「わかんないや」
「どうするかとかは、置いておいて。サトルとその子の気持ちが大切なんじゃない? これから先も繰り返すけど、この時間を楽しむのか。もしくは、抜け出す方法を考えるのか」
兄ちゃんの言葉に、うなだれるように頷く。メグルがどう思ってるか、俺は知りたい。今まで、ずっとメグルに流されてるフリをして会ってきたけど。俺は、メグルと共に時間を過ごしたいとやっと、自覚できたから。
兄ちゃんの優しさに、また、嫌悪感が浮かび上がる。俺がもし、兄ちゃんだったら。もっと早くメグルの謎に気づけたかもしれない。兄ちゃんだったら、メグルをこんなループから助け出せたかもしれない。
俺じゃなくて、兄ちゃんだったら良かったのに。
心の中を埋め尽くす、自己嫌悪と劣等感。兄ちゃんは黙って俺を見つめてから、俺の頬をむにいっと摘み上げた。
「サトルだからできることがあるだろ。その子は、サトルだから好きになったんだろ。俺の呪縛から解けたかと思ったのに、すぐ考え込むんだから」
「呪縛って」
「そうだろ。俺のケガのせいでずっと、俺みたいにならなきゃって考えてさ。自分のやりたいこととか、自分の考え方を全部消してきたんだから」
兄ちゃんの口から出る言葉は、真実じゃない。俺が、勝手に兄ちゃんを免罪符に逃げてきた、だけだ。確かに母さんに言われた言葉とか、父さんの期待とか、兄ちゃんへの憧れと罪悪感もあるけど。それでも、俺は、自分自身が楽になるために、兄ちゃんを免罪符に兄ちゃんのようになるって決めてきたんだ。
「違うよ、兄ちゃんがとかじゃない。兄ちゃんがケガをしたのはきっかけだったかもしれないけど」
「何度も言うよ、気にすんな。俺は元々、野球をずっと続けるつもりはなかった。母さんが勝手に言ってるだけ」
涙が勝手に目から流れていって、手のひらに落ちていく。兄ちゃんの夢を奪ったと、思い込んできた。だから、俺は、兄ちゃんのように生きて、母さんの希望も、兄ちゃんの夢だったものも、背負わなきゃいけないって。それは違うって、真っ向から兄ちゃんが否定してくれたから、今はそう思ってない。
それでも、悩んで、考えて、何をしていくか。自分自身で選ぶのが、苦しくて、難しくて、兄ちゃんをプロトタイプにして生きていた。知らず知らずのうちに。
だから、わからないんだ。メグルとどう向き合っていいか。メグルに何をしてあげられるか。
「わからないんだ、何も」
「わかってることだけでいいだろ。サトル一人の問題じゃないんだし」
「メグルと二人で考える、か」
「メグルちゃんとたくさん話して、たくさんの時間を過ごせ。限られてても、後悔しないように」
メグルとお泊まりの約束をしたことを、思い出す。メグルは期待してない顔で、笑っていたけど。その約束は、果たしたいと思った。俺の家に泊まったことは、あるみたいだけど。
「お泊まりとか、母さん絶対許さないよな」
「なんとかしてやる。親戚の家に行く用事とか、母さんと父さんがいない日を調べてやるから」
「でも」
「サトルはどうしたい?」
問われて、ぐっと息を飲み込む。できることなら、このループが終わらなくても、メグルに今まで経験してこなかった日々を渡したい。だから、まっすぐ兄ちゃんを見つめて答える。
「お泊まりしたい」
「よし、まかせろ! 大学受験なんて、来年から始めたっていいんだよ。サトルの行きたい大学をもっとゆっくり考えろ」
「母さんは怒りそうだけどね」
「サトルの人生なんだから、責任を取るのも、決めるのも、サトルだけだぞ」
それもそうだ。俺は、俺の人生を誰かに委ねすぎていた。甘えてきたんだなぁと、思ってしまう。兄ちゃんにも、メグルにも。全て誰かに選んでもらって、誰かのように生きて、自分自身の人生を放棄してきた。
「兄ちゃん、ありがと」
「お兄ちゃんだから、当たり前だよ」
「当たり前じゃないよ」
兄ちゃんと話しただけで、心が少しだけ軽い。自室に戻り、久しぶりにスケッチブックを開く。今日撮ったメグルの写真をスマホで確認しながら、ラフを描きあげる。あの下書きの奇跡のように、次回に繋がれば。そんな淡い期待を込めて、ペンを走らせる。
浮かび上がるメグルは、柔らかく笑っていた。俺の大好きな笑顔で。