早瀬翔吾先生には、人の話を聞くのが上手いと褒められたが、やはりプロは違う。
三郷さんとその後輩である本田陽が雑誌のインタビューを受けているのを、僕は部屋の隅で聞いていた。
「犬尾さんと本田さんは仲がいい先輩後輩と伺っていますが、いつから仲良くされているんでしょうか。」
「きっかけは私がランウェイの選考で落ちまくっていた時に三郷先輩が相談に乗ってくれて。まだ何者でもない私にずっと優しくしてくれてたんです。そこからは定期的にご飯に連れて行ったりしてくれて。私が今こうやってモデルを続けられているのは先輩のおかげなんです」
「そうなんですか! それは大好きになりますよね」
三郷さんと本田陽の前に座った雑誌記者が聞いた内容はごく普通の質問だ。だが、プロのインタビュアーは聞いた時のリアクションが違う。決して過度には思わないが、おそらく的確に質問を受けている側が欲しい反応をとっている。しかも、そこに一切の不自然さはなく、本心なんだと思わせる。だからこそ、答える側もノってくるし、それを聞いている僕もそれぞれの質問と答えに集中することができた。
ここにも僕が吸収すべき点がある。誰かに取材する時に、その人から深く情報を引き出すためには、聞き手の力量を上げなくてはならない。
今まで数度小説のために取材をさせてもらったことがあるが、そんなことを考えたこともなかった。改めて思う。今まで何をしていたのだろうか。早瀬翔吾先生が言ってくれた。目が変わったと。僕の目も、三郷さんやユタカのような、火の灯った目に近づいているのだろうか。
本田陽が、三郷さんの腕にくっつきながらインタビュアーの質問に答えている。その様子を見つめる三郷さんは、妹を愛でるような表情をしていた。
ふと思う。本田陽は、三郷さんがもうすぐ死ぬことを知っているのだろうか。僕が三郷さんと話していただけで睨んできた彼女のことだ。三郷さんがいなくなってしまったら、絶望するのではないのか。少なくとも、三郷さんにくっつきながら質問に答えている本田陽は、三郷さんの死を知っているようには見えなかった。
二人ともこういった取材の機会には慣れているのか、その後もつつがなく取材は進んでいく。
タイミングが良すぎるのか悪すぎるのかは知らないが、分かっていて三郷さんは僕をこの場に呼んだのだろう。モデルである本田陽が初主演する映画のあらすじが奇しくも「大切なものを守るために自らが犠牲になり、徐々に感覚が失われて、最後は植物状態になる話」らしく、雑誌記者からは、それにちなんだ質問が出てくる。
「いろんな感覚――例えば五感のうち、一番失いたくないものはなんですか」
その質問に本田陽が答える。
「味覚ですね。美味しいものを食べることが人生の大きな楽しみなので」
「なるほど、一年前のインタビューでも食べることがストレス解消とおっしゃっていましたもんね。では犬尾さんはいかがでしょう?」
「私は……視覚ですかね、やっぱり演技をするとなった時、一番頼りにしているのは視覚情報なので」
三郷さんはなんともない表情で回答しているが、心中はどうなっているのだろうか。寿命が近づいている彼女にとって核心をつくような質問にも、特段大きな反応をせず普段通りの様子で応じている。これが女優というものなのだろうか。
三郷さんの心中を知り得ないインタビュアーの女性も、二人の出演作や、過去の雑誌のインタビューのことを取り上げながら、相槌を打っている。
「続いて、お二人は「大切なもの」と「自分の健康」の二択があったらどちらを選びますか?」
「比べられないですね……でも、私は大切なものを」
三郷さんは、すらすらと流れるように回答していた。その三郷さんの回答を、インタビュアーは感心したように聞いている。
僕が気づいたのはたまたまだ。けど、ほんの少し、三郷さんの声に違和感があるように思えた。気のせいかもしれない。
普段の彼女と少し違う。本田陽といるからか、ラフに質問に答えていた三郷さんの中で、演技のスイッチに手が触れたみたいな。完全に切り替わっているわけではないし、ただ僕が三郷さんの寿命を知っているから邪推しているだけかもしれないけど。本田陽も、その回答を聞きながら、不思議そうな表情をしているように見えた。だが、三郷さんの回答が終わり、自分の番が来ると、切り替えたように「私は、犠牲にならずに守りますけど」なんてかっこいい台詞を言っていた。
取材が一区切りつき、メイク直しと写真撮影の時間、一旦僕は用意された待合室で待機していた。机には高級な洋菓子がこれまた高級そうな陶器でできたプレートに並べられていて、三郷さんと本田陽を歓迎する気持ちで溢れている。僕でも名前の聞いたことのあるショコラティエの名前が書いてあり、思わず涎が垂れそうになる。
とはいえ、彼女たちへの差し入れを食べるわけにもいかないので、手持ち無沙汰のまま先ほどのインタビューの中にエッセイにつながりそうな話題がないか思い出していた。すると、コレクションの時とは違い今回は先に本田陽が現れた。
「お疲れ様です」
僕は彼女に軽く頭を下げる。
「お疲れ様です」
取材中も僕は同じ部屋にいたし、今回は睨まれなかったが、その後の会話が続かず気まずい空気が流れる。その張り詰めた空気を破ったのは、本田陽の方だった。
「水間さん」
「はい」
彼女がゆっくりとこちらに歩いてきて、顔をずいと近づけられる。
「知ってるんですか? 水間さん」
その言葉と距離に、急激に心音が跳ねる。
「ええと」
知ってる? 何を? まさか三郷さんが死ぬということをだろうか。
いや、そんなわけはない。少なくともさっきのインタビューを見ていると、彼女が三郷さんの寿命を知っているようには感じなかった。どう答えるのが正解だろうか。
「……知っている? 何をですか」
僕は、わけが分からないというふうに取り繕う。女優じゃないから、上手く誤魔化せていないかもしれないけど。
「分からないんですか? 先輩と仲良いのに」
まさか。彼女は、三郷さんのことで何か知っている事がないのかと訊いてきている。
「……どういうことですか」
「いや、知らないならいいんですけど」
それだけ言って彼女が黙り込むから、また重たい空気が待合室に漂う。
しばらくした後、彼女はほんの少し表情を柔らかくして口を開いた。
「ちゃんと口堅いんですね」
「へ?」
「すみません、犬尾先輩の寿命のこと、水間さんが知ってると分かってて聞きました」
僕は試されたということか。
「あ、一応言っておきますが、今の質問は私が勝手にやったことなので、先輩が水間さんを試そうとしたわけじゃないですよ」
聞いていないのにわざわざしてくれた弁解に、彼女の三郷さんに対する想いが感じられる。まあ、言われなくても三郷さんがそんなことをするわけがないと知っている。彼女は、おそらく僕から情報が漏れても、それが自分が選んだことだから、なんて言いそうだ。だから、僕はお礼を言う。
「ありがとうございます」
「なんのありがとうですか?」
本田陽が不思議そうに首を傾ける。
「三郷さんの代わりに」
そう言うと、彼女は目を丸くし、そして子供みたいな笑顔になる。彼女の笑顔は、本屋に並んだ雑誌の表紙や三郷さんと一緒にいる時のものしか知らなかったから、やけに新鮮だった。
「いえいえ……こちらこそごめんなさい、試すような真似をして」
「それはいいんだ。それより、知ってたんですね」
コレクションの後、僕が理解できなかった三郷さんと本田陽の会話は、そういうことだったのか。時間は有限という話。
「はい、随分昔から。水間さんと先輩が出会う前よりずっと前から知ってました」
言葉に棘は無くなったものの、そんなマウントを取られる。
マウントは置いておくとして、目の前の彼女は、僕の予想に反し、三郷さんの寿命を知った上で先ほどの質問に答えていたということか。だとすると彼女もよっぽど演技派だ。
本田陽も映画の主役に抜擢されるわけだ。
「そうか……」
三郷さんの腕につかまりながら楽しそうにインタビューに答えていた時、本田陽はどういう気持ちだったのだろうか。
「一つ、訊いていいですか?」
「内容によります」
「じゃあ、もし答えられたらでいいんで……その、なんで、そんな受け入れたみたいにインタビュー答えられるんですか」
「受け入れた?」
僕が訊いた質問に、彼女の顔が一気に険しくなる。
「私が?」
その表情に、気圧される。
「私が受け入れているように見えますか」
「いや……」
思わず否定してしまったが、三郷さんの死を知った上でのあのインタビューだ。受け入れているとも取れてしまう。
「受け入れられてるわけないじゃないですか」
彼女の拳は硬く握られて震えている。僕が謝る前に彼女は続ける。
「なんで三郷先輩がって何回も思いました。私のことを救ってくれた三郷先輩がなんでこんな目に遭わないといけないのかって。そりゃ、契約してしまった先輩も先輩なのかもしれません。けど……先輩はすごいんです。先輩は契約なんかなくても有名になれたはずなんです。けど……けど、そんなこと言ってもどうしようもないから」
彼女も一度しか契約ができないことを知っているのかもしれない。その目が強く光る。
「……だから決めたんです。もし……先輩がいなくなっても……私は、日本を代表するモデルになる。世界を代表するモデルになって、三郷先輩のおかげで今の私があるんですって、そう言い続けるんです。実は」
続く言葉に、僕は息が止まる。
「私も出会ったんです」
まさか。
「悪魔にあった事があるんです」
「え……」
そんな……悪魔は普通にいるのだろうか。
僕の戸惑いを受けた彼女が頷く。
彼女の双眸は、三郷さんが寿命のことを話してくれた時と同じように、嘘を言っているようには見えなかった。
「ずっと出たかったコレクションの出演が決定した日に現れたんです。それで私に契約を持ちかけてきた。目を疑いましたよ。三郷さんから話を聞いていたとはいえ、まさか自分にもそんな事が起きるなんて思ってなかった、し、それまで心のどこかでは半信半疑だったんです」
「……どうしたんですか、それで」
僕は恐る恐る聞く。彼女は、契約したのだろうか。
「契約ですか? しませんよ。だって、私は三郷先輩をこの世に残すために生きるって決めてましたから」
理解しきれていない僕の表情を見て、彼女が説明してくれる。
「私が有名になった後、生きている時間が長ければ長いほど、三郷先輩のことを世間に思い出させることができる機会が増えますから。私は、超人気のモデルになって、その後の時間をなるべく長く過ごさなくてはならないんです。その時間を精一杯使って、私は三郷先輩のおかげでここまで来れたんですって世界に発信し続けるの」
そう言い切った本田陽の目には、これまで関わった敬うべき人々の目と同じ覚悟が灯っていた。
そうか。そういう世界への残し方、というのもあるのか。本田陽の言葉を聞き、脳内に閃光が走った気がした。
「びっくりしたんです」
彼女が語り出す。
「私も、教えてもらったの、二年前とかのことだったから」
さっきのインタビューの中で、三郷さんと彼女が出会ったのは、四年前のことだと話していた。
「水間さんと三郷先輩が出会ったのって、最近のことなんですよね。だからそんな関係値の人に寿命のこと話すなんて、正直驚きました、し、少しイラついた。ほんの少しだけ」
少しではない。めちゃくちゃ睨まれたあの時の怖い顔は忘れられない。
「けど、先輩が好きな本の作者だって知って納得しました。先輩から水間さんが書いた本を好きだってことを伝えたと聞きましたけど、もしお世辞だと思ってたら先輩が可哀想だから言いますね。先輩、ずっと水間さんの本を鞄に入れてるんです。私が落ち込んでる時も、その本を読めって貸してくれて。それこそその本の作者に」
そこで言葉を切り、彼女は小さく咳払いする。作者は僕だ。
だから、その明らかに怪しい切り方は、あえてだろうか、それとも思わずだろうか。でも本田陽はそれ以降の言葉を言ってくれなかった。
「いや、それはいいや」
そんなふうに区切りをつけ、本田陽は僕の前に座る。そして、机に置かれた高級そうなパウンドケーキを手に取った。
「食べます?」
小腹が空いていたから思わず「いいんですか?」と呟くと、彼女はプレートごとこちらに向けてスライドさせた。
「どうぞ。私は食べられないので」
「苦手なんですか?」
これが記者側から用意されたものなのだとしたら、二人の好みは把握され、それに合わせたラインナップになっているはずだ。食べられないという言い方に疑問を持ち、聞くと、
「体型維持のために食べる糖質の量決めてるんです。午前中にケーキを食べないといけない仕事があって、だから今日はもう食べられないんです。だからむしろ食べてくれた方がありがたいので」
そんなストイックな回答が返ってきて、僕は感心する。やはり、三郷さんがトップモデルと言うだけのことはある。
その感情が表に出てしまったからか、彼女が僕の様子を見て変な顔をするから僕は切り替えてお礼を言った。
「ありがとうございます。いただきます」
いくつかの種類の中から一つを選び袋を開けると、カカオの芳醇な甘い香りが広がる。
「それより、どうですかエッセイは。順調ですか?」
彼女は僕のことを少しは認めてくれたのだろうか。その質問は僕が執筆することを受け入れたようにも聞こえる。
「どうだろう。ちょっと方針はできてきたけど」
彼女の出演作を鑑賞し、岩盤浴で彼女の思いを聞き、早瀬翔吾先生と会話した上でインタビューを見て、少しずつ、イメージが浮かんできている。
僕の返答を受け、彼女はただ頷いた。その後口を開く。
「私は、三郷先輩のことがめちゃくちゃ好きなんです」
そりゃ、本田陽が三郷さんと話している時の様子を見ていればそんなことは分かる。「で、先輩は水間さんの書いた物語を愛している」
急にそんな言葉を使うから、僕はパウンドケーキが口に入った状態で思わずむせる。
「物語を、ですよ」
僕の反応を見て、彼女から胡乱げな目を向けられる。
「だから、水間さんが先輩のエッセイを書くことに反対とかはしていません。そもそも先輩の決めたことに私が意見を挟むのは筋違いですし。本当のことを言うと、私が死ぬ気で書いてあげたいくらいなんです。でもそんなことは出来ない。そんな技術は私にはないし、小説家として積み上げてこられたものがある水間さんに、私がそんなことを言うのは烏滸がましい」
彼女の発言は、一つずつ努力を重ねることの大変さを理解している人の言葉だ。
その努力を結果として結んでいる彼女にそんなふうに言われたら正直悪い気はしないけれど、弱小作家である僕が積み上げてきたのは小さな積み木でしかない。だから、もっと、大きくて有名な建築物を建てている人に頼むべきだと思い、ユタカに相談したのだ。
「筋違いだし、烏滸がましいって分かっているけど、でも、言わせてください」
口角の強張りで、彼女が口を閉じるたびに歯を食いしばっているのが分かる。目頭をぴくつかせながら、訥々と言葉をつむぐ。
「お願いですから、最高のものを書いてください」
その表情と声から、彼女のやるせない思いが伝わる。
「先輩が、エッセイを書くことを決めてよかったって思えるように、どうか、お願いします」
苦しそうに目を伏せ、拳を握り締めている本田陽の雰囲気に怖気付きそうになる自分がいる。
けどもう、僕にだって、少しかもしれないけど覚悟はある。
「本田さん、安心して」
彼女が顔を上げる。
「僕がこれまでに積み上げてきたのはそれほど大きいものじゃないかもしれないけど、でも」
尊敬できるみんなの覚悟を目の当たりにしてきて、僕も彼女らの横に並びたいと思っている。書きたいものが、ちゃんとある。叶えたい夢が、ちゃんとある。死ぬ気で、なんてことは簡単に言えないけど。
「三郷さんのために、その全てを捧げるつもりだから。少なくとも、三郷さんが好きだって言ってくれた処女作よりも好きにさせる作品を作るから」
そう口にすると、本田陽からは顔の強張りがとれ、静かに微笑んだ。
その後、しばらく彼女から三郷さんのエピソードを聞いていると、三郷さんが現れる。
「なになに、なんか仲良さそう。何の話してるの」
部屋に入ってきた彼女からの質問に、本田陽は悪い顔をして僕の方を見た。
「先輩の魅力について語り合ってたんですよ、ね?」
語り合ってはいない。エッセイのために、僕が教えてもらっていただけだ。
「えー、私モテてるなあ」
それなのに、三郷さんは目尻を下げておどける。弁解するのも無駄に意識しているみたいで恥ずかしいので、僕は何も言わず首を振った。
「二人が仲良くなってくれて嬉しい。これからも仲良くしてね」
そう言って、彼女はけたけた笑っている。その奥に、私がいなくなっても、という言葉が見えた気がして、顔の筋肉が僅かに固まってしまう。が、今はそんなことを考えても仕方がない。
僕は強く思う。死を目前にしても優しい笑顔を見せてくれる素敵な彼女を、犬尾三郷を世間が忘れるなんて許されない。
別の撮影があるとかで本田陽が帰った後、三郷さんが愉快そうな声をかけてきた。
「陽ちゃんと楽しそうに話してたじゃない。最初噛み殺されそうだったのに」
笑い事じゃない。それは三郷さんがちゃんと説明してくれてなかったのが原因なのでは、と思うが、いずれにせよ。
「悪魔って本当にいるんだ」
僕のその発言だけで、本田陽と僕が会話した内容を理解したらしい。彼女は洋菓子の袋をきれいな手で開けながら、僕の方を向く。
「聞いたんだ、陽ちゃんの話も」
「聞いたよ」
「やっぱり仲良くなったんじゃない」
三郷さんがそんなふうにおどけるのは、どうしてだろうか。心のどこかでは、自分の選択を悔やんでいるからだろうか。
二人の前に悪魔が現れたのは、どうしてなのだろうか。彼女たちが他と違う部分は何だろうか。それとも、みんな言わないだけで悪魔は普通にいるのだろうか。
二人とも、夢が叶う直前で現れている。
――夢を叶えてくれる悪魔、か。大学時代の飲み会で誰かが言っていたことだ。
事実、悪魔は夢と寿命の交換を持ちかけてきている。
「けどまあ、陽ちゃんとカオリ君は仲良くなれるって思ってたよ」
「なんで?」
「だって、君たちは似てるから」
「どこが」
トップモデルである本田陽と売れない小説家である僕のどこが似ているというんだろうか?
「どこがだろうね。たぶん今後関わっていったら徐々に分かると思うよ」
まただ。三郷さんは、当たり前のように自分がいなくなった世界のことを話す。僕は彼女のいない世界のことを話すたびに、胸の中に鉛が注ぎ込まれたみたいに重くなる。
「今後関わっていったら、って……」
三郷さんの死ぬという言葉が全て演技で、僕が騙されていたんだとしたらどれだけいいか。
僕の気持ちは彼女に伝わっているはずだ。伝わってしまっているとも言える。
「君は……死ぬんだよね?」
思わずそんなことを口に出してから、後悔する。
三郷さんはその言葉を聞いて、動きを止める。
そして、全てを受け入れた様子で頬を緩めた。
「そうだよ。だから残すの」
美しい顔で、そしてその綺麗な顔に負けないくらい美しい口調で。
僕は反応できなかった。
「また難しい顔して。そんなことより、取材見てもらったけど、なんかネタになりそう?」
そうだ、彼女の言う通り、嘆いていても仕方ない。それより、いいエッセイを作る方が大事だ。僕は彼女に質問する。
「インタビューの時って、前訊いた時その場で考えてるって言ってたけど、その浮かんだ答えが言いづらい事だったらどうするの?」
記者からの質問に三郷さんは流れるように回答していたが、仮に僕が取材を受けるとしても、あんなふうに答えることはできないだろう。まして、自身の抱えているものを想起させるような質問だ。
「言葉悪いかもしれないけど、質問によっては本心を上手く取り繕って答えないといけないんじゃないかって」
インタビューの時は、彼女が本心を答えているわけじゃないと感じたからだ。
「そりゃあそうだよ、インタビューはそんなに無遠慮に本心を語れるわけじゃない」
これまで何十回も取材を受けてきたのであろう彼女の言葉。
「そうじゃなきゃ、さっきのインタビューももうすぐ死にます、とか言って、違う取材になっちゃうよ。そんなことしたら、私のことを大好きな陽ちゃんなんて泣き出しちゃうんじゃない?」
確かにそうだ。
「だからね、自分の中で話してはいけないラインを越えそうな質問が来たら、回答をずらすの。答え方でカバーする。その時のコツは、相手が聞きたそうな別の話を付け加える。満足感がないと追加の質問が来てしまうから。追い討ちは避ける」
「はー、なるほど」
「でも安心して。カオリくんからの質問にだったら本当のことを教えるよ。それがエッセイのためになるんだったらいくらでも、どんなことでも」
だったら、教えてもらう。前にも、同じようなことを聞いたかもしれないが、彼女の事情を知った上で、もう一度訊きたかった。
「じゃあ、本当は……寿命と夢だったら、今から考えたらどっちを優先すべきだったと思ってる?」
「随分意地悪な質問をするね」
彼女は僕をわざとらしく睨んだ後、天を仰ぎながらしばらく唸る。
「うーん、分からないなあ」
「分からない?」
「そう、分からない。今なら、なんて分からないよ」
彼女の視線はなぜか、僕の表情を伺い見るようなものに感じた。
「その時にした判断が全て。選んだ選択の結果がどうなるかなんて、選ぶ時には誰にだって分からないでしょ。私は夢を選んだから今こうやって私を残そうとしているけど、もし夢を選んでなかったら、少なくとも現時点では世の中に自分の存在を残せる可能性さえなかったかもしれない」
納得感があったし、これまで真剣に人生を悩んだ人の答えだと思った。
「じゃあ……はじめ、女優になったときは、何を目標としてた? どうして女優として生きていこうと思ったの?」
今の彼女が目指しているものは知っている。でも、寿命がある今ではなく、過去の彼女の想いを聞きたかった。
彼女はその質問を受け、何か閃いたような顔をした。実際。
「いいこと思いついた」
「いいことって?」
「私の先生に会いに行こう」
「先生?」
「そう、私の人生を変えてくれた人の中の一人。私を女優にさせてくれた先生みたいな人なの。少し遠いけど、エッセイ書くなら話を聞いといて損はないと思う」