耳をそっと俺の胸にくっつけて、メグルは目を閉じる。窓から注ぎ込む光を浴びて、メグルの頬がきらりっと光って見えた。
「次は、ほしみ、ほしみ」
電車のアナウンスに、出入り口を見つめる。札幌の郊外に来たようで、降りる人も、乗る人もまばらだ。メグルと繋いでる手はまだ、感触がある。
「次あたりから海見えるかな!」
メグルの言葉に、頷いてから窓の外を見つめた。どんどんと移り変わっていく景色が、海を映し始める。波が寄せては返す様子に、息を呑む。海沿いのカフェや、サーフボードの置いてある民家。様々なものに目を奪われていれば、隣のメグルがわあっとも、おぉっとも取れる声を出した。
「すごいね、海の街って感じ」
「もう小樽入ったみたいだぞ」
「札幌出れたんだぁ……知らなかったなぁ」
「海もキレイだな」
後悔するような切ない声色だから、つい、言葉を被せてしまった。メグルは俺の気持ちを察したのか、むふっと口元を緩める。そして、また俺の胸に頭を預けて、小声で喋り始めた。
「海は直接見るまであとは、お預けにしとこっと」
「楽しみってことでいいか?」
「楽しみじゃないことある? だって、彼氏との初めてのお泊まりだよ」
今更な言葉に、俺の体温が上がる。彼氏と明確に言葉にされたことも、初めてのお泊まりという言葉にも。どちらにも緊張してしまった。急にガチガチに固まって、前を見つめる俺に、胸元でメグルはすりすりと頭を擦り付ける。
「いきなり緊張し始めてるー」
「しょうがないだろ!」
「今まで、好きだった子とか、付き合ってた子とかいなかったの?」
聞かれて、考えてみたけど思い当たる人は、いない。初恋すら、まだだった。初めての恋で、初めての彼女だった。それを答えようとすれば、メグルはぱっと起き上がって、俺と反対方向を見つめる。
「やっぱ、答えなくていい!」
「なんでだよ」
「聞きたくない、聞きたくなーい!」
手を繋いだまま、耳を塞ぎ始める。そんな姿すら、可愛くて、ぎゅっと握りしめた手を下ろさせた。
「いません」
耳元で答えれば、「へ?」と不思議そうな声を出して、俺の方を見上げる。隣り合う席に座ってしまったせいで、やっと目が合った。
「好きな子も?」
「好きな子も、付き合った子も、メグルだけ」
「なにそれ、私だけ? やだ、嬉しい、いや、嬉しがっちゃダメ?」
一人で舞い上がって、いきなりしゅんとする。初めての恋だから、傷が大きくなるとでも不安になってんだろうな、と想像がついて、メグルとの時間の濃さを実感した。最初はメグルに振り回されて始まった、二人の時間。それでも、日を追うごとに、心は読めないにしてもメグルの考えはなんとなくわかるようになってきた。
「喜んでいいんじゃない?」
きっと、俺にとっては一生の初恋だ。永遠にメグルが心の中に居ると思う。そう言ったら重いかもしれないから、口にはしない。でも、喜んでくれそうだなとも思ってしまう。そのあと、今後を考えて悲しそうな顔で、「新しい人見つけるんだよ」とかも言いそうだ。
俺の想像は、正解だったようで。
「でも、私が消えたら。早く新しい人見つけるんだよ」
「流石に怒るぞ」
「だって、恋の傷は恋で埋めるっていうでしょ」
メグルの言葉に、ムッとして目を吊り上げる。しゅんっとした頭に、耳が一瞬見えた。犬系だと思うという言葉も、あながち間違いじゃない気がする。
「今は俺の彼女はメグルさんなんですが?」
「うっ、ごめんなさい」
「恋人としてデートしてるんですけど?」
「ごめんってば」
「もう言わない?」
できるだけ優しい言葉で問い掛ければ、いつもの表情に戻る。猫みたいに気ままで、まんまるな目で、可愛い笑顔で。
「気をつけまーす」
「よろしい」
「ふふ、なんだかんだ、私に甘いよね」
「好きだからな」
「すぐそういうこと言う!」
「俺のこと好きじゃないの?」
シュンっとしたふりをしてみれば、メグルは慌てたように口をあわあわと動かす。そんな姿に、意地悪心が少しだけ湧き上がった。
「好き、ですよ」
掠れた裏返った声すら愛しくて、この一瞬を俺は、一生忘れないでいたいと思った。あとで、絵に描き残しておこう。メグルは、もしかしたら嫌がるかもしれないけど。
記憶から消えないで、一生、俺の中に残ってくれればいい。そう願うほどに、残酷にも、時間の有限さを実感してしまう。
「あ、次、小樽築港駅だって」
メグルは先ほどの言葉を掻き消すように、わざとらしく指さして呟く。俺は噛み締めたまま、メグルの手を引っ張った。
「海、見れるね」
「うん、荷物だけ、先に預けちゃおうか」
「そうしようか。リュック重い?」
持とうかという意味で問い掛ければ、メグルは首を横に振る。強がってる様子もないから、俺は自分のリュックを片手に、メグルと繋いだ手は離さずに電車を降りた。