「私は隆さんの子供を生んだのよ。アオはどうして私の子なのに言うことを聞けないの? この役立たず!」

 母が鬼の形相で叫びながら、持っているカバンで私を叩いてくる。

 私は、母の気が触れてしまった瞬間を見た。
 私が回帰前のように母にとって良い娘でいたら、彼女は狂うのは1年遅かった。

 でも、私は狂った母と向き合わなければいけない。

「アオ、部屋に入ってなさい」
 父が私を守るような「良いお父さん」の顔をして言ってくる。

「パパ、私になんて絶対に負けないと思っているでしょ。なんでも、自分の思い通りになると思わないでね」

 鈴木さんは母のように、父のことを盲信しているところがありそうだった。

 会ったことはないが、自分の父親も知らない腹違いの兄は父を恨んでいるだろう。

 小さな町で父親もいない子として嫌な目にあってるだろうし、養育費も貰えない環境で経済的に苦しんだに違いない。

 父の異常なほどの自己中心的な考え方の犠牲になった腹違いの兄の復讐をしてやりたい。
 父に人を粗末に扱ってきた報いを受けさせたい。

「アオは頼もしいね」
 父が微笑んだが、私はその微笑みに吐き気がして自分の部屋に篭った。

「隆さん。もう、アオはダメなの。どうして、アオを生んでから1度も抱いてくれないのー!」

 自分の部屋にいると、父の声は聞こえないのに母の近所迷惑になりそうなほどの叫び声だけが聞こえてくる。

 このマンションは防音がしっかりしていると聞いたが、真夜中にこのようなに大声を出しても大丈夫なのだろうか。

「私は誰より綺麗にしているのに。隆さんだけが好きなのに、20年近くもセックスレスなのよ。ちゃんと抱いてよー! アオじゃない、隆さんの子が欲しいの!」

 私は母が狂っているの分かっていても、母の叫びを聞いていられなかった。

 スマホと家の鍵を持って部屋を出る。
 健太郎さんの部屋の鍵も持ったが、流石に真夜中に彼の部屋を訪ねるわけにはいかない。

 それでも、もしかしたら彼から連絡が来て部屋に避難させてもらえるかもしれない。

 そんな期待を抱えて、私はマンションの廊下に出た。

 扉を閉めると、母の叫び声が聞こえてこない。
 このマンションの防音は本当にしっかりしていたとホッとする。

 エレベーターを降りて、ロビーで時間をつぶそうと思った。

 2時間くらい時間を潰せば、母の興奮状態もおさまるかもしれない。
 もう真夜中だし叫び疲れて、彼女が寝てくれれば良い。

 私は明日からもあの家に住まなければならないのだろうか。
 健太郎さんの部屋に行きたいけれど、しつこくして関係が悪化し20歳の誕生日のことを守れなければ本末転倒だ。

 1階のロビーに行くと、コンシェルジュがいなかった。

 このマンションのコンシェルジュサービスは24時間ではなかったようだ。
 それでも、ビル管理の人が監視映像を見たら、私に何か事情を聞きにくるかもしれない。

 私はソファーの陰に隠れてしゃがみ込んだ。

 スマホで大学のページを開いて、どうやったら転学部できるかを調べる。
とにかく、今は文学を嗜んでいる場合ではない。

 転学部して経済学部で経営を学び、本格的に父と戦えるようにしたい。

 千葉のグランピング施設建設に関しても、祖父に相談に行った方が良いだろう。

 私はこれから1年の未来を知っている。
 感染症が流行ってくると、グランピング施設はもっと流行するのだ。

 そして、ホテルを建てるよりも簡単で安く済む上に、宿泊代は1泊2万円くらいに設定できる。

 成功すれば私の力を祖父に認めてもらえる上に、健太郎さんの会社と独占契約すれば彼の会社の助けにもなる。

「木嶋アオちゃん、こんなところでどうしたの?」

 私が回帰前に聞き慣れた声に顔をあげると、そこには髪を黒く染めた寛也が立っていた。

「2度と私に話しかけないでくださいと言いましたよね。私、あなたとは関わりたくないんです」

 私が言った言葉が聞こえないのか、彼は私の隣にしゃがみ込んでくる。

「俺は、木嶋アオちゃんが大学に入学してくると聞いて楽しみにしてたよ。藍子が失礼なこと言ったのは俺が代わりに謝るよ。あいつは本当に馬鹿女だから」

 彼がコンビニのビニール袋からペットボトルのお茶を出して、私に渡して来ようとする。
 私が彼からの施しを受け取るはずがない。

 ビニール袋には他にタバコが入っていた。
 タバコが切れて、夜にコンビニに行ったのだろう。

 彼が断りもせず、タバコを吸い出すのが嫌いだった。
 私はタバコの煙が苦手だ。

「自分の彼女を馬鹿女扱いする、あなたの方が馬鹿男ですよ」

「彼女じゃないし。あんなの彼女にする奴なんていないから。それに、俺はあなたじゃなくて、佐々木寛也だから。アオちゃんには寛也って呼んで欲しいな」

 私は、寛也がまた私を利用しようと近づいてきていることにゾッとした。