快感を抑えきれそうにないからだ。

「余に謝罪しろと言っているのか? ふっははっ! ルシア、お前は王妃教育で何を学んできたんだ」

 本物のルシアは王妃教育を受けてきたからもしれないが、私は受けていない。

「王妃教育とは男性は何をやっても許されて、女性は我慢するべきという教育でしょうか」

 私の言葉にカイロス国王が顔を顰めた。
 無言の圧力⋯⋯今、言った言葉を私自身に訂正しろということだ。

「私が気に入らないのであれば、やはりミカエルが王太子のまま次期国王になった方がよいのではありませんか?」

「いいえ⋯⋯僕はスグラ王国の国王になるつもりはありません。父上、全てを公表し僕を臣籍降下してください。そして、ルシアとの婚約を継続させてください」

 カイロス・スグラ国王よりも早く、私の言葉に反応したのはミカエルだった。
 ミカエルは突然色々なことがあり、冷静になれていない。
 次期国王にならないのであれば、王子の地位など必要ないと言っているのだ。