信じられないことに、健太郎さんは私をあっさり部屋に招き入れた。
彼は初対面の人間を部屋に入れるリスクを、全く理解していない。
彼は私に「何でもしてもらう」と言っていたから、すぐに頼み事をしくるものだと思っていた。
でも、彼は私に一向に何も頼んで来ないで世間話をしている。
「アオさん、あなたのことが心配なのです。海外から引っ越されてきたのですよね。日本は久しぶりですか?」
お茶を出しながら、笑顔で話しかけてくる彼は良い人の香りがプンプンする。
私が「お金に困っている」と言えば、怪しい壺でも買いそうだ。
「何でもしてもらう」と言いながらも、彼が私をここに連れてきた目的は明らかに私を心配してのことだ。
確かに自分でも初対面の相手に対して、不自然なほど強引に距離を縮めようとした自覚はある。
今後1年、彼と出会うのは偶然の機会しかない。
少しの機会も活かしていかないと、彼の命は助けられない。
このような良い人が成功者となっているのは珍しい。
おそらく「日本が久しぶりか」と聞かれたのは、私の日本語のイントネーションが完璧ではないからだ。
「私が日本語を完全にマスターしていないという、ご指摘ですね。私は日本語は確かに苦手な部類に入ります。でも、東京生まれで、両親も日本人です。ちなみに健太郎さんの生まれはどちらですか?」
私が海外生活で主に使っていたのは英語だ。
日本にいない時は、家の共通言語はその現地の言葉だった。
中国語、スペイン語も使っていたことが多い。
「俺の出身は福岡です。ちなみに、両親はすでに他界しております」
両親が他界しているということは、彼はそのことで孤独感を抱えている可能性もある。
「健太郎さん、これからは私を母親だと思ってくれても構いません。福岡とは成人式でバラを背負ったような派手な衣装を着る地域ですね」
「それは、北九州です。俺の出身は博多です。アオさん、変わってますね。俺が両親のことを伝えると、みんな余計なことを聞いてすみませんと謝ってきますよ」
同じ福岡県の中にも、違う文化が存在するらしい。
やはり、知った気になってはいけないのが日本だ。
私は今までの人生の中で日本にいた期間は1年もない。
「健太郎さんは、完璧な東京弁を喋りますバイ。それから、健太郎さんは一代で会社を築いたと?」
私は彼と距離を縮めて信頼を得ようと思い、知っている博多弁を披露した。
英語は世界の共通言語だが、仲良くなるには相手の生まれの言葉で話しかけるのが一番距離が縮まる。
「すみません。普通に話してくれますか? 俺は学生時代貧乏旅行をしていた経験を活かし、旅行会社を起業しました。最近は円安なので、少し経営が厳しかったりもします」
彼が笑いを堪えながら言ってくるということは、私の博多弁はイマイチだったということだ。
海外で相手の出身の言葉で話しかけると、その国に行ったことがあるのかと返される。
彼は私が福岡に行ったことがないと、私のイントネーションの不完全さから察したのだろう。
それにしても、初対面の人に身の上をあっさり話す彼は危機感がない。
私はますます彼のことが心配になった。
そして、私がなぜ話したこともない彼に憧れていたかが分かった。
私は女性にしろ男性にしろ親の脛を齧らず、自分の力で頑張っている人が好きなのだ。
私は自分が親の脛齧りだからか、そういった全く違う生き方をしている人に憧れを抱く傾向にある。
そして、日々見かけていた健太郎さんからは、そういう切り開く者の持つオーラが漂っていた。
「健太郎さんが貧乏旅行をしていた時代は、円高でしたか? これからどんどん、円安に傾いていきます。健太郎さんの会社について教えてくださいますか? 私の認識では日本の旅行会社は商売が下手です。海外生活している人間は情弱しか日本の旅行会社を使わないですよ」
バッグパッカーの日本からの学生旅行者をよく見たのは10年程前だろうか。
1ドルが80円台くらいだった時だ。
今後1ドル140円台くらいにまでなる。
健太郎さんの口ぶりから、彼の会社が海外旅行中心のツアーを組んでそうだと思った。
1年後には感染症の問題も出てくるから、早めに海外旅行事業は極力撤退しておいた方が良い。
彼は事業が傾いて、自分を追い詰めた可能性がある。
「アオさん、一応、旅行会社の社長をしている俺に対して堂々とした物言いですね。しかも、俺はあなたの10歳は年上ですよ。確かに、今よりずっと円高の時にたくさん旅行しました。うちの会社は主に海外旅行のツアーを組んでいます。アオさんは海外ではどのような旅行をしていたのですか?」
健太郎さんが楽しそうに私に話しかけてくる。
私が堂々としているのは、海外では謙虚にしていたら舐められるからだ。
年齢、立場など気にして縮こまるのは論外だ。
「自分が一番自分の価値を知っている」とばかりに振る舞わなわないと、誰も相手にしてくれない。
私はそういう態度で日本の中学で過ごして大失敗をした。
だから、回帰前、日本の大学に通った際は謙虚に振る舞ったが失敗だった。
どちらにしても失敗するなら、自分らしく振る舞うに決まっている。
彼は初対面の人間を部屋に入れるリスクを、全く理解していない。
彼は私に「何でもしてもらう」と言っていたから、すぐに頼み事をしくるものだと思っていた。
でも、彼は私に一向に何も頼んで来ないで世間話をしている。
「アオさん、あなたのことが心配なのです。海外から引っ越されてきたのですよね。日本は久しぶりですか?」
お茶を出しながら、笑顔で話しかけてくる彼は良い人の香りがプンプンする。
私が「お金に困っている」と言えば、怪しい壺でも買いそうだ。
「何でもしてもらう」と言いながらも、彼が私をここに連れてきた目的は明らかに私を心配してのことだ。
確かに自分でも初対面の相手に対して、不自然なほど強引に距離を縮めようとした自覚はある。
今後1年、彼と出会うのは偶然の機会しかない。
少しの機会も活かしていかないと、彼の命は助けられない。
このような良い人が成功者となっているのは珍しい。
おそらく「日本が久しぶりか」と聞かれたのは、私の日本語のイントネーションが完璧ではないからだ。
「私が日本語を完全にマスターしていないという、ご指摘ですね。私は日本語は確かに苦手な部類に入ります。でも、東京生まれで、両親も日本人です。ちなみに健太郎さんの生まれはどちらですか?」
私が海外生活で主に使っていたのは英語だ。
日本にいない時は、家の共通言語はその現地の言葉だった。
中国語、スペイン語も使っていたことが多い。
「俺の出身は福岡です。ちなみに、両親はすでに他界しております」
両親が他界しているということは、彼はそのことで孤独感を抱えている可能性もある。
「健太郎さん、これからは私を母親だと思ってくれても構いません。福岡とは成人式でバラを背負ったような派手な衣装を着る地域ですね」
「それは、北九州です。俺の出身は博多です。アオさん、変わってますね。俺が両親のことを伝えると、みんな余計なことを聞いてすみませんと謝ってきますよ」
同じ福岡県の中にも、違う文化が存在するらしい。
やはり、知った気になってはいけないのが日本だ。
私は今までの人生の中で日本にいた期間は1年もない。
「健太郎さんは、完璧な東京弁を喋りますバイ。それから、健太郎さんは一代で会社を築いたと?」
私は彼と距離を縮めて信頼を得ようと思い、知っている博多弁を披露した。
英語は世界の共通言語だが、仲良くなるには相手の生まれの言葉で話しかけるのが一番距離が縮まる。
「すみません。普通に話してくれますか? 俺は学生時代貧乏旅行をしていた経験を活かし、旅行会社を起業しました。最近は円安なので、少し経営が厳しかったりもします」
彼が笑いを堪えながら言ってくるということは、私の博多弁はイマイチだったということだ。
海外で相手の出身の言葉で話しかけると、その国に行ったことがあるのかと返される。
彼は私が福岡に行ったことがないと、私のイントネーションの不完全さから察したのだろう。
それにしても、初対面の人に身の上をあっさり話す彼は危機感がない。
私はますます彼のことが心配になった。
そして、私がなぜ話したこともない彼に憧れていたかが分かった。
私は女性にしろ男性にしろ親の脛を齧らず、自分の力で頑張っている人が好きなのだ。
私は自分が親の脛齧りだからか、そういった全く違う生き方をしている人に憧れを抱く傾向にある。
そして、日々見かけていた健太郎さんからは、そういう切り開く者の持つオーラが漂っていた。
「健太郎さんが貧乏旅行をしていた時代は、円高でしたか? これからどんどん、円安に傾いていきます。健太郎さんの会社について教えてくださいますか? 私の認識では日本の旅行会社は商売が下手です。海外生活している人間は情弱しか日本の旅行会社を使わないですよ」
バッグパッカーの日本からの学生旅行者をよく見たのは10年程前だろうか。
1ドルが80円台くらいだった時だ。
今後1ドル140円台くらいにまでなる。
健太郎さんの口ぶりから、彼の会社が海外旅行中心のツアーを組んでそうだと思った。
1年後には感染症の問題も出てくるから、早めに海外旅行事業は極力撤退しておいた方が良い。
彼は事業が傾いて、自分を追い詰めた可能性がある。
「アオさん、一応、旅行会社の社長をしている俺に対して堂々とした物言いですね。しかも、俺はあなたの10歳は年上ですよ。確かに、今よりずっと円高の時にたくさん旅行しました。うちの会社は主に海外旅行のツアーを組んでいます。アオさんは海外ではどのような旅行をしていたのですか?」
健太郎さんが楽しそうに私に話しかけてくる。
私が堂々としているのは、海外では謙虚にしていたら舐められるからだ。
年齢、立場など気にして縮こまるのは論外だ。
「自分が一番自分の価値を知っている」とばかりに振る舞わなわないと、誰も相手にしてくれない。
私はそういう態度で日本の中学で過ごして大失敗をした。
だから、回帰前、日本の大学に通った際は謙虚に振る舞ったが失敗だった。
どちらにしても失敗するなら、自分らしく振る舞うに決まっている。