モヤモヤとした霧が脳内に、広がっていく。忘れないように、猫みたいな女の子の横に、メグルの知ってる限りの情報を書き込む。あの日、駅でみたらし色した猫を助けて出会ったこと。辛いものが好きなこと。心が読めること。忘れないでほしいって、言ってたこと。いつか、俺が忘れてしまっても、創作のキャラクターだと思ってしまってもいい。確かにメグルの存在を感じれる、何かを残したかった。


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 夏休みが始まる。札幌といえど、夏はもう三十度を超えていた。嫌な太陽の日差しを感じながら、駅のホームで電車を待つ。イスに座って、手持ち無沙汰に周りを見渡せば、目の前の看板に、ジュースがもらえるキャンペーンの広告を見つけた。

 広告のQRコードを読み取れば、作ったまま放置していたアカウントが出てくる。どうやら、SNSで呟けば、ジュースが貰えるというものらしい。バカらしくなって、キャンセルを押そうと指を動かせば、下書き保存してしまった。

 自分の思うように動かない指にすら苛立って、下書きを開けば書き溜められた下書きがずらりと並んでいた。ジュースの下書きの下には、記憶のないイラスト付きだった。バグか? そう思いながらも、妙に気になる。

 開いてみれば、みたらし色した猫と、猫みたいな女の子。メグルと書かれていた。知らないけど、何かの登場人物だろうか? でも、ずいぶん俺の絵柄に似てるような。そんなわけないか。だって俺は、絵なんてとっくの昔に辞めたんだから。

 兄の夢を奪ってしまったあの時から、自分の夢も捨てたんだ。兄のように、認められる人間になる。それが俺の、生きる価値だし、理由だ。

 メグルと書かれた下には、「終業式後の駅で、猫を助けてるところで出会う」と書き込まれていた。まるで、示し合わせたように、俺も今日終業式後の駅に居る。

 そんなバカな話があってたまるか。ふんっと鼻で笑ってから、スマホの画面を落とした。

「二番ホームに札幌行きの電車が参ります」

 アナウンスに、スマホをポケットにしまい込んでから、立ち上がればみたらし色の猫が視界の端を横切った。猫、というだけなら、こんな気持ちにならなかったと思う。確かに目の前を通ったのは、みたらし色の猫だった。

 まさかな。目で追えば、ホームの端にトタトタとおぼつかない足取りで進んでいく。

 電車が来る、と言うのに。
 このまま線路に落ちたら……?
 想像して、身体が勝手にぶるりと震えた。兄だったら、迷わず手を伸ばして助ける。じゃあ、俺は、助けなきゃいけない。そこに、あの子が本当に現れたら、それは、もう漫画の世界のようなものだ。

 冷静なような、変な焦りのような、額からポタリっと汗が一粒落ちていく。まるで、世界がゆっくりになったみたいだ。ガチガチに固まってしまった体を、無理矢理に動かそうと感じる。

 ――動け! 動け! 動け!

 やばい、やばい。電車が近づいてくる、ゴオォオオという音だけがやけにハッキリ、耳に残る。やっと動いた体で駆け出して、猫を抱き上げた。その瞬間、隣から腕を伸ばした女の子が視界に入る。


「もー、危ないにゃあ……って、え?」

 ゴォオオオという電車の音の合間に、高い声が耳に聞こえた。危ないにゃあと言った女の子は、手を伸ばしたまま俺を見つめて固まっている。

 半袖のセーラ服を見にまとった、ポニーテールの少女。

「なんで、助けたの……君が」

 口を大きく開けて、涙を瞳いっぱいに溜め込んだその子は、先ほどのイラストの女の子に似てるような気がした。俺の胸は痛くなるくらい、ドキドキと脈打って、気が狂いそうなくらい、血が全身を巡っていく。

「大丈夫ですか?」
「あ、うん、私は、大丈夫」

 猫が腕の中で「んにやぁ!」と抗議するように暴れて、ジタジタしている。首の付け根をくるくると撫でてやれば、気持ちよかったらしい。大人しくなり始めた。

「すごい、猫好きなの?」
「嫌いでも好きでも……でも、引っ掻かれたことがあるから、大人しくさせる方法を学んだんですよ」

 兄だったら、動物に好かれるだろうなと思ったから。好かれる方法をたくさん学んだ。だって、そうでなきゃ、自分に価値なんか無い気がしていたから。

「そっか……あ、私は、メグル。気軽にメグちゃんって呼んで」
「メグル……?」
「うん、そうだよ?」

 まさか、名前まで一緒だなんて。先ほどからおかしい。あのイラストを見た時から、書かれたことが起こってる。あれは、予言の書なんだろうか?

 イラストの子に似てるから、か。わからないけど、つい口をついて、ナンパのような言葉が出てしまった。懐かしいような、昔の友人のような。そんなわけないのに。

「どこかで出会ったことない?」

 俺の言葉に、一瞬ハッと息を呑んで、ふふっと微笑む。そして、彼女は答えなかった。

「君の名前は?」
「サトル。覚えると書いて、サトル」
「わかった! よかったら、カフェでもいかない?」

 お誘いに、一瞬戸惑う。その間に、電車は俺らを置いて、出発してしまった。この猫を外に出さなきゃいけないし、電車にはまだ乗れそうに無い。カフェくらいなら付き合ってもいいかも。

「いいですよ」
「敬語、ムズムズするからやめない?」

 メグルの言葉に素直には頷けず、曖昧に笑う。この後はまだ読んでいなかった。どうなるんだろうか。カフェに行って、二人で話して、その後は? もしこれが、漫画とか小説だったら、付き合うことになる? こんな可愛い子と? それも悪くない。

 だって、ニコニコと目の前で笑顔を見せるメグルに、こんなに胸が惹かれている。おかしな現象が起きてることもそうだけど、猫みたいな自由そうな笑顔に目が離せなくなっていた。

 猫を抱いたまま階段を下る。メグルは俺の後ろをゆっくりと、着いてきた。改札を通り抜けて、駅から出たところで猫を離す。