「本当にアオは世間知らずだな」
 佐々木寛也と付き合って半年、また私はいつものように彼に世間知らずを指摘されていた。

 和風のちょっとオシャレな居酒屋で、今日は私の20歳の誕生日を祝ってもらっている。

 私は今日初めてお酒を飲む。
 この店ではで靴を入れる時、下駄箱の板を抜くと鍵が閉まるらしい。
 私はその鍵の仕組みが分からず、板を抜きそびれていた。

 私は大学生になるまで、親の仕事の都合でほぼ海外で過ごしている。
 だからだろうか、日本のルールがわからない。

 私は現在日本の大学の2年生の木嶋アオだ。
 テニスサークルであった寛也と付き合っているが、今まで一度も楽しいと思ったことはない。
 彼と会った後はいつも気を遣いすぎなのか疲れ果てていた。

 私はお互いが初恋同士と言い合っている仲睦まじい両親を見て育ってきた。
 初めてお付き合いした人と結婚するということに憧れを抱いていたのだ。

 だから、彼と恋人になることを決めた時に過剰な期待を持ってしまっていたのかもしれない。

♢♢♢

 私は帰国してから友達になった藍子に誘われ、テニスサークルに入った。
 サークルの飲み会でお店の人に年齢を聞かれたので19歳だと伝えたら、私達にお酒は提供できないと言われた。

「私は帰るので、皆さんにお酒を提供していください」
 私は居酒屋の人に伝えて、その場を去った。
 本当は正直に年齢を伝えてはいけなかったらしい。

「俺もアオちゃんと一緒に帰るわ」
 居酒屋から一人去ろうとする私ついてきてくれたのが寛也だった。
 彼は20歳を超えていたからお酒は飲めるはずだったが、私を追いかけてくれた。

「送るよ、アオちゃん」
 彼に甘えて良かったのか戸惑ってしまったが、悲しい気持ちになってたので話を聞いて欲しかった。

「ありがとうございます。すみません。でも、私、年齢を嘘ついたりできません。だから、飲み会には20歳まで参加しません」

 居酒屋と言っても、20歳未満の子はソフトドリンクを飲むのだと思っていた。
 19歳の私がいる限り、私を含む団体にはお酒は提供できないらしい。

 暗黙の了解で嘘をつくのが日本のルールでも、私には難しかった。
 私は海外を転々としてたせいか、その国のルールは必ず従うようにした。
 もしも、法律違反なことをして大好きな両親に迷惑をかけるのが嫌だったからだ。

「アオちゃん真面目だね。帰国子女って、もっと奔放なのかと思っていた。コンビニ寄って良い? ちょっと飲みたいわ」

 寛也はコンビニに寄ってお酒を買って、歩きながら飲んでいた。
 お酒を外で飲んで良いという国も少ない。

 海外に住んでいると、アメリカなどは州によってルールも違ったりする。
 様々な場所を渡り歩いているうちに、迂闊なことをして問題を起こさない癖が私には身に付いていた。

「そうなのですか? 私の周りは真面目な子が多かったです」

 寛也は髪も明るく染めていて、チャラそうな第一印象だった。


「同じマンションなんだ。縁があるね。何階?」

 エレベーターに入ると2人きりになる。
 私はせっかく送ってもらいながらも、彼のことが苦手だと思っていた。

 歩きながら酒を飲むところと、タバコを吸っていたところが嫌だった。
 なんだか距離感も近くて、送ってもらいながらも早くお別れしたいと思った。

「39階です」
 寛也が私の部屋のボタンを押してくれる。
 親切な人なんだろうけれども、なぜか一緒にいたくないと感じてしまう。

「俺は25階。39階ってペントハウス? アオちゃんの家の間取りはどんな感じ?」
 ペントハウスは最上階の40階だ。
 母が日本に戻ってくる時、40階が良いと言ったが既に埋まっていた。

「ペントハウスではありません。間取りも分かりません」
 彼が間取りを聞いてくる意味が分からなかった。

「俺のところは2LDKだよ。親が大学祝いに買ってくれたマンションなんだけど、1人暮らしには少し広いんだ。寂しいからアオちゃん遊びに来てよ」

 エレベーターが25階で止まる。
 去り際に、軽い感じで私の肩を叩いてくる彼が苦手だと思った。

 サークルの後の飲み会に一度も参加しない私に付き添って、いつも彼はマンションまで送ってくれた。
 半年くらい経った時、彼にエレベーターの中で告白された。
 私は、その頃には彼にどこか頼っていて告白を了承した。

♢♢♢

 いつものように、マンションまで送られエレベーターに乗る。
 25階に止まったところで、腕を引かれてエレベーターから出された。

「え、何?」
「全く、本当に鈍いな。今日は泊まって行ってよ。俺がアオの20歳の誕生日プレゼント」

 彼に急に引き寄せられて言われた言葉に、ゾッとしてしまった。
 私は彼のことを頼りにしていたが、彼のことを好きではないのかもしれない。

「今日は、出張からパパが帰ってくるから」
私はそう言って彼から逃げるように、閉まりそうなエレベーターの中に戻った。

「本当、つまんねえ」
 彼が不満そうに言った言葉が耳に残り、不機嫌な顔がなぜだか頭に焼き付いた。

 なんだかモヤモヤした気分で、39階の自分の部屋の扉の前までくる。
 鍵を回したけれど、逆に閉まってしまった。
「あれ、もしかして元から空いていた?」
 もう一度鍵を回したら、扉が開いた。

「どうしてよー、私は隆さんだけが好きなのに!」
 扉が開いたとともに、母の聞いたことのない叫び声がする。
 玄関を見ると、靴収集が好きな母が履かないようなスニーカーが置いてある。
 このスニーカーは鈴木さんのものだろう。

「あれ? 鈴木さん、この時間までいるの?」
 鈴木美智子さんは我が家の通いの家政婦さんだ。
 いつも彼女は大体17時くらいには夕食の準備までして、帰宅している。

 今は、夜の20時だから彼女がいるのはおかしい。
 彼女がいるのもおかしいが、母も明日まではお友達とフランス旅行に行っていたはずだ。

「俺は、美智子ちゃんが好きなんだ。お前のことは最初から好きじゃなかった」
 私は父の声に玄関で固まってしまった。
 私がずっと親に帯同して様々な国を回っていたのは、両親を引き離したくなかったからだ。

 母は自分が中学生の時に家庭教師だった父が初恋で、大学卒業とともに父と結婚している。
 父は母の全てで、父も母を大切にしているように私には見えていた。

 私が21時ごろ帰ると伝えていたから、父は鈴木さんと油断して部屋にいたのだろうか。
 いや、そういう問題ではない。
 この状況は、愛妻家と評判の父が不倫をしているということだ。

「そんなの嘘よ。もう、死んでやる!」
 私は母の恐ろしい言葉に、慌てて部屋に入ろうとした。

 その時、マンション中に警報器が鳴り響いた。
「防災センターより、40階の火災報知器が作動しました。速やかに避難してください」

 放送と共に私は何度か見たことがある40階に住む男性を思い出した。
 エレベーターで40階を押した彼はスーツ姿のすらっとした男性だった。
 いつも朝、彼がマンションの正面玄関につけた車に乗り込むのを見ていた。

 周りの大学生とは違った大人の雰囲気を持つ彼を見ると、心が落ち着いた。
 運転手付きの高級車に乗り込む彼を、私はいつも心の中で「社長」と呼んでいた。