朝日を浴びながら、一人で電車に乗り込む。メグルとのやりとりは全て消えたし、メッセージの友だち欄にも居なくなった。

 本当に消えるんだな、跡形もなく。そう思いながら、電車の中でカメラロールを開いた。メグルが写真に残していた俺の絵には、たくさんメグルの思い出が綴られている。

 一枚、一枚、記憶をなぞるようにスクロールしていく。一番最後の写真は、俺の絵ではなかった。メグルの下手くそな自画像。

 つい口元が緩んで、拡大してしまう。細かな文字で、俺への感謝の言葉が綴られていた。

――出会ってくれて、ありがとう。サトルが覚えていてくれたから、もう、私は消えるタイミングだったんだと思う。何十年と繰り返した夏休み、すっごく楽しかった!

 覚悟を決めていたことを、そんな文字で知りたくなかった。人目も気にせず、こぼれ落ちる涙をそのままに、文字を目で追う。メグルが残した言葉を、無くしたくなかった。いつか、この文字も消えてしまうんだろうか。

 それは、嫌だなと思った。

――サトルの記憶に残っていられたら、私はサトルの中で生きているからそれでもいいと、思えたの。ちゃんと、夢を追いかけてね。やっと、やっと、サトルの夢を応援できる。夢を追いかけてるサトルは離れていくのではなくて、私を心に住ませてくれて、一緒に進んでいくってわかったから。

 メグルの言葉に、喉の奥がぐわりっと締め付けられた。俺はいつだってメグルを描くよ。それが、どんな形であろうと、未来に残ればいい。そして、もう一人のメグルが……思い出して、メグルが起きたら、一番良いと思った。

 そんな奇跡を起こせるなら、他には何もいらない。俺は、メグルのために奇跡を起こすよ。何をしても。

 カバンに忍ばせていたメモ帳に、ボールペンで海を眺めるメグルを描き残す。そして、スマホで写真に撮って、SNSに上げた。

「猫みたいな君と、さよならばかりの夏休みだった」

 そんなタイトルをつけて。

 *  *  *

 夏休みが終わっても、周りは変わらない。でも、少しずつクラスメイトと会話をできるようになったし、同じように絵を描いてる友人もできた。

 メグルの制服が、もう一人のメグルの名残だとしたら。きっと、駅で会えるような予感がしてる。そんな、日々の中だった。

「じゃあ、また明日なー!」

 そんな挨拶もできるような知り合いも、増えた。手を振ってお互いのホームに、歩いていく。あの日もこんな暑い日だった。九月に入ったというのに、残暑は厳しく、あの日を思い出させる暑さだ。

 電車を待つためにベンチに座れば、ホームをあの日のみたらし色した猫が、トタトタと歩いているのが目に入った。電車が好きな猫なのかもしれない。

 毎回、ここを歩いてるとは。

 危ないからと、手を伸ばせば、細い白い手が重なった。俺より、ちょっとだけ早く猫を掴み上げたその人は、聞き覚えのある声で猫に話しかける。

「危ないにゃあ、って、あっ」
「そいつ、電車好きの猫みたいで」
「そう、なんですね」

 ためらいがちに、目を伏せた仕草に、胸が激しく脈打つ。

「原田サトルです。覚えてると書いて、サトル。君の名前は?」
「え、私は……」
「ごめんごめん、良かったら猫の話でもしない? 猫が繋いだ縁、ってことで」

 困ったように、まんまるな目を見開いて、少しだけ口元を緩める。

「上月巡子、でも、ジュンコって、古くてあまり好きじゃないの。友だちは、メグル、とか、メグちゃんって呼んでます」

 そっか。君の本名は、メグルじゃなかったのか。今更知ったけど。でも、メグルがちゃんと居る。そこに、メグルが居る。

「メグル、って呼ぼうかな。甘いもの、好き? オススメのカフェでもあるんだけど、時間があれば、付き合ってくれない?」
「えっと」
「猫抱えたまま、電車も乗れないし。一回、出ようよ」

 畳み掛けるように口にすれば、メグルは小さく頷く。起きてよ、メグル。早く、起きて。思い出して、俺のこと。

 こんな日々をメグルは、繰り返していたのか。気が遠くなるほど、何回も、何回も。今度は俺が思い出すまで、繰り返そう。

「実は俺心が読めてさ、きっと、メグルは……アイスキャラメルマキアートとか、好きでしょ?」
「確かに、好きだけど」
「あとは、猫が好きで、パンケーキとか、はちみつが好き」

 こくん、こくんと首を縦に振る。心が読めるんだって、メグルと同じ言葉が勝手に口からこぼれ出た。俺が描いた絵が、奇跡を起こしたらいいな。そしたらすぐ、おはようって言うんだ。思い出した? って。

 時間はまだまだある。急がなくてもいい。

 戸惑うメグルの手を引いて、光で照らされる階段をゆっくりと降りた。

<了>