時間があるときにラインをしたり、バイト前に集まって一緒に課題をしたり。大変健全かつ有意義な時間を過ごすうち、あっというまに冬休みは過ぎ去って、とうとう三学期が始まった。
高校二年生、最後の残り三ヶ月。
「あれ、一颯。昼どっか行くの?」
昼休みのチャイムが鳴って早々に弁当を持って立ち上がると、うしろから野井の声がかかった。
新学期になって席替えがあったにもかかわらず、あいかわらずの斜め後ろのご近所さんなので、腐れ縁としか言いようがない。昔から、基本、席近いんだよな。
「うん、今日は瀬尾と食べる」
「結局、また王子かよ。仲良しですね」
「仲良しだけど。っつか、王子じゃないからね」
「あー……、はい、はい。瀬尾ね、瀬尾」
うぜ、という副音声がありそうな声だったものの、言い直してくれたのでよしとする。
聞き流したらそのままだけど、言えば一応は聞き入れてくれるわけで。なんでもそうだけど、積み重ねなんだろうな、と思う。俺が今までなぁなぁで流し続けてきたもの。
教室の入口に見えた瀬尾の姿に、じゃあ、と野井に告げて、近寄ろうとしたのだが。入口近くに座っていた櫻井さんが声をかけるほうが早かった。
「あれ、瀬尾くんじゃん。ひさしぶりー。遠坂くん? たまには一緒にここで食べたらいいのに」
「ああ、いや」
にこにことした悪気ゼロの提案に、俺は慌てて「お待たせ」と割り込んだ。
「先輩」
安心が少し、俺と会えてうれしいが大半といった瞳に、思わずへらりとした顔になる。
瀬尾の瞳の表情は今日も変わらず雄弁で、それで、やっぱり俺の心臓にはちょっと悪い。
「なに、なに。べつにいじめてないよ?」
「いや、知ってるけど、ごめん、でも」
きゅっと弁当を持つ指先に力を込め、櫻井さんに向かって俺は笑った。
「デートだから、これ」
「え、やば」
大きな瞳をさらに大きくし「BLじゃん」と爆笑した櫻井さんが、「ごめんね、邪魔して」と両手を振る。
「ごめん、じゃ、行こっか。……瀬尾?」
「あ、ううん、なんでもない」
振り向いた先にあった呆気にとられたような表情に「余計なこと言ったかな」と不安を覚えたのもつかの間、見慣れた笑顔に変化したことにほっとして。いつもの空き教室に並んで歩き出す。
背中に聞こえた「尊すぎない、あれ」、「マジイケメン」という櫻井さんの声は聞こえなかったことにした。
たぶんだけど、うっかり直視したんじゃないかな。いや、本当に、瀬尾の笑顔、心臓に悪いんだよ。だから、被害者は俺だけでいいんだと思う。
空き教室の窓際の後ろから二番目と、三番目。すっかり慣れた定位置で、でも、さすがに、冬なので、窓を開けることはしない。
弁当を食べながら、ふたりでのんびりと会話をするさなか、少しだけ気になって、俺は教室の一件を引っ張り出した。
「あのさ」
「ん?」
「さっきさ、教室の。……嫌だった? デートって言ったの」
たぶん、櫻井さんは冗談としか思ってないと思うんだけど。ぽつぽつと言い募った俺に、瀬尾は驚いた顔で「ぜんぜん」と首を振った。
「本当?」
「本当、本当。まぁ、ちょっとびっくりはしたけど。ほら、先輩、『べつにいい』もよく言うけど、『恥ずい』もよく言うじゃん」
「……うん」
言うね、と俺は認めた。たぶん、というか、確実に。瀬尾の前でも何度となく言ったことだろう。「恥ずかしくないの、瀬尾は」と。この教室で泣き言をこぼした日のことも、悲しいくらいはっきりと覚えている。
「だから、俺とこういうことするのも恥ずかしいのかなって、実はちょっと思ってたから」
「あ……、えっと」
はっとして、俺は瞬いた。たしかに、はじめてこの教室でお昼を食べたとき。瀬尾と噂になることを恥ずかしいと感じた。でも、それは、瀬尾が恥ずかしかったからではない。
……けど、そんなこと、言わないとわからないよな。
後悔を呑み、俺は瀬尾の目を見つめた。改めてという気持ちで、はっきりと気持ちを伝える。
「あのさ」
「ん?」
「瀬尾といることは、なにも恥ずかしくないよ、俺」
「本当? なら、いいんだけど」
にこりとゆるんだ瞳に、もう一度、うん、と頷いて、俺は箸を置いた。
「それに、俺、瀬尾とここで食べるの好きなんだよね。けっこう前からだけど」
まだ偽装彼氏だったころから。瀬尾とふたりで静かに過ごすことのできる昼休みは、俺にとって大切な時間になっていた。春になっても、続いたらいいな、と思う。
「俺も。あたりまえじゃん」
「よかった」
「そうじゃなかったら、誘いになんて来ないし」
あいかわらずの直球ストレート。視線をまごつかせた俺を見て小さく笑った瀬尾が、少しだけバツの悪い顔で切り出した。
「そういえばなんだけどさ、聞かなかったことにしてくれてもいいんだけど、八つ当たりしてごめんなさいって。茉莉花が」
「ああ、べつにいいのに」
律儀と言えば律儀なそれに、弁当箱をを片付けながら苦笑する。
これは、ぜんぶ、冬休みに瀬尾に聞いた話なのだけど。中学生のころに偽装恋愛で失敗をして距離ができたふたりだったが、高校で同じクラスになったことで、少しずつ幼馴染みとしての仲に戻りつつあったらしい。
幼馴染みとしての仲というのは瀬尾の言なので、茉莉花ちゃんサイドの真相は藪の中なわけだけど、それはそれ。とにもかくにもわだかまりが取れ、瀬尾はほっとしていたらしいのだが。そのタイミングで「今ならもっとうまくやれると思うから、もう一回付き合ってほしい」と言われたのだそうだ。
瀬尾いわく予想外の再告白だったらしいのだけど、それもさておいて。相手が幼馴染みということもあり、瀬尾はきちんと断ったらしい。
好きな人がいるから、という理由で。まぁ、その好きな人って俺だったらしいんだけど。
「前も言ったけど。俺、あんまり誰かを好きになったことなかったし。おまけに、……っていうとあれなんだけど、男の先輩だったから、信じたくなかったみたいで」
「ああ、……いや、うん。ぜんぜん、いいよ、本当」
「勝手に思い込んで失礼なこと言いましたってさ。あいつが言ってるだけだから、先輩は怒っててもいいんだけどね。それこそ本当に」
日向のやらかしを代わって謝罪する自分に似た言い方に、「本当にいいから、大丈夫」と俺は請け負った。
だって、その言い方で、瀬尾は家族としてしか見てないってわかるもん。体現するように笑った俺を見やり、瀬尾はなぜか呆れた調子で眉を下げた。
「本当に人が良いよね、先輩は」
「ええ……、いや、人が良いっていうかさ。恋ってそういうものだと思うし」
「そういうもの?」
「うん、なんていうか、俺もよくわかんないけど」
キラキラとしていて、恥ずかしくて、苦しくて。でも、どうしようもなく心が躍ることもあって。振り回されて、相手のことも、自分のことも、なにもわからなくなってしまうこともある。とんでもない激情。
それで、めちゃくちゃくさいことを言うと、俺にそれを教えてくれたのは、ぜんぶ瀬尾だった。
――俺には程遠いって思ってたのになぁ。
不思議そうな瞳をまっすぐに見つめ、「まぁ、そういうものはそういうものだよ」と俺は笑いかけた。
するわけがないと思っていた恋をしたことで、世界が変わったのだから、恋って怖いな、とも思うわけだけど。瀬尾と恋をすることができてよかった、と。俺は心の底から思っている。
高校二年生、最後の残り三ヶ月。
「あれ、一颯。昼どっか行くの?」
昼休みのチャイムが鳴って早々に弁当を持って立ち上がると、うしろから野井の声がかかった。
新学期になって席替えがあったにもかかわらず、あいかわらずの斜め後ろのご近所さんなので、腐れ縁としか言いようがない。昔から、基本、席近いんだよな。
「うん、今日は瀬尾と食べる」
「結局、また王子かよ。仲良しですね」
「仲良しだけど。っつか、王子じゃないからね」
「あー……、はい、はい。瀬尾ね、瀬尾」
うぜ、という副音声がありそうな声だったものの、言い直してくれたのでよしとする。
聞き流したらそのままだけど、言えば一応は聞き入れてくれるわけで。なんでもそうだけど、積み重ねなんだろうな、と思う。俺が今までなぁなぁで流し続けてきたもの。
教室の入口に見えた瀬尾の姿に、じゃあ、と野井に告げて、近寄ろうとしたのだが。入口近くに座っていた櫻井さんが声をかけるほうが早かった。
「あれ、瀬尾くんじゃん。ひさしぶりー。遠坂くん? たまには一緒にここで食べたらいいのに」
「ああ、いや」
にこにことした悪気ゼロの提案に、俺は慌てて「お待たせ」と割り込んだ。
「先輩」
安心が少し、俺と会えてうれしいが大半といった瞳に、思わずへらりとした顔になる。
瀬尾の瞳の表情は今日も変わらず雄弁で、それで、やっぱり俺の心臓にはちょっと悪い。
「なに、なに。べつにいじめてないよ?」
「いや、知ってるけど、ごめん、でも」
きゅっと弁当を持つ指先に力を込め、櫻井さんに向かって俺は笑った。
「デートだから、これ」
「え、やば」
大きな瞳をさらに大きくし「BLじゃん」と爆笑した櫻井さんが、「ごめんね、邪魔して」と両手を振る。
「ごめん、じゃ、行こっか。……瀬尾?」
「あ、ううん、なんでもない」
振り向いた先にあった呆気にとられたような表情に「余計なこと言ったかな」と不安を覚えたのもつかの間、見慣れた笑顔に変化したことにほっとして。いつもの空き教室に並んで歩き出す。
背中に聞こえた「尊すぎない、あれ」、「マジイケメン」という櫻井さんの声は聞こえなかったことにした。
たぶんだけど、うっかり直視したんじゃないかな。いや、本当に、瀬尾の笑顔、心臓に悪いんだよ。だから、被害者は俺だけでいいんだと思う。
空き教室の窓際の後ろから二番目と、三番目。すっかり慣れた定位置で、でも、さすがに、冬なので、窓を開けることはしない。
弁当を食べながら、ふたりでのんびりと会話をするさなか、少しだけ気になって、俺は教室の一件を引っ張り出した。
「あのさ」
「ん?」
「さっきさ、教室の。……嫌だった? デートって言ったの」
たぶん、櫻井さんは冗談としか思ってないと思うんだけど。ぽつぽつと言い募った俺に、瀬尾は驚いた顔で「ぜんぜん」と首を振った。
「本当?」
「本当、本当。まぁ、ちょっとびっくりはしたけど。ほら、先輩、『べつにいい』もよく言うけど、『恥ずい』もよく言うじゃん」
「……うん」
言うね、と俺は認めた。たぶん、というか、確実に。瀬尾の前でも何度となく言ったことだろう。「恥ずかしくないの、瀬尾は」と。この教室で泣き言をこぼした日のことも、悲しいくらいはっきりと覚えている。
「だから、俺とこういうことするのも恥ずかしいのかなって、実はちょっと思ってたから」
「あ……、えっと」
はっとして、俺は瞬いた。たしかに、はじめてこの教室でお昼を食べたとき。瀬尾と噂になることを恥ずかしいと感じた。でも、それは、瀬尾が恥ずかしかったからではない。
……けど、そんなこと、言わないとわからないよな。
後悔を呑み、俺は瀬尾の目を見つめた。改めてという気持ちで、はっきりと気持ちを伝える。
「あのさ」
「ん?」
「瀬尾といることは、なにも恥ずかしくないよ、俺」
「本当? なら、いいんだけど」
にこりとゆるんだ瞳に、もう一度、うん、と頷いて、俺は箸を置いた。
「それに、俺、瀬尾とここで食べるの好きなんだよね。けっこう前からだけど」
まだ偽装彼氏だったころから。瀬尾とふたりで静かに過ごすことのできる昼休みは、俺にとって大切な時間になっていた。春になっても、続いたらいいな、と思う。
「俺も。あたりまえじゃん」
「よかった」
「そうじゃなかったら、誘いになんて来ないし」
あいかわらずの直球ストレート。視線をまごつかせた俺を見て小さく笑った瀬尾が、少しだけバツの悪い顔で切り出した。
「そういえばなんだけどさ、聞かなかったことにしてくれてもいいんだけど、八つ当たりしてごめんなさいって。茉莉花が」
「ああ、べつにいいのに」
律儀と言えば律儀なそれに、弁当箱をを片付けながら苦笑する。
これは、ぜんぶ、冬休みに瀬尾に聞いた話なのだけど。中学生のころに偽装恋愛で失敗をして距離ができたふたりだったが、高校で同じクラスになったことで、少しずつ幼馴染みとしての仲に戻りつつあったらしい。
幼馴染みとしての仲というのは瀬尾の言なので、茉莉花ちゃんサイドの真相は藪の中なわけだけど、それはそれ。とにもかくにもわだかまりが取れ、瀬尾はほっとしていたらしいのだが。そのタイミングで「今ならもっとうまくやれると思うから、もう一回付き合ってほしい」と言われたのだそうだ。
瀬尾いわく予想外の再告白だったらしいのだけど、それもさておいて。相手が幼馴染みということもあり、瀬尾はきちんと断ったらしい。
好きな人がいるから、という理由で。まぁ、その好きな人って俺だったらしいんだけど。
「前も言ったけど。俺、あんまり誰かを好きになったことなかったし。おまけに、……っていうとあれなんだけど、男の先輩だったから、信じたくなかったみたいで」
「ああ、……いや、うん。ぜんぜん、いいよ、本当」
「勝手に思い込んで失礼なこと言いましたってさ。あいつが言ってるだけだから、先輩は怒っててもいいんだけどね。それこそ本当に」
日向のやらかしを代わって謝罪する自分に似た言い方に、「本当にいいから、大丈夫」と俺は請け負った。
だって、その言い方で、瀬尾は家族としてしか見てないってわかるもん。体現するように笑った俺を見やり、瀬尾はなぜか呆れた調子で眉を下げた。
「本当に人が良いよね、先輩は」
「ええ……、いや、人が良いっていうかさ。恋ってそういうものだと思うし」
「そういうもの?」
「うん、なんていうか、俺もよくわかんないけど」
キラキラとしていて、恥ずかしくて、苦しくて。でも、どうしようもなく心が躍ることもあって。振り回されて、相手のことも、自分のことも、なにもわからなくなってしまうこともある。とんでもない激情。
それで、めちゃくちゃくさいことを言うと、俺にそれを教えてくれたのは、ぜんぶ瀬尾だった。
――俺には程遠いって思ってたのになぁ。
不思議そうな瞳をまっすぐに見つめ、「まぁ、そういうものはそういうものだよ」と俺は笑いかけた。
するわけがないと思っていた恋をしたことで、世界が変わったのだから、恋って怖いな、とも思うわけだけど。瀬尾と恋をすることができてよかった、と。俺は心の底から思っている。