どうして俺なんだろう。聞けもせずに、食べたパスタの味は、わからなかった。そもそも、俺はどうしてこんなにメグルに心惹かれてるんだろうか。
暗くなった夜道は、夏だというのに肌寒い風が吹く。なんだか、帰りたくないような表情をしていたメグルに、別れを告げるのは心が痛んだ。それでも、「またな!」といえば、メグルは嬉しそうに「うん、また」と答えてくれた。
また、がある。俺とメグルには、次がある。だから、大丈夫と言い聞かせるような「また」の音だった。
明かりのついた自宅を見上げて、一瞬足が止まる。母さんも父さんも帰ってきてるだろう。遊びに行ってたのがバレたら、何が言われる。
静かに玄関のドアを開けば、テレビの音だけが微かに聞こえてきた。兄はちょうど部屋から出てきたのか、俺の顔を見て「おかえり」と無音で口を動かす。俺も「ただいま」と無音で返せば、手招きをされた。
音を立てないように、ゆっくりと兄の部屋に入れば麦茶を目の前に置かれた。ずっと用意して待ってたんだろうか? それでも、ガラスの中の氷は溶けることなく、カランっとぶつかっては音を立てている。
「おかえり」
「ただいま」
「で、楽しかった?」
楽しかった。素直にそう思える。それでも、胸の中の違和感は、トゲとなって抜けない。メグルの表情の意味も、言葉の理由も、モヤモヤと俺を包み込んでいた。
「メグルちゃん、良い子だな」
「良い子だよ」
すんなりと出た言葉に、兄は目の横のシワを濃くする。自分でも驚くほどに、メグルに影響されてるらしい。兄とのあれだけ深かった溝が今は、うっすらくらいに思える。
「あんなに良い子中々いないと思うけどなぁ」
「兄ちゃんは」
「兄ちゃんって! 久しぶりに聞いた!」
嬉しそうに声を張り上げるから、続く質問を聞きにくくなった。むっと唇を尖らせれば、「ごめんごめん」と軽口を叩く。そういえば、兄はこういう人だった。俺をかまいたくて、調子に乗って、俺がムッとする。
「忘れられるのと、忘れるのどっちが辛いと思う?」
「相手によるんじゃね?」
「それはそう。たとえば、大切な人とか」
メグルの「覚えていて欲しい」という掠れた声が、今も脳に残ってる。胸が張り裂けそうになるような。切羽詰まったような。
「忘れる方かなぁ」
意外な答えに、顔を上げてしまう。忘れられる方が、辛いと俺は思っていた。だから、そんな思いを相手にさせるくらいなら忘れてもらいたい。
「どうして?」
「だって、思い出が消えたことにも気づかず、大切な人のことも忘れて、胸の中にモヤモヤが残るんだぞ。何か、忘れてる気がするみたいな」
それは、言われてみればそうだとも思える。どちらであっても、記憶が消えることは、誰かが寂しい思いをするってことか。
「相手と関らず生きていくなら、どっちでもいいけどな」
「もし、相手が忘れてるにしても、思い出して欲しいって思うかな」
「すげー大切な人なら思うんじゃね? どうにかして思い出して欲しい。もしくは、新しい思い出を作りたい、とか、思わないわけ?」
考えてみてもわからない。メグルは、昔俺と出会ったことがあるんだろうか。それでも、俺の胸の中には何かを忘れてるようなモヤモヤはない。