居間のソファーを占領し、羽純ちゃんとの日課の通話に興じる弟を、文庫本を読みながら窺うこと数回。さすがに気になったらしく、激甘の声で「じゃあね」と通話を終えた日向が、俺のいるダイニングテーブルを振り返った。
 瀬尾くんとまでは言わないものの、それなりに華のあるいわゆるイケメン顔。そら、瀬尾くんも「ぜんぜん似てなくね?」と言うわなと思う。
「なに? 兄ちゃんも羽純と話したかった?」
「いや、違うし」
 たしかに、たまに話すことはあるけど。
 コミュ力おばけのふたりからすると、ネット小説やラノベではない一般文芸を好む俺の存在は「寂しそう」に見えるらしい。純粋に好きなだけなので、ぜひ放っておいてほしい。
「じゃあ、なに? なんか用?」
「いや、用っていうか。瀬尾くんってどんな子なのかなと思って」
「え。瀬尾? なに、なんの興味」
「え、いや、なんか、バイト一緒になって」
「やば。本気だった」
 目をぱちくりとさせたかと思うと、日向はけらけらと笑い始めた。
 なんだ、本気だったって。瀬尾くんがバイトを始めたことか。怪訝な顔を返した俺に、「でも、なんで?」と日向が問い重ねる。
 その問いかけに、ほんの少し俺は怯んだ。誤魔化すようにページをめくり、へらりと笑う。
「いや、これからシフト被ることも多くなりそうだし。だから」
 どんなやつなのかなと思って、と続ける。
「家にも連れてきてたし、仲良いんだろ」
「ああ、まぁね。仲は良いけど。でも、兄ちゃん、あんまりそういうこと聞かないじゃん」
 それは、べつに、おまえの友達と関わることはないからで、とも、いや、なんか、彼氏やってあげようかって言われちゃってさぁ、とも言えず、もう一度曖昧な笑みを浮かべる。
 ――でも、そっか。瀬尾くん、日向に言わなかったんだな。
 昨日の今日であるものの、情報とは恐ろしい勢いで広がっていくわけで。
 彼氏云々はともかくとしても、俺が変なおっさんに絡まれていたとか、ヒスって逆切れをしたとか。そういった笑い話になりそうな部分は筒抜けではないかと疑っていたのだ。
 内心でほっとしていると、「まぁ、いいやつだよ、ふつうに」と日向が言う。
「モテすぎて女子とかどうでもいいって感じはあるけど、べつに、……うん。なんていうか、ふつう」
「なに、ふつうって。語彙ないな」
「じゃあ、顔のわりにふつう。テンション高くはないけど、ノリ悪いとかじゃないし。あんまりうるさくないから、兄ちゃんと合うんじゃない?」
「ええ……」
「そういや、このあいだ、フリーだと女子がしつこいから、彼女つくろうかなって言ってたな。付き合うの面倒だから、彼女のふりしてくれる子いないかなって」
 それって、俺が代役にちょうどよかったって話じゃ。
 謎の提案をした際の瀬尾くんの顔――そう言われると、ほくそ笑んでいた気がする――を思い返しつつ、「やばいな」と俺は呟いた。
 彼女のふりをしてくれる子を探すという発想が、凡人のそれじゃない。
「やばいっしょ。俺もなんの漫画って突っ込んだもん。さすがに本気じゃないと思うけど」
「ええ、……うん」
「でも、女の子にモテすぎて困ってんのは、たぶんガチ。瀬尾も羽純みたいな彼女つくったらいいと思うんだけど。――あ、そうだ。さっき、羽純がさ」
 流れるように惚気話に切り替わったものの、いつものことである。付き合って三年経ってなお、日向と羽純ちゃんはラブラブなのだ。
 話半分に相槌を打ちながら、なるほどなぁと得心をする。つまり、瀬尾くんにとっても渡りに船の、都合の良い提案だったというわけだ。
 予想外の提案に驚愕しているあいだに、あの夜は解散になったわけだけど。瀬尾くんが必要だというのなら、受けてもいいのかもしれないな、と考える。
 ――変に騒いで過剰に拒否んのも、勘違いしてる痛い人になりそうだし。
 延々と続く羽純ちゃん話をはいはいと流しつつ、俺はまた一枚ページを繰った。
 変なおっさんに好かれがちとは言ったものの、本気でヤバい目に遭ったことは一度もない。一昨日のあれが、今年一番のヤバさだったというレベル。でも、それだって、べつにたいした話というわけではない。
 あれほど盛大に泣き言をこぼした理由も、今となっては本当に謎である。いつもの俺だったら適当に笑い話――日向や野井は完全に一種のネタだと思っている。だが、それでいい――にしていたはずなのに。
 まぁ、でも、だから。「おっさんに絡まれて、半泣きで困っていると逆切れした」事実を暴露されなかったことに、実はめちゃくちゃ感謝をしているのだった。
 そう。瀬尾くんのとんでもない提案を受けてもいいと思ってしまうくらいには。