「おつかれさまでーす」
着込んでいたダウンジャケットのファスナーを下げながらバックヤードのドアを開けると、モニター画面を見ていた川又さんが振り返った。
ついついお願いを聞いてあげたくなる、へにょりとした笑顔。本当に予定はなかったから、今日に関してはぜんぜんいいのだけど。
「ごめんねぇ、遠坂くん。せっかくのイブなのに」
「いいっすよ、べつに。予定もなかったんで」
笑って、脱いだ上着をロッカーのハンガーにかける。
――まぁ、そら、リア充はイブにバイトなんて入りたくないよなぁ。
「そう言ってくれると、こっちは助かるけど。――あ、瀬尾くんも。ごめんねぇ、急に入ってもらっちゃって。予定とか大丈夫だった?」
「え……」
今日、真矢さんじゃなかったんだ。扉の開く音と川又さんから飛び出した名前に驚いて振り返る。けれど、俺が愛想笑いを浮かべる前に、川又さんと話をするていで瀬尾は視線を逸らした。
「いいっすよ、振られたんで」
「え、……え、あ、そう、なんだ。ああ、でも、ね、瀬尾くんかっこいいから。すぐに新しい彼女できるんじゃないかな。ね、遠坂くん。ね」
「ええ……」
なんで、俺に話振るの。というか、川又さん、テンパった気持ちはわかるけど、令和コンプラ的にいろいろアウトだよ。
突っ込みたくなったものの、とりあえず。制服のシャツを着ることで、返事を誤魔化そうと試みる。だが、しかし、のそのそとボタンを留めるあいだも、瀬尾はなにも言わなかった。機嫌悪いって、これか。気まずさに耐えかね、へらりとほほえむ。
「あー……、じゃ、ないすかね」
「だって。ほら、よかったねぇ、瀬尾くん」
「はぁ、でも、べつに、好きでもなんでもない相手に好かれても、うれしくないんで」
「なるほど、なるほど。モテる子は言うことが違うよねぇ。ねぇ、さすが。ねぇ、遠坂くん」
「はは、……はぁ、ですよねぇ」
俺にはわかんないですけどぉ、と愛想笑いのまま続け、ロッカーの前を譲るかたちで、俺はするするとバックヤード内を移動した。気まずいがすぎる。
どうにか挽回したい川又さんの世間話は完全にドツボにはまっているし、瀬尾は塩だし。意味のない愛想笑いに疲れ、俺は時計を見た。十七時四分前。
「レジ、代わってきまーす」
「ああ、はい。お願いねぇ」
なるちゃんに言ったとおりで、喧嘩してるつもりはなかったんだけどなぁ。機嫌悪いって、なんで機嫌悪いんだよ、と。レジに向かいながら首をひねったところで、ああ、と得心する。
……いや、怒ってんのか、もしかしなくても、俺に。
瀬尾の言おうとすることを聞かず、自己完結で言い切ったから。たしかに、瀬尾はあまり好きではなさそうだ。
「おつかれ、遠坂くん。交代ありがとね。でも、よかったの? イブなのに、シフト入っちゃって」
「いや、ぜんぜん。予定もなかったんで。代わりますね」
それも本当、令和コンプラアウトなのよ、と思いつつ。おばさまたちのかわいがりを笑顔で受け流して、レジを代わる。
瀬尾もやってきて、家に帰ったらクリスマスパーティーなのよ、あら、うちも、なんてことを言い合いながら、おばさまたちが出ていくと、一転してレジは静寂に包まれた。
……いや、気まず。
機嫌が悪い原因、俺なの、という疑いが濃厚になっただけに、よけいに。無言でレジ周りを整える瀬尾の様子をちらちらと窺うこと、十秒。耐えきれなくなって、俺は口を開いた。
黙ってふたりで突っ立っているという図が、本当に心底苦手なのである。
「あの、さ」
「なんすか」
意を決したものの、ふつうに瀬尾は冷たかった。懐かしいくらいの塩。
でも、まぁ、偽装彼氏だから優しかったんだって思えば、こんなもんか。ただのバイト先の先輩に対する態度なんて。そう言い聞かせ、果敢にチャレンジを続行する。
「あ、……ううん。バイト代わってあげたんだなって思って。今日、もうひとり真矢さんだと思ってたから」
「彼氏できたらしいっすよ。このまえシフト被ったときに、休みたいけど悪いかなって悩んでたから。べつに俺、用事なかったし」
「あ、なかったんだ」
ほっとして呟いた直後、絶対零度の視線を頂戴してしまった。いや、こわ。
ひさしぶりに見たということもそうだけど、もともとの顔が良いから、無表情で睨まれるととんでもなく怖いんだって。おまけに、大型犬っぽい表情に見慣れてたからさぁ。
「うん。いや、ごめん」
俺が口出す話じゃなかったよね、と、はは、と俺は笑った。めちゃくちゃ乾いた笑いになったし、瀬尾はなにも言わなくて沈黙が落ちた。ヤバいほど気まずい。
少し前までなに喋ってたんだっけ。というか、なんで喋らなくても気まずくないって思うようになったんだったけ。
まったく思い出せないまま、そっと溜息を呑む。店内にはずっと陽気なクリスマスソングが流れていて、なんだかそれが気まずさに拍車をかけている気がした。
――っていうか、瀬尾も振られたとか言い出すなよ。
川又さんも困ってたじゃん。俺との約束がなくなったあとに、誘った女の子に振られたのかもしれないけどさ。でも、言わなくてもいいだろ。
そんなことを考えながら、手持無沙汰に時計を見上げる。勤務開始から十分も経っていなかった現実に愕然として、俺は再び溜息を呑み込んだ。
頼むから、あと四時間弱、さっさとワープしてほしい。
着込んでいたダウンジャケットのファスナーを下げながらバックヤードのドアを開けると、モニター画面を見ていた川又さんが振り返った。
ついついお願いを聞いてあげたくなる、へにょりとした笑顔。本当に予定はなかったから、今日に関してはぜんぜんいいのだけど。
「ごめんねぇ、遠坂くん。せっかくのイブなのに」
「いいっすよ、べつに。予定もなかったんで」
笑って、脱いだ上着をロッカーのハンガーにかける。
――まぁ、そら、リア充はイブにバイトなんて入りたくないよなぁ。
「そう言ってくれると、こっちは助かるけど。――あ、瀬尾くんも。ごめんねぇ、急に入ってもらっちゃって。予定とか大丈夫だった?」
「え……」
今日、真矢さんじゃなかったんだ。扉の開く音と川又さんから飛び出した名前に驚いて振り返る。けれど、俺が愛想笑いを浮かべる前に、川又さんと話をするていで瀬尾は視線を逸らした。
「いいっすよ、振られたんで」
「え、……え、あ、そう、なんだ。ああ、でも、ね、瀬尾くんかっこいいから。すぐに新しい彼女できるんじゃないかな。ね、遠坂くん。ね」
「ええ……」
なんで、俺に話振るの。というか、川又さん、テンパった気持ちはわかるけど、令和コンプラ的にいろいろアウトだよ。
突っ込みたくなったものの、とりあえず。制服のシャツを着ることで、返事を誤魔化そうと試みる。だが、しかし、のそのそとボタンを留めるあいだも、瀬尾はなにも言わなかった。機嫌悪いって、これか。気まずさに耐えかね、へらりとほほえむ。
「あー……、じゃ、ないすかね」
「だって。ほら、よかったねぇ、瀬尾くん」
「はぁ、でも、べつに、好きでもなんでもない相手に好かれても、うれしくないんで」
「なるほど、なるほど。モテる子は言うことが違うよねぇ。ねぇ、さすが。ねぇ、遠坂くん」
「はは、……はぁ、ですよねぇ」
俺にはわかんないですけどぉ、と愛想笑いのまま続け、ロッカーの前を譲るかたちで、俺はするするとバックヤード内を移動した。気まずいがすぎる。
どうにか挽回したい川又さんの世間話は完全にドツボにはまっているし、瀬尾は塩だし。意味のない愛想笑いに疲れ、俺は時計を見た。十七時四分前。
「レジ、代わってきまーす」
「ああ、はい。お願いねぇ」
なるちゃんに言ったとおりで、喧嘩してるつもりはなかったんだけどなぁ。機嫌悪いって、なんで機嫌悪いんだよ、と。レジに向かいながら首をひねったところで、ああ、と得心する。
……いや、怒ってんのか、もしかしなくても、俺に。
瀬尾の言おうとすることを聞かず、自己完結で言い切ったから。たしかに、瀬尾はあまり好きではなさそうだ。
「おつかれ、遠坂くん。交代ありがとね。でも、よかったの? イブなのに、シフト入っちゃって」
「いや、ぜんぜん。予定もなかったんで。代わりますね」
それも本当、令和コンプラアウトなのよ、と思いつつ。おばさまたちのかわいがりを笑顔で受け流して、レジを代わる。
瀬尾もやってきて、家に帰ったらクリスマスパーティーなのよ、あら、うちも、なんてことを言い合いながら、おばさまたちが出ていくと、一転してレジは静寂に包まれた。
……いや、気まず。
機嫌が悪い原因、俺なの、という疑いが濃厚になっただけに、よけいに。無言でレジ周りを整える瀬尾の様子をちらちらと窺うこと、十秒。耐えきれなくなって、俺は口を開いた。
黙ってふたりで突っ立っているという図が、本当に心底苦手なのである。
「あの、さ」
「なんすか」
意を決したものの、ふつうに瀬尾は冷たかった。懐かしいくらいの塩。
でも、まぁ、偽装彼氏だから優しかったんだって思えば、こんなもんか。ただのバイト先の先輩に対する態度なんて。そう言い聞かせ、果敢にチャレンジを続行する。
「あ、……ううん。バイト代わってあげたんだなって思って。今日、もうひとり真矢さんだと思ってたから」
「彼氏できたらしいっすよ。このまえシフト被ったときに、休みたいけど悪いかなって悩んでたから。べつに俺、用事なかったし」
「あ、なかったんだ」
ほっとして呟いた直後、絶対零度の視線を頂戴してしまった。いや、こわ。
ひさしぶりに見たということもそうだけど、もともとの顔が良いから、無表情で睨まれるととんでもなく怖いんだって。おまけに、大型犬っぽい表情に見慣れてたからさぁ。
「うん。いや、ごめん」
俺が口出す話じゃなかったよね、と、はは、と俺は笑った。めちゃくちゃ乾いた笑いになったし、瀬尾はなにも言わなくて沈黙が落ちた。ヤバいほど気まずい。
少し前までなに喋ってたんだっけ。というか、なんで喋らなくても気まずくないって思うようになったんだったけ。
まったく思い出せないまま、そっと溜息を呑む。店内にはずっと陽気なクリスマスソングが流れていて、なんだかそれが気まずさに拍車をかけている気がした。
――っていうか、瀬尾も振られたとか言い出すなよ。
川又さんも困ってたじゃん。俺との約束がなくなったあとに、誘った女の子に振られたのかもしれないけどさ。でも、言わなくてもいいだろ。
そんなことを考えながら、手持無沙汰に時計を見上げる。勤務開始から十分も経っていなかった現実に愕然として、俺は再び溜息を呑み込んだ。
頼むから、あと四時間弱、さっさとワープしてほしい。