なんか、下手したら、はじめて一緒に入ったときより疲れたな。
 ぐったりとした気分でそそくさとシャツを脱ぎ、ダウンジャケットを掴んでロッカーの前を離れる。
 ……瀬尾も瀬尾で「沈黙なんて気になりませんが?」みたいな顔に戻ってるしさぁ。
 ロッカーを使い始めた瀬尾のしらっとした横顔から、俺はそっと視線を外した。
 自分が悪いとわかっていても、きついものはきつい。とは言え、最低限ふつうに振る舞いたいという自負もある。バックヤードの隅でダウンを羽織り、よし、と俺は愛想笑いをつくった。
「あー……、じゃ」
 この半年、ずっと一緒に帰っていたせいか、挨拶が妙にぎこちない。気がつかないふりで、「お先」とバックヤードを出ようとしたのだが。
「ちょっと待って」
 たぶん、今日、はじめて。瀬尾が自発的に俺に発した声に、当然と扉を押そうとしていた手が止まる。
「えっと、なに? どうかした?」
 取ってつけたように笑って振り返ると、瀬尾が鞄から本を取り出した。
「これ。本、返す。ありがと」
「ああ」
 呼び止めた理由に納得して、差し出された本を受け取る。そうだよな、持ったままにしてるの、瀬尾は嫌だよな。
 受け取った本の表紙を見つめたまま、俺はぽつりと言葉を落とした。身に染みた愛想というよりは、喋ってくれる機会を逃したくなかったからで。本当に勝手だと自分に呆れた。
「どうだった?」
「うん、ふつうに面白かった」
 俺と同じで少しだけぎこちない、でも、ふつうの範疇の声。その事実にほっとして、うつむいたまま口元をゆるめる。
「そっか、よかった」
「今日は? 次の本持ってないの?」
「あー……、うん」
 ここぞと次に貸す本を渡していた過去を指摘され、俺は苦笑を浮かべた。毎回、俺が鞄から本を取り出すから、「いつも入ってんの?」と驚かれたこともある。
 違うよ。そもそも、本の貸し借りがなかったら、鞄なんて持ってこないよ。いつのまにか「いつも」になっていたというだけで。
 すべて心のうちで言い、習慣で持っていた鞄に本をしまう。そうしてから、俺は顔を上げた。
「ちょっと次々渡しすぎたなって反省したっていうか。瀬尾もさ、また読まなきゃって思うのも負担だったんじゃない?」
「そんなことないけど」
「そ? ならいいんだけど、でも」
 これもやめてもいいんじゃないかな。続けるつもりだった提案を遮るように、瀬尾がかすかにほほえむ。
「また、貸してよ。今度」
「……いい、けど」
 偽装彼氏をやめたって、バイト先は一緒だし、日向の友達だし、俺はこうやって喋ることができることはうれしいし。
 でも、瀬尾はもう嫌なのかなって思ってた。だって、ずっと、はじめて会ったころみたいだったじゃん。
 好きになったかもしれないってばれて、嫌われたくなかったから。颯爽と「やめよ」と言ったつもりだったのに、意味なかったじゃんって、そう思ってたのに。
 ぐるぐると巡る勝手な思考を押し込め、「じゃあ」と改めて告げようとしたのに。「先輩」と以前と変わらない調子で、瀬尾が俺を呼んだ。
「ん?」
「ツリー見に行かない?」
 店内からは、クリスマスソングが響いている。いっそのこと、機嫌が悪いままでいてくれてもよかったのに。またしても勝手な考えが浮かんだものの、断ることはできなかった。
「…………いいけど」
 つい先ほどと、あるいは、いつか誘ってくれたときと同じように。俺は了承を振り絞った。なんでもない声を取り繕えている自信は、まったくと言っていいほどなかったわけだけど。
 みっともないことに、それが俺の本気の精いっぱいだった。