私は健太郎さんから距離をとりつつ、彼を見守った方が良いのかもしれない。

 今みたいに一緒にいたら、私は彼を好きになる確率が非常に高い。

 私の危機管理センサーが、アラーム音を発している。

「健太郎さん、引っ越しませんか? 図書館で借りた日本のアニメで、土から離れては生きていけないというセリフがありました。40階は土から離れ過ぎています」

 私は彼の住まいをここから移せないかと考えた。
 1年ほど後に、恐らくこの部屋が出火元の火事が起こるのだ。

「アオさん、昨日、39階に引っ越してきたあなたが言うセリフではないと思いますよ。海外の図書館では日本のアニメが借りられるんですね。どのようなアニメを見てたんですか?」

 彼にごもっともなことを言われてしまった。
 そして、私のことを知ろうとする質問をしてくれたことに嬉しく感じてしまう。

 今まで、私は恋というものをしたことがない。
 でも、恋というのは、自分を知って欲しいという感情なのだろう。

「映画アニメも見ましたが、テレビシリーズのロボットアニメも見ましたよ。健太郎さんの子供時代に見たやつと同じかもしれません」

「俺、ロボットアニメは大人になっても見てしまってます。」

「確かに、日本のアニメには大人でも感動する学びがありますよね。戦争の残酷さも、異なる生まれを持った人間と分かり合う難しさも、日本語も全てアニメから学べます」

 私は自分で言った後、アニメの話をしている場合ではないことに気がついた。

「どうしてタワーマンションの最上階を購入したのですか? 今なら高く売れます。早いところ売ってください。このマンションは投資目的で買っている部屋が多いです。そのうち維持費の問題で絶対に揉めます」

 タワーマンションなんて、先見の明があったら絶対に買わない。

 母はこのマンション内にプール、ジム、エステがあるからここが良いと言っていた。

 夏には花火も見れるから絶対にこのマンションが良いと言ってたのは建前だ。

 母の本音は、白金の実家から遠くに住みたかったからだ。

 私の通う大学に近いとも理由づけしていたが、本音を隠すための言い訳だ。

 日本の花火は確かにすばらしい。

 しかし、花火がもっと見えるマンションは他にもたくさんある。

 母は狂ってしまった自分の母親と、距離を置きたかったのだ。

 彼女は母とは違う自分になりたかったようだけど、地獄の日に確かに彼女も狂っていた。
 父は母の要望をいつも聞いていたから、母を溺愛しているのかと私は勘違いしていた。

「実は東京のタワーマンションに住むのが夢だったんです」

 少年のように微笑む健太郎さんを可愛いと思った。
 胸がキュンとしたのは初めてだ。

 福岡には行ったことがないが、九州の人は心が綺麗だったりするのだろうか。

 無邪気な彼の発言に、自分の心が汚いのではないかと思えてくる。

 彼が「人がゴミのようだ」と言うような人間だったら、絶対に恋をしない自信を持てた。

 39階の我が家でさえ1億円以上はする部屋だ。
 40階のペントハウスは少なくとも2億円はするはずだ。

 一代で成功した彼だが、人が良過ぎてこれからも成功し続けるとは思えない。

 今の彼の成功は、時代が味方してくれた部分が大きかったのだろう。

 でも、私は彼には笑顔でいて欲しい。
 あと、1年で死んでしまう未来などもってのほかだ。

「健太郎さん、自殺するならどういう手段を取りますか?」
 私はここまで彼と関わっていて、地獄の日に見た彼の飛び降りは自殺ではないのではないかと思っていた。
 最初は彼が絶望してやけになり火事を起こし、飛び降り自殺したと考えていた。

 しかし、それは自分勝手な人間がとる方法だ。
 火事を起こしても、飛び降りをしても他人に迷惑がかかる可能性がある。

「アオさん、どうしたのですか? 本当は悩みがあるのはアオさんの方なのではないですか?」
 健太郎さんは私が自殺する方法を探していると誤解してしまったようだ。
 いつになく真剣な表情で私を見つめてくる。

「悩みなどありません。今、私にあるのはやる気だけです。この間、電車に飛び降りた人がいたと聞いて、鉄道会社に恨みでもあるのかと思ってただけです」

 私が歯切れ悪く発する言葉に、彼がますます心配そうにしている。

 電車に飛び込む自殺者は、鉄道会社への損害を考えているのだろうか。

 私は恨みがある相手への復讐は理解できるが、関係ない人への迷惑は軽蔑する。

 私は今、私を散々馬鹿にしてきた寛也や藍子への復讐を計画をしている。

 日本人は何か嫌なことをされても、自分が幸せになればそれが1番の復讐だと思う人が多いらしい。

 でも、私は日本人のメンタルを持っていない。
 私の尊厳を踏みにじった相手には、必ず復讐したい。

「俺ならば、毒を飲んで誰にも迷惑をかけないように死ぬと思います。アオさん、死ぬなんて考えないでくださいね」

 私の手にそっと手を乗せながら言う彼の手が暖かい。
 1年後にはこの手が冷たくなってしまうと思うと、胸が苦しい。