「このあいだ、コンビニに来たやついたじゃん。幼馴染みって言ってた」
「あ、……うん」
 言ってたね、と応じ、瀬尾に意識を戻す。なんで、羨ましいなんて思ったんだろう。内心で首をひねっていると、瀬尾が自虐の混じった調子で笑った。
「俺さ、自慢じゃないんだけど、中学入ったあたりで、それまでの比じゃなくモテるようになって」
「想像できる、見てないけど」
 かわいくて、かっこよくて、優しくて。モテたんだろうな、それはもう、ものすごく。
 そんなころの瀬尾にも、ちょっと会ってみたかったな。その想像で、俺は笑った。できるだけ、軽く響くように。
「でしょ? でも、べつにモテたかったわけでもないし。けっこう困っててさ」
「うん」
「そうしたら、あいつが、『じゃあ、彼女のフリしてあげよっか』って言い出して」
「うん」
 そうだったんだ、と心のうちで呟く。俺と一緒だったんだ。いや、彼女の時点で一緒じゃないことはわかるけど。その、なんというか、偽装という点で。
 コンビニで話したときの茉莉花ちゃんの顔が、頭に浮かんだ。わざわざバイト先に来て、牽制をした真剣な顔。瀬尾のことを好きなんだろうな、と想像することは簡単だった。それなのに、瀬尾はそうじゃないみたいに言う。
「ただの幼馴染で、お互いそういう意味で好きじゃないって俺は思ってたから。あんまり考えないでオッケーしたんだけど。でも、どんどん本当の彼女面っていうか、図々しくなって。約束違ぇだろって嫌になってやめた」
 ……瀬尾さぁ、たぶんだけど、それ。持ちかけた時点で、中学生の茉莉花ちゃん、おまえのこと好きだったんだと思うよ。
 こちらも想像は容易だったものの、うん、と頷くに留めることにした。
 俺が勝手に踏み込んでいい話じゃないしなぁ、と思ったし、同時に、こいつ、本当に一回懐に入れた相手に甘いなぁ、とも思ったわけだけど。
 たぶんだけど、幼馴染みの茉莉花ちゃんにも、おまえ、それなりに特別に優しくしてたんでしょ。だから、勘違いしたくなっちゃったんだよ。茉莉花ちゃんも、俺も。
 そんなことを考えていると、瀬尾は苦笑まじりに半年前の内心を打ち明けた。
「でも、先輩だったら、男を好きにならないだろうし、先輩にとってもメリットあるから。お互いさまで約束続くんじゃないかなーって思って声かけたんだけど」
「ああ、……うん。だよね」
 わかってたから、けっこう気をつけてたんだけどなぁ、との本音は呑み込んで曖昧な苦笑を返す。その俺を見て、でも、と瀬尾はもう一度言った。
「途中から、もっと図々しくなってくれないかなって思ってたんだよ、俺」
「え……」
「フリじゃなくて特別にしてくれたらいいのにって」
 それはいったいどういう意味なのだろう。胸がドキリと鳴って、なにも言えなくなってしまった。だって、そんなの、俺に都合の良すぎる勘違いをしてしまいそうになる。
 黙ったままの俺に、瀬尾がふっとほほえんだ。まるで、駄目押しみたいに。
「それにさ、俺と先輩、話合うと思わない?」
 文化祭の準備期間中だったころの、コンビニで。話が合う子がいいと俺が言って、たしかに大事だよねと瀬尾が言った。そうだよ。あのときだって、好きなタイプを問われた時点で、おまえの顔が浮かんだんだよ、俺。理由はわからなかったけれど、でも。
 駅に向かう人の波から外れ、街路樹のそばで瀬尾が立ち止まった。自然と俺の足も止まり、足元に落としていた視線を持ち上げる。
「俺は好きだよ、先輩。知ってる? 今日誘うの、実は俺がめちゃくちゃドキドキしてたの」
 知らないよ。そう笑おうとして完全に失敗した。いや、だって、おまえ、ぜんぜんそっけない顔してたじゃん。余裕がなくて、俺が気がつかなかっただけかもしれない、けど。
 ――好きって、瀬尾が? 俺を。
 嘘や冗談で、そんなことを言うやつではないとわかっている。でも、瀬尾が好きになってくれる要素が、俺のどこにあるのかがわからない。それに、あたりまえの話だけど、俺も、瀬尾も、男だ。
 ざわめきの中、いつかと同じように五秒を数えて、俺は首を傾げた。
「俺、ゲイじゃないと思うんだけど」
 おっさんに好かれるからってさぁ、俺も同じだと思った、というように。冗談めかして逃げ道を残そうとした俺を見つめ、瀬尾ははっきりと答えた。
「俺もゲイじゃないと思うよ。付き合った女子もいるし」
「なら……」
「でも、先輩は好き。男だからとか女だからじゃなくて、先輩個人が好き」
 当然と言わんばかりの、ぶれのない声だった。
「なんか、いつも、すげぇ必死だし、周りのこと気にしすぎだろって呆れることもあったけど。そういうのぜんぶひっくるめて、大事にしようとしてる先輩が好き。先輩と話してると落ち着くし、素が出せる気がする。もっと、ずっと一緒にいたいなって思う」
「……え」
「そういうふうに好きなんだけど、それって、そんなにおかしいの?」
 なんで、瀬尾は、そんなにまっすぐに言うことができるのだろう。言葉の意味の半分も理解できないまま、ぐっと手を握った。胸がいっぱいで、うれしいと苦しいが喉のあたりまで詰まっている。
 いつも、そうだ、と。泣きたいような気分で思った。瀬尾は、いつも、そうやって、俺の戸惑いも恥ずかしいも、きれいさっぱり吹き飛ばす。
 ……でも、それだけじゃないよな。
 そっと息を吸って、改めて瀬尾を見上げる。瀬尾は俺とは違うけど、強いけど、それが瀬尾のすべてではないことも、俺はきちんと知っている。
 今もそうだ。まっすぐに俺を見つめる瞳の奥には、不安と緊張が潜んでいる。だから、俺も向き合わないといけない。男同士だからとか、そういうことではなくて。俺自身と、瀬尾の気持ちに。
「おかしくない」
 ほっとゆるんだ瞳を見上げ、俺は繰り返した。だから、その顔、反則なんだって、とほんの少し呆れながら。
 好きなやつの表情の変化に弱くないやつなんて、この世界のどこにもいないだろ。
「おかしくないよ、ぜんぜん」
 だって、と俺は続けた。
「俺も好きだもん」
 クリスマスの夜の駅前がこれほどにぎやかだということを、俺ははじめて体感として知った。これほど多くの人がいても、べつに、誰も、他人に注目しないんだな、ということも。
 もちろん、見ている人もいるのだろうけれど。でも、べつに、どうでもいいことだ。だって、その他大勢の比でなく大事にしたい相手が目の前にいるのだから。
 自分の思考に驚いて、同時に知った。瀬尾に「彼氏やってあげようか」と言われた瞬間。止まった気がした世界は、止まったのではなく、変わり始めていたのだと。
 今の俺の世界は、半年前よりも、ずっと広くなっている。それで、それは、ぜんぶ、瀬尾のおかげなんだ。