俺も心が読めたら良かった。そしたら、メグルの真意を確かめられるし、どうしてあんなに生き急いでるのかも知れる。そしたら、そしたら、きっと、もう少しは、普通にメグルと過ごせるはずなのに。
「サトルが本当にしたいこと、なら、邪魔をしないよ」
「なんだよそれ、俺が勉強したくないみたいな」
「そうじゃなくて、勉強もする必要はあるし、したいとは思うけど。四六時中勉強ばかりじゃなくて。せっかくの、夏休みだよ? 高校二年生の夏は普通は一回しかないんだよ!」
メグルが、ぐいっと顔を近づけるから、身を引く。バランスを崩してイスから転げ落ちてしまった。腰を打ちつけたようで、ジンジンと痛み出してる。立ちあがろうとすれば、ふわりと力が抜けてしまった。
「ちょ、大丈夫?」
近づいてきたメグルは、俺の家のボディーソープの匂いがして、髪を下ろしてるし、服は、なぜか俺のTシャツだし。本当に気が狂いそうだ。
「大丈夫だから、近づかないで」
「あ、ごめん」
パッと離れて、恥ずかしそうに髪の毛を撫でる。そして、目は宙を見上げていた。
「リビングに布団敷いてもらったから、そっちで寝るから安心して」
「そう」
「襲わないから!」
「その心配はしてない!」
変なやり取りに、つい笑ってしまう。先ほどまで気が立っていて、八つ当たりをした。メグルは、ただ、不義理な俺を責めもせず会いにきてくれただけなのに。
ラグマットの上に座り込んで、向かい側を手で指し示す。メグルは、ちょこんとそこに大人しく座った。
「メグルは、思い出を作りたいだけなんだな」
「うん」
「そもそもどうして出会ったばっかの俺と」
「私、友だち居ないの」
意外な一言に、驚いてしまう。メグルの顔は、嘘を言ってるようには思えない。メグルの嘘を見抜けるか、と言われれば疑問だけど。
「だから、あの時、サトルに声かけて一緒にカフェに行ってくれたから、甘えちゃった。ごめんね」
「いや、俺も友だちとか居ないから、あれだけど」
仲のいいクラスメイトや、知人程度ならいる。遊びにも誘ってくれたが、勉強が、や兄がと断り続けるうちに、誘われることもなくなった。それでいいと思っていた。みんなで遊んでる姿に、憧れや嫉妬を抱かないといえば嘘だけど……
それでも、俺がするべきことは、兄のようになることだからと飲み込んだ。
「サトルは、本当に、思い出作りたくない? どこにも行きたくない? 勉強だけしてたい?」
メグルの問いかける言葉に、ぐっと息を飲み込む。いつもだったら気にならない時計のちくたくという音が、やけに大きく聞こえた。思い出を作れたらいいなって、ずっと憧れてはいたよ。
「お兄さんも心配してた。友だちと遊びに行くこともしないから、って」
「兄だって、あんまり出かけねーくせに」
「あと、急に敬語になって、悲しいとも」
「どこまで仲良くなってんだよ」
俺より兄と話してんじゃねーかよ。ちょっとだけ、嫉妬が胸の中で湧き上がる。俺だって、兄ともっと話したかった。でも、向き合えば向き合うほど自分のダメなところを認めなきゃ行けなくなる。兄の将来を奪った自分を、責める気持ちで、死にたくなってしまう。
だから、距離を置いた。それでも、兄のようになれと言う母の言うとおり、兄のようにならなければと思い込み続けていた。
「お兄さん、サトルを庇って腕をケガしたんだってね」
「そんな事まで言ったのかよ」
「サトルの彼女だからって気が緩んでるだけだよ」
メグルの言うとおり、兄は、俺のせいで腕をケガした。兄が甲子園を狙っていた、高校二年生の時。ピッチャーとして活躍していた兄の、大切な肘を俺がダメにしてしまった。それでも、運動は得意じゃなく、兄の代わりに甲子園に立つと言う夢は、高校一年生の頃にはコーチに諦めるように諭された。
「兄の将来の夢を、俺が奪ったんだよ」
「そんなこと、気にしてないよ」
部屋の外で聞いてたのか、趣味が悪い。兄は顔を覗かせて、俺を見つめる。兄が気にしてようが、気にしてまいが、関係ない。俺が、気にしているんだ。
そして兄に期待を寄せていた、母は俺を許さなかった。お兄ちゃんが、お兄ちゃんがと、一番泣きくれたのは、母だった。
「俺が気にするんだよ」
「だから、俺と同じことしようとしてんのか? 違うだろ、それは」
「兄には関係ないだろ」
ぷいっと顔を背ければ、意外に強いメグルの両手に顔を包まれて戻される。兄の悲しそうな顔、久しぶりに見たな。
「恋だってしろ。今しかできないことをやれ。俺は、どうせ、高校を卒業したら野球は辞めるつもりだったんだから」
「なんで」
「実力のなさを痛感したから、かな」
「嘘つき」
「嘘じゃないって」
兄の顔を見れば、優しい顔で涙を瞳にためてる。なんだよ、みんなして、自分の思うように生きろって。今更言われたって、俺は、わかんないよ。もう四年も兄のようにと思い続けてきたんだから。
「嘘じゃないってことだけは、覚えておいて。盗み聞きみたいになってごめん。ジンジャエール、二人で飲みな」
トレイに乗ったコップを二つ置いて、兄は部屋から出ていく。メグルは、両手でコップを掴んで、ちびちびとジンジャエールを飲み始めた。
「これで、解決、じゃない?」
「はいそうですかって、そんなすんなり行くかよ」
「それもそうだよねぇ。でも、とりあえずお試しに私と楽しいことしようよ」
メグルはどうやら、折れないらしい。だから、また、流されるように頷く。メグルの強さに流されたんだと言い訳して。
「明日、だけな」
「やったー! 何がいい? プラネタリウム、動物園、水族館、食べ歩き、カラオケ!」
メグルの提案に、少し考え込む。一番初めに出てきたのが、メグルのやりたいことだろう。それで満足してもらおうと「プラネタリウム」と小さく答える。
「星、好きなの?」
特に好きでもないけど。適当に相槌を打てば、メグルはすぐに気づいてむうっと膨れた。
「嘘ついてることくらい、わかるんですけど」
「嫌いじゃないよ」
「好きでもないと、まぁいいよ。私は好きだし、明日は、じゃあ青少年科学館だ!」
楽しそうにパタパタと手を動かして、スマホを取り出して、文字を打ち込み始める。いつもことあるごとに何かを打ち込んでるな、と考えていれば、目の前にスマホを突きつけられた。
「SNSに、思いを綴ってんの! 残りますようにって」
「ふぅん」
「いつかの私が楽しかったなぁって思えるでしょ」
まるで、忘れちゃうみたいな、無くなってしまうみたいな言い方。でも、嬉しそうにふふっと笑いながら打ち込むメグルを見てたら、ツッコむのは野暮だ。そういえば、SNSは相互だったな。DMでいつもやりとりしてたくらいだし。
見てみようとスマホを開けば、楽しそうな踊るような、跳ねるような感想がずらりと書かれていた。猫を助けて行ったカフェも、この前のオープンキャンパスも。
でも、ところどころ、遠い俺の未来を祈ってるような一文が挟まってる。【新しくできた友だちが楽しんでくれたらいいな】とか、【友だちの未来が楽しみだな】とか。自分のことより、俺のことばかり思う文章に胸がじいいんっと震えた。
「じゃあ、明日も早く出ようね! おやすみ!」
書き込み終わって満足したのか、メグルは、急に立ち上がる。そして、バイバイと手を振って、リビングに向かっていった。長い髪の毛が揺れた後ろ姿が、可愛いなと思ってしまったから、もう本当に手の施しようがないかもしれない。