◆

「――お母様の仇っ!」
 氷を内部から呪力で粉々に砕いた瑠衣は、両手に氷の刃を持って政重へと突撃した。驚いた様子の政重は、明らかに迎撃が遅れる。
 これが最初で最後の機会。自分と白銀で作り出した隙だ。
 全身全霊をかけるつもりで、政重の刃をかいくぐり、身体ごと瑠衣はぶつかった。
「はああああっ!」
 手の平に肉を刺す感触。
 瑠衣の突き出した刃は、政重の胸を正確に刺し貫いていた。
「おのれ……貴様ら……」
 ごぽり。血の塊を吐き出して、政重の身体が傾いでいき、やがて大きな音を立てて地面に倒れ伏した。
「お母様、舞衣……やりましたよ」
 肩で息をしながら、瑠衣は戦いの続いている周囲を見回した。氷の刃を振って血を落とすと、それを頭上高くに掲げる。
「わたしたちの勝ちです! 武器を納めなさい! 無益な殺生は望みません」
 押され気味だった妖達の士気が上がる。逆に、妖狩りは倒れた政重の姿を見て大いに動揺した。美桜がその隙を逃さず、妖狩りを下がらせていく。
(これなら何とかなりそう)
 大きく息を吐いて戦況を見詰める。さすがに瑠衣自身も疲れ果てていた。自分が参戦したところで、あまり大勢に影響はなさそうだ。
「ようやく終わりそうですね、白銀。ですが、あれほど手加減の必要はないと言いましたのに、わたしへの氷が甘くて、策を見破られないかと冷や冷やしていました」
「馬鹿野郎。自分を氷らせろとか、そんなふざけたことをぬかす嫁はお前くらいだ。政重が乗ってこなけりゃ、お前がお陀仏だったんだぞ?」
 白銀が心中を選べば、きっと政重は瑠衣を助けようとする。
 それが、瑠衣の立てた作戦だった。
 余力のあるうちに、政重の攻撃を敢えて一撃受ける。白銀は勝てないと演技をして、瑠衣を氷らせて殺そうとする。氷の中で瑠衣は、自分の呪力を結集して耐えていたのだ。政重が慌てて溶かしにくることも見越して。
 政重は二人の予想通りの行動を取った。後は、自力で破れるほどに氷が溶けた頃合いと、政重の隙を見計らって氷から飛び出した。
 母の仇を討つ――その強い意思とともに。
「……ぐっ……」
 突然、その場に膝をついた白銀を見て、瑠衣は慌てて側に駆け寄った。
「どうしたのですか! どこか酷い怪我でも!?」
 見た目はボロボロだが、致命傷のような傷は見当たらない。見えない場所にあるのだろうか。白銀を支えながら、ゆっくりと地面に横たえたその時、頭上で激しい雷のようなものが鳴った。
「こ、これは……」
 空に黒々とした渦が出現していた。突風が吹き、木々が騒めく。何度も何度も稲光が不気味に走る。明らかに自然現象ではない。一体、誰がこのようなものを起こしたのか。他にまだ敵がいたのだろうか。
「う、うあわあああ!?」
 恐怖に満ちた悲鳴にそちらを向くと、妖狩りの一人が宙に浮いていた。そのままぐるぐると空中を回り、断末魔とともに空の渦へと飲み込まれていく。周囲に視線を向ければ、石くれがめくれ上がり、屋敷もミシミシと鳴っている。妖達は空へ飛ばされまいと、地面へ必死にしがみついていた。
「あー、こりゃ、力を使い過ぎたな」
 どこか呑気な声は白銀だった。瑠衣を膝枕にして達観したようにそれを見詰める。
「力を使い過ぎたとは?」
「言葉通りの意味さ。もうすぐ、この空間の全てが崩れる」
 その本当の意味を悟り、瑠衣は愕然と白銀を見下ろした。
 瑠衣を閉じ込めた氷が甘かったことにも説明がついた。もう白銀にはほとんど妖力が残っていなかったのだ。自分を心配して手加減してくれたのではなく、あれ以上のことができなかったのだ。
「白銀、しっかりしてください!」
 必死に呼びかけるも、白銀はどこか眠そうだ。
「安心しろ。お前くらいは助けてやる」
 ゆらりと白銀の手が上がり瑠衣の腰へ触れると、そこからピシピシと氷が生み出されていった。それはゆっくりと瑠衣の身体を侵食するように上がっていく。白銀もろとも氷に閉じ込めるかのように。
「し、白銀! それはいけません!」
 己の命でもって自分を生かそうとするつもりだ。氷の中に封じ込め、この空間の崩壊から瑠衣を守る。それを悟り逃れようとするも、既に座った足元は氷に包まれて動けなくなっていた。
「お願いです! やめてください!」
 白銀の身体も氷に包まれていく。逃げられないと感じた瑠衣は、逆に白銀を抱えるようにして自分の胸へと抱き寄せた。自分の呪力を展開し、白銀の妖力に抗う。
「眠ってはなりません! 目を開けてください!」
「瑠衣……抵抗するんじゃねえ」
 弱々しく白銀の口元が動いた。
「どうにもならねえときは、こうしようと思ってたんだ。政重の野郎に気付かれないように、妖力を残しておくのは大変だったんだぜ?」
「世迷言もいい加減にしてください! わたしを後家にするつもりですか!」
「そうだな。それは悪いと思ってる」
 氷が侵食してきて、座っていた下半身は完全に埋まってしまった。少しでも時間を稼ごうと白銀を抱え起こすも、それを支えている手にも徐々に氷が伸びてきた。命をかけた白銀の妖力は強く、とても瑠衣の呪力では防ぎきれない。
 胸のあたりまで氷が上がってきたところで、白銀が静かに目を閉じた。
「オレは後悔していたんだ」
「後悔?」
「お前を助けたあとに、妖狩りへ戻したことだ」
 白銀の声は囁くようで、よく聞き取れない。瑠衣は苦労してその口元へ顔を寄せた。
「オレがそのまま攫っちまえば、お前がこんなに酷い目に遭うこともなかっただろうによ。だがな、人間の世界の娘だからと思ったんだ。オレが欲望に任せて自分の物にしていれば、今日だってこんなことにはならなかったかもしれねえ」
「何を勝手なことを言っているのですか」
 もう腕も氷の中へ埋没してしまって動かない。それでも白銀を支えたつもりになりながら瑠衣は必死に訴えかけた。
「わたしはそれでよかったと思っていますよ。たしかにわたしは苦労をしました。けれど、わたしがいなければ、次に利用されたのは舞衣だったでしょう。わたしと舞衣。二人を助けてくれたのは、紛れもないあなたなのですよ!」
 激しく訴える瑠衣へ、白銀の唇が少しだけ笑みの形になる。
「そいつは……よかったぜ」
「白銀……白銀っ!」
 氷に包まれた腕の中で、白銀の身体から力が失われたのを感じる。それと同時に、爆発的に氷が生み出され、問答無用で瑠衣を包み込んでいく。
「くっ……白銀……っ!」
 もう抑えきれない。そう感じた瑠衣は、白銀の唇へ自分の唇を押し当てた。少しでも彼に触れている面積を増やしたい。
 この気持ちを伝えたい。
 そして――そのままの姿で、二人は氷に包まれた。