5ヶ月が経ち、転学部試験まであと3週間だ。

 私は今、人生で一番追い込まれるように勉強している。

 今までの勉強は得意分野だったのだろう。

 日本の勉強が難しすぎて、驚いている。

 5ヶ月間、寛也は私の予定を徹底管理し、私に経済学を叩き込んでいる。

 毎朝のようにマンションのエントランスで彼が待っていて、一緒に学校まで行っている。
 通学時間も知識確認の時間に当てているのだ。

「朝は学校に行くまで、ミクロ経済学について勉強しよう。それから今日は5限までだよね。終わったら学習室で予想問題をやるから」

「はい、お願いします」

 授業が終わるとマンションの学習室で彼の自作の問題を解く。

 学校の図書館で一緒にいて、噂がたつとよくないとの彼の配慮だ。

 マンションの学習室はいつも誰も使っていない。

 そして、なぜ私は試験を受ければ受かると自信を持っていたのだろう。
 これだけ努力しても確実に合格するか自信がない。

 寛也は私が知っている人間の中で一番几帳面だった。
 几帳面で細やかという日本人の美徳を、一切見せなかった回帰前の彼はなんだったのだろう。


 回帰前は、彼は何かというと「友達がたくさんいる」アピールをしてきた。
 今の彼はその謎アピールをしてこない。

 思い出してみても、彼はプライベートな時間は今も回帰前もほとんど私に使っている。

 私は彼の友達の存在を見たことがない。
 彼はこちらが申し訳なくなるくらい、面倒見の良い人だったようだ。

 彼のサポートがなければ、合格する確率なんてゼロに等しかっただろう。

♢♢♢

「これだけ頑張ったのだから、合格できると自信を持って」
 寛也の作った予想問題に、初めて全問正解することができた。

 私が自信を無くしかけていたことに気がついたのか、彼が声をかけてくれる。

「ここまで、こられたのは佐々木さんのおかげです。ありがとうございました」

 この5ヶ月間で、私達には謎の師弟関係が生まれ始めていた。

「アオちゃんの努力があったからだよ。でもね、俺は1つ君に諦めて欲しいことがあるんだ」

 神妙な面持ちで、彼が謎のスクラップ帳を取り出した。

 そこには、たくさんの交通事故の写真が貼ってある。

 何の意図があって、彼は私にこれを見せているのだろう。

「アオちゃん、やっと仮免許が取れて良く頑張ったと思う。でも、6回も君は仮免許の試験を落としている。君は運転に向いていないから、自動車運転免許が取れても事故を起こす可能性が高い」

 私は仮免許の技能試験の「S字カーブ」ができなくて、6回も試験に落ちた。

「実際、道を通る時にS字みたいな道はありませんよね?」

「あれは、ハンドルのテクニックを磨くためのものなの。それに、アオちゃんはクランクも教習所の柱を目印にハンドルを回していると言っていたよね。いつも同じ場所に駐車する訳ではないって分かる?」

「あ、それもそうですね」

「それから、こちらのような問題が本免許の学科試験で出るの。9割正解しなければならないけれど、引っ掛けのような日本語表現があるからアオちゃんには難しい。もう、転学部試験に集中して、自動車運転免許の取得は諦めよう」

 彼がプリントを出してきた。
 こちらも寛也の自作だろうか。

 100問もの問題がある。
 私は仮免の学科試験でも日本語のよくわからなさで引っかかって、ギリギリだった。

「検討してみます⋯⋯」

 今まで頑張ってきたのに、免許取得を諦めなければいけないのだろうか。

 健太郎さんは「誰でも取れる」と言っていたのに、私はその「誰でも」に入れないなんてショックだ。

「アオちゃん、元気を出して。それから、最近のお母さんの様子はどお?」

「普通にしている時と、号泣している時がある感じです。祖母のように診てもらった方が良いと思うのですが、私が話しかけると暴れてしまって手がつけられません」

 私は回帰前は寛也の家が病院だとは知らなかった。
 彼が病院の家の子ならばと、祖母や母のことを相談した。

 祖母の方は、寛也が精神科の先生を白金の家に連れてきてくれて投薬をしたら状態が良くなった。

 彼女は薬を飲むと気持ちが落ち着くらしく、祖父に外出を許してもらえるくらい普通の状態が保てるようになったのだ。

 祖母が薬を飲まないといけないくらいの状態なのに、私に誕生日プレゼントを送ってきてくれていたと思うと感動した。

 白金の家に言った時、祖父に木嶋グループを継ぎたいという私の意思を伝えた。

 祖父から、父より能力を見せれば良いとドライに言われた。

 でも、千葉の土地以外にも長野の土地も貰えたから応援してくれているのかもしれない。

「お母さんは、本人が病人扱いされるとキレるって言っていたよね。それだと、なかなか難しいよね。キツくなったら、甘城さんの家にちゃんと避難するんだよ。アオちゃんは自分のことを1番に考えるようにして」

「はい、いつも相談にのってくれてありがとうございます」

 祖母は自分の状態がおかしいと自覚していて、医者に診てもらいたいと思っていたから何とかなった。

 しかし、母は全ては私のせいで自分はおかしくないと思っているから手がつけられない。
 そして彼女は未だ毎日のように父の会社を訪問してしまっている。

 寛也が、タイムリープしているのではないかと最初は思っていた。

 彼は私に時間を使いまくっている以外は言動も振る舞いも回帰前とは全く違う。
 今の彼は私の前でタバコも一切吸わないし、歩きながらお酒も飲んだりしない。

 回帰前のチャラい感じはなく、非常に真面目で親切だ。

 双子の弟と入れ替わりごっこ中だと言われたほうが納得するくらい、彼は別人だった。