健太郎さんの部屋で目が覚める。美味しそうな匂いがして、ダイニングルームの方に行くと朝食が並べてあった。エプロンを外しながら、健太郎さんが小走りに私に近づいてくる。
「おはよう。アオ。体は大丈夫?」
「私は健康です!」
私の返事に何故か健太郎さんは吹き出した。
テーブルの上には揃いの水玉模様のランチョンマットがひいてあった。
エッグベネディクトにグリーンサラダとコンソメスープが並んでいる。
「ランチョンマット、お揃いのを買ってくれたんですか? 新婚みたいで嬉しいです」
「マグカップもお揃いだよ」
健太郎さんが赤と青の色違いのマグカップを見せてくる。
一瞬、癖で青いマグカップを取り掛けたが、私は赤いマグカップを受け取った。コーヒーの匂いがして、私はこれがモーニングコーヒーかと感動した。
「本当に新婚みたいですね。次はYES、NO枕を買いましょう」
私の言葉に健太郎さんがコントみたいにズッコケた。
椅子に座り「頂きます」と手を合わす。
「健太郎さん、朝食を作って頂きありがとうございます。綺麗な盛り付けで美味しそうです」
「いえいえ、いつもアオには美味しい食事を作ってもらってるので偶には俺にも作らせて! ところで、洋食でよかった?」
「洋食でも、和食でも、トルコ料理でも、中華でも健太郎さんが作ってくれるものなら嬉しいです」
幸せな気分で温かいスープに口をつける。
家庭の味がして私の心は満たされていく。
「今日はお休みだよね。どこか行く?」
「そうですね。天気も良いしお散歩に行きたいです。まずは、部屋に戻って母の様子を見てきます」
「朝帰りさせちゃった事、俺からも謝りに行ったほうが良いよね」
私は健太郎さんの言葉に首を振った。彼は子供が朝まで帰らないと心配する家庭に育ったのだろう。
食事が終わり食器を2人で並んで洗った後、私は深呼吸をした。
「では、少し母に会ってきますね」
「う、うん。気をつけて」
自分の母親に会うのにこんなに身構える私を健太郎さんが理解する事はこの先もないかもしれない。
しかしながら、私を知ろうとし愛してくれる彼と一緒にいたい。
私が自分の39階の部屋に戻ると、昼まで眠っていると思った母は起きて玄関で俯いてしゃがみ込んでいた。
髪はボサボサで目の下はクマがある。
部屋はゴミだらけで、ティッシュも散乱している。
明らかに精神的に正常な状態ではない。
私に彼女に愛情が残っていたら、引っ張ってでも病院に連れて行くだろう。
私を見るなり暴言をまた吐いてくるのだろうと想像したが、母は予想外の行動に出た。
急に私の足にしがみついてきたのだ。
「アオちゃんまで私を捨てるの? 嫌よ。アオちゃんはどうして隆さんを連れ戻して来てくれないの?」
母は未だ父を私で繋ぎ止められると思っているらしい。私はしゃがみ込んで母に目線を合わせた。
「ママ、私を殺したこと覚えてる?」
「えっ?」
回帰前の記憶が母にない事は分かっていた。でも、私は鮮明に覚えている。肉を抉られるような痛みと、息ができなくなるような苦しさ。あの時見た母の絶望顔は忘れられない。
悔しさの滲んだ母の顔からは娘を自らの手で殺めてしまった後悔を感じなかった。
母の顔には私がいなくなる事で父を繋ぎ止める手段がなくなる事と、父の不倫相手の鈴木美智子さんを刺せなかった悔しさが滲んでいた。
「まあ、もうどうでも良いや。木嶋翠さん。私、貴方との縁を切ります」
「な、何を言ってるの? アオちゃんは一体何の為に生まれてきたの?」
「私を木嶋隆を繋ぐ道具だと思ってるでしょ。私は、誰の為でもなく自分が幸せになる為に生まれてきたの!」
私が語気を荒げながら言った言葉に母が嫌々と子供のように首を振る。
母の双眸の眦から涙が溢れ出した。
母の仕草も何もかもが、年齢不相応で子供みたいだ。
「私、凄く痛い思いしてまでアオちゃんを産んであげたのよ。死ぬかと思ったんだから! アオちゃんは一生私に尽くすべきでしょ。私が頑張らなきゃ、この世にも貴方は誕生してないのよ!」
出産は経験した事がないが、きっと大変な事なのだろう。全ての苦労から逃げてきた人生を送っている母からしたら、唯一大変だった事だ。
「もう、私は十分尽くしたよ! 私を使って散々承認欲求満たしてきたでしょ! 私は貴方の道具じゃないの!」
私は足に縋り付く母を引き剥がし、自分の部屋に戻って着替えた。
普通の母親なら夜中帰ってこない娘がどこに行ってたかを気にするはずだ。
母にとって私がどこに誰といたなど、どうでも良い事なのだ。
軽く荷物をまとめて部屋を出て行こうとする私の前に、またも必死の形相の母が立ち塞がる。
「なんで、そんなに怒ってるの? アオちゃん、ママ全然分からないわ。貴方は何不自由なく暮らしてきたじゃない」
私も母が全く理解できなかった。愛情を与えなくても、経済的に不自由はさせなかったという話をしているのかもしれない。
「木嶋翠さん。自分はどうなの? 何でも欲しがれば買って貰える家に生まれて、自分は恵まれていると思ってた?」
私は母が満たされた人間には全く見えなかった。頭が悪いと祖父からは見放されていたし、祖母もメンタルに支障をきたしてからは母と距離をとっていた。
母のそういった愛情不足のところを、金目当ての父に漬け込まれたとしか思えない。
「ママ程、幸せな人間はいないわよ。欲しいものは何でも手に入ったし、容姿も抜群よ。通り過ぎる人が今でもみんな私を振り返るの。アオちゃんだってそうじゃない? ママのお陰で貴方は可愛らしい顔をしてるのよ」
私は母と話しても無駄だと悟った。母の頬には涙の跡があり、悲痛な表情からは幸福感を感じない。
母は自分が持っていない事を認められない人だ。
「私は持ってないものも沢山あるよ。それと、私は貴方を絶対に許さないから」
私はそう言い捨てると部屋を出た。私は人の気持ちを理解できないと思うことも多い。
友達の舞ちゃんのように、何でも前向きに捉えられる人間でもない。
寛也のように好きな事をとことん追求できる人間でもない。
ましてや、自分を陥れた人にさえ慈悲深いような健太郎さんのような優しさは持ち合わせていない。
私は沢山欠けている。母にも自分を見つめ直して欲しい。母はこの先も全てを私のせいにして生きていくのだろう。
万が一、母が雷にでも打たれ聖母様のように変わっても私は彼女を許せないからそれでいい。
「おはよう。アオ。体は大丈夫?」
「私は健康です!」
私の返事に何故か健太郎さんは吹き出した。
テーブルの上には揃いの水玉模様のランチョンマットがひいてあった。
エッグベネディクトにグリーンサラダとコンソメスープが並んでいる。
「ランチョンマット、お揃いのを買ってくれたんですか? 新婚みたいで嬉しいです」
「マグカップもお揃いだよ」
健太郎さんが赤と青の色違いのマグカップを見せてくる。
一瞬、癖で青いマグカップを取り掛けたが、私は赤いマグカップを受け取った。コーヒーの匂いがして、私はこれがモーニングコーヒーかと感動した。
「本当に新婚みたいですね。次はYES、NO枕を買いましょう」
私の言葉に健太郎さんがコントみたいにズッコケた。
椅子に座り「頂きます」と手を合わす。
「健太郎さん、朝食を作って頂きありがとうございます。綺麗な盛り付けで美味しそうです」
「いえいえ、いつもアオには美味しい食事を作ってもらってるので偶には俺にも作らせて! ところで、洋食でよかった?」
「洋食でも、和食でも、トルコ料理でも、中華でも健太郎さんが作ってくれるものなら嬉しいです」
幸せな気分で温かいスープに口をつける。
家庭の味がして私の心は満たされていく。
「今日はお休みだよね。どこか行く?」
「そうですね。天気も良いしお散歩に行きたいです。まずは、部屋に戻って母の様子を見てきます」
「朝帰りさせちゃった事、俺からも謝りに行ったほうが良いよね」
私は健太郎さんの言葉に首を振った。彼は子供が朝まで帰らないと心配する家庭に育ったのだろう。
食事が終わり食器を2人で並んで洗った後、私は深呼吸をした。
「では、少し母に会ってきますね」
「う、うん。気をつけて」
自分の母親に会うのにこんなに身構える私を健太郎さんが理解する事はこの先もないかもしれない。
しかしながら、私を知ろうとし愛してくれる彼と一緒にいたい。
私が自分の39階の部屋に戻ると、昼まで眠っていると思った母は起きて玄関で俯いてしゃがみ込んでいた。
髪はボサボサで目の下はクマがある。
部屋はゴミだらけで、ティッシュも散乱している。
明らかに精神的に正常な状態ではない。
私に彼女に愛情が残っていたら、引っ張ってでも病院に連れて行くだろう。
私を見るなり暴言をまた吐いてくるのだろうと想像したが、母は予想外の行動に出た。
急に私の足にしがみついてきたのだ。
「アオちゃんまで私を捨てるの? 嫌よ。アオちゃんはどうして隆さんを連れ戻して来てくれないの?」
母は未だ父を私で繋ぎ止められると思っているらしい。私はしゃがみ込んで母に目線を合わせた。
「ママ、私を殺したこと覚えてる?」
「えっ?」
回帰前の記憶が母にない事は分かっていた。でも、私は鮮明に覚えている。肉を抉られるような痛みと、息ができなくなるような苦しさ。あの時見た母の絶望顔は忘れられない。
悔しさの滲んだ母の顔からは娘を自らの手で殺めてしまった後悔を感じなかった。
母の顔には私がいなくなる事で父を繋ぎ止める手段がなくなる事と、父の不倫相手の鈴木美智子さんを刺せなかった悔しさが滲んでいた。
「まあ、もうどうでも良いや。木嶋翠さん。私、貴方との縁を切ります」
「な、何を言ってるの? アオちゃんは一体何の為に生まれてきたの?」
「私を木嶋隆を繋ぐ道具だと思ってるでしょ。私は、誰の為でもなく自分が幸せになる為に生まれてきたの!」
私が語気を荒げながら言った言葉に母が嫌々と子供のように首を振る。
母の双眸の眦から涙が溢れ出した。
母の仕草も何もかもが、年齢不相応で子供みたいだ。
「私、凄く痛い思いしてまでアオちゃんを産んであげたのよ。死ぬかと思ったんだから! アオちゃんは一生私に尽くすべきでしょ。私が頑張らなきゃ、この世にも貴方は誕生してないのよ!」
出産は経験した事がないが、きっと大変な事なのだろう。全ての苦労から逃げてきた人生を送っている母からしたら、唯一大変だった事だ。
「もう、私は十分尽くしたよ! 私を使って散々承認欲求満たしてきたでしょ! 私は貴方の道具じゃないの!」
私は足に縋り付く母を引き剥がし、自分の部屋に戻って着替えた。
普通の母親なら夜中帰ってこない娘がどこに行ってたかを気にするはずだ。
母にとって私がどこに誰といたなど、どうでも良い事なのだ。
軽く荷物をまとめて部屋を出て行こうとする私の前に、またも必死の形相の母が立ち塞がる。
「なんで、そんなに怒ってるの? アオちゃん、ママ全然分からないわ。貴方は何不自由なく暮らしてきたじゃない」
私も母が全く理解できなかった。愛情を与えなくても、経済的に不自由はさせなかったという話をしているのかもしれない。
「木嶋翠さん。自分はどうなの? 何でも欲しがれば買って貰える家に生まれて、自分は恵まれていると思ってた?」
私は母が満たされた人間には全く見えなかった。頭が悪いと祖父からは見放されていたし、祖母もメンタルに支障をきたしてからは母と距離をとっていた。
母のそういった愛情不足のところを、金目当ての父に漬け込まれたとしか思えない。
「ママ程、幸せな人間はいないわよ。欲しいものは何でも手に入ったし、容姿も抜群よ。通り過ぎる人が今でもみんな私を振り返るの。アオちゃんだってそうじゃない? ママのお陰で貴方は可愛らしい顔をしてるのよ」
私は母と話しても無駄だと悟った。母の頬には涙の跡があり、悲痛な表情からは幸福感を感じない。
母は自分が持っていない事を認められない人だ。
「私は持ってないものも沢山あるよ。それと、私は貴方を絶対に許さないから」
私はそう言い捨てると部屋を出た。私は人の気持ちを理解できないと思うことも多い。
友達の舞ちゃんのように、何でも前向きに捉えられる人間でもない。
寛也のように好きな事をとことん追求できる人間でもない。
ましてや、自分を陥れた人にさえ慈悲深いような健太郎さんのような優しさは持ち合わせていない。
私は沢山欠けている。母にも自分を見つめ直して欲しい。母はこの先も全てを私のせいにして生きていくのだろう。
万が一、母が雷にでも打たれ聖母様のように変わっても私は彼女を許せないからそれでいい。