アオちゃんに2時間散歩をしろと言われたので、俺はひたすらマンションの周辺を歩いた。

 何だか、心の中が空っぽになっている。

 12年、彼女に夢中だった。
 
 弟への劣等感、親の自分への無関心、上手くいかない人間関係に追い詰められた時も彼女のことを考えるだけで幸せになった。

 俺の毎日の1番の楽しみは、アオちゃんの情報を集めたスクラップブックの完成度を高めることと見返すことになっていた。

 しかし、今日アオちゃんに俺の12年と同等の価値があるともいえるスクラップブックを渡してしまった。

(いや⋯⋯でもアオちゃんと友達なれて、リアルな彼女が側にいるんだから良いじゃないか)

 結構歩いてきてしまったのか、アオちゃんが今いるだろうタワマンの40階が遠くに見える。

(今、あそこで甘城とアオちゃんはラブラブしてるのかな⋯⋯羨ましいな⋯⋯俺だって、本当は彼女の彼氏になることを夢見てた⋯⋯)
 
 自分の本心に向き合いながら、タワマンを眺めているとフラッシュバックのように頭の中に映像が蘇ってきた。

「あれ? 俺、アオちゃんと付き合ってたんじゃ⋯⋯アオ⋯⋯」

 俺は彼氏ヅラで彼女を呼び捨てしていた時を思い出した。 
 俺は確かに木嶋アオと付き合っていた。

 ずっと想い続けた彼女を藍子がサークルに連れてきて、俺は彼女に纏わり付いた。
 陰キャだということがバレないように、精一杯人気者の陽キャのフリをした。
 
 彼女を囲い込むことに成功し、勇気を出して告白をして受け入れられた時は天にも昇る気持ちだった。

 しかし、アオと付き合っても彼女は一向に俺に心を開いてくれる事はなかった。

 いつも会話は質疑応答のようなもので、俺はいつ彼女に振られるのかと震える日々を過ごした。

 付き合って半年の彼女の誕生日に、俺は思い切ってずっと彼女を好きだったことを伝えようと思った。

 ストーカーのように彼女の画像を集めている事がバレたら軽蔑されるかもしれない。

 それでも、自分がどれだけ彼女を好きかを知って欲しかった。

 俺は彼女が自分と同じように、両親からの無関心に苦しんでいるのではないかと思っていた。

 だから気持ち悪い俺を知っても、もしかしたら彼女はその気持ち悪い執着さえ愛しく思ってくれるのではないかと期待した。

 彼女と一緒に部屋でスクラップブックを眺めて、0時を過ぎた頃に自分の誕生日を告げて「おめでとう」と言ってくれたら最高だ。

 俺は意を決して、25階で彼女の手を引っ張り自分の部屋に連れて行こうとした。

 でも、彼女から拒否されてしまい途方もない虚しい気持ちになった。

 自分より惨めな「フリーデリヘル藍子」を呼んで、自分の気持ちを回復させようとしてしまった。

 エントランスロビーで藍子と待ち合わせたところで、40階で火事が起きたと避難を呼びかける放送が入った。

 こうなるとエレベーターは全部止まり、階段を使わなくてはならない。

 消防車のサイレンが聞こえて、火事が本当だと分かると39階にいるアオが心配になった。
 
 藍子は必死で階段を降りてくる住人を笑いながら動画を撮っている。

 育ちの悪さとはどうにもならないものだと彼女を見て気分が悪くなった。

 俺が視線を感じてふと見ると、母親を抱えて階段を降りてきたアオがいた。

 彼女はとても身持ちの固い子で、俺は彼女と半年付き合っても手を繋ぐことしかできなかった。

 彼女の気持ちが俺に向いてないのに、迫ったら振られるのではないかと怖かった。

 俺はアオとさっき別れたばかりなのに、誰とでも寝る藍子と一緒にいる。

 俺は彼女に振られるのが怖くて、咄嗟に自分から振ってしまおうと嘘をついた。

「やべえ、藍子、アオにバレたわ。あいつに就職斡旋してもらうまでは、つまんねえ女だけど付き合っておきたかったんだけどな」

 俺の言葉がアオを傷つけたのが分かった。
 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 アオの彼氏になれたことで舞い上がったのに、興味を持ってもらえず落ち込んだ。

 それは、全部俺の心の問題だ。

 長い間、俺の心を助けた彼女をこんな形で傷つけてしまった自分に絶望した。

 アオが母親が暴れるのを必死に抑えている。
 彼女を助けたいのに、自分の取り返しのつかない言動が足を縛る。

 笑いものにされているアオを見ていられなくて、親に電話をかけたりして彼女から目を逸らした。

 消防隊員から促されて外に出た時、倒れて血を流している40階の住人である甘城が見えた。

 俺は彼が火を放って自殺をしたのだと思った。

「鈴木美智子、死ねー!」
 アオの母親の声がして見ると、アオが胸をアイスピックで刺されていた。
 
 その瞬間俺は神に祈った。

 自分はどうなっても良い、世界が滅亡しても良いから、アオを助けて欲しい⋯⋯。

 この記憶が本当のものかは分からないが、アオはタイムリープの話をしていた。

 神様が12年も想い続けた女の子を幸せにできない俺を哀れんで、時を戻してくれたのだろうか。

(なぜ、甘城がアオのフィアンセなんだ?)
 
 タイムリープしてたとすれば、甘城とアオは回帰前は接点がなかった。

 アオは甘城が自殺するのを防ごうと思って、彼に近づいたのではないだろうか。

 だからといって、婚約者になっているのが不思議で仕方がない。
 
 誰かが「あなたは1年後死ぬので、私が守ります」といって近づいてきたら、普通なら不審者として遠ざけるだろう。

 しかし、彼女のようなとびきり可愛い子なら、「不思議ちゃん可愛い」で片付く気がする。

 そして、彼女の素性を調べればとんでもないお金持ちだと分かり、良いパトロンになりそうだと思うかもしれない。
 
 俺は、甘城がアオを利用しているのではないかと不安になった。

 そして、タイムリープした記憶が本当なら火事が起こるはずだと思い、マンションに急いで戻った。

 パトカーのサイレンが響き渡っていてうるさい中、エントランスにいる甘城とアオが見えた。
 2人に近づこうとすると、甘城がアオにキスをした。

 俺は一瞬時が止まったかと思うくらいの衝撃を受けた。

 本当にモテてきたリア充というのは、サイレンのなり響く公衆の面前でキスができてしまうのだ。

 絶対俺には真似できないことを簡単にやる甘城に殺意が湧いたが、頬を染めて幸せそうにするアオを見て脱力した。

(アオが幸せなら⋯⋯いいじゃないか⋯⋯)

「アオちゃん、あと30分歩くノルマがあったと思うんだけど、もう部屋に戻って良いかな。もう、1時間半は散歩したし、運気は上がったと思うんだけど」

 アオと目があったので、俺はすかさず告げた。
 ここにいて、2人を見ていたら泣いてしまいそうだ。

「寛也くん、私と友達になってくれてありがとうございます。実はあなたの散歩により運気が上がったのは、私です。今日は最高の日になりました」

 頑なに佐々木さん呼びをしていたアオが、俺のことを「寛也くん」呼びしてきた。

 俺は自分もタイムリープの記憶があることを彼女に告げる事はないだろう。

 やっと、最低な俺の記憶がある彼女の心を開くことができた。

(友達で満足しなきゃ⋯⋯やばい、泣きそう、アオの初めての彼氏は俺だったのに⋯⋯)

「アオちゃん、それは良かった。これからも宜しくね。甘城さんもアオちゃんを宜しくお願いします」

 俺は満面の笑みで、甘城に告げた。

 彼がどういう人間なのかは分からないが、彼の隣でアオが幸せそうだ。

 ずっと大好きだった彼女の幸せを願いながら、部屋に戻って1人泣くことにした。