「あ、いらっしゃいませ」
 まっすぐとレジにきた女の子に、店員モードに切り替えて声をかける。
 肉まんかな、ホットスナックかな、とのんきに注文を待っていると、意を決した様子でその子が「あのっ」と切り出した。
「はい?」
「遠坂先輩……ですよね。遠坂のお兄ちゃんの」
 それは、まぁ、遠坂のお兄ちゃんだったら、遠坂先輩だろうなぁ、と。どうでもいい揚げ足を取りつつ、「そうだけど」と頷く。
 遠くから見たときの印象と大差のない、気が強そうで、明るくて、かわいい感じの女の子。俺をじっと見つめたまま、その子が問いかけた。
「先輩って、本当に海成と付き合ってるんですか」
「……は?」
 海成って、瀬尾だよな。下の名前で呼んでる子、はじめて見たけど。予想外の展開に二の句を告げずにいると、焦れたように彼女が言い募る。
「あいつ、ゲイじゃないと思うんだけど」
「いや、……えっと」
「先輩の噂は聞いたことありますし、それはどうでもいいんですけど。先輩が無理やり付き合わせてるんだったら、やめてほしいんです」
 きっぱりと言い切り、その子は慮るように眉を寄せた。
「海成、なんだかんだ言って真面目なところあるから。バイト先も一緒だし、遠坂のお兄ちゃんに言われたら、断りにくいんじゃないかなって」
 いや、瀬尾が真面目なことは知ってるけどさ。言葉に出さず、俺は言い返した。
 あいつ、第一印象顔以外最悪だけど、中身は本当にいいやつだよな。なんだかんだ言って面倒見が良くて、案外素直でかわいくて。でも。
「噂?」
「……男が好きだって」
 ためらいがちに、だが、はっきりと告げられた返事に、笑おうとして失敗した。
 いや、なに。べつに好きじゃないんだけど、男なんて。むしろ、ずっと苦手だったんだけど。瀬尾と仲良くなるまでは。ごく自然と思ったところで、すっと頭が冷えた。
 ……じゃねぇわ。それがきもいって言われてんのか、これ。
 男と男で付き合っているみたいな関係が。実際は違うわけだけど、でも、そうだったとしたら、こんなふうに言われてもおかしくないということ。
「茉莉花?」
 瀬尾の声に、俺ははっと我に返った。おばあさんの手伝いが終わってレジに戻る途中で女の子に気がついたみたいで、珍しく雰囲気が慌てている。
「やば。海成いたんだ」
 振り返った女の子に、「いたんだ、じゃねぇよ」と呆れたふうに瀬尾が言う。あまり聞いたことのない雑な、でも、親しげでもある喋り方。
 なんだか、俺だけ部外者の少女漫画を見ているみたいだった。なんだっけ、当て馬みたいな。
「っつか、なにやってんだよ、おまえ。こんなとこで」
「違うし。海成のバ先どんなとこなのかなって思って見にきただけ。もう帰るってば」
 じゃあね、と笑うと、逃げるように女の子が店を出ていく。感じ取ったじゃれ合う空気に、へぇ、と俺は思った。
 へぇ、茉莉花ちゃんっていうんだ。海成。茉莉花。お互い呼び捨てにするような関係なんだ。いや、ぜんぜん、べつにいいんだけど。
 レジカウンターに入りすぐ隣に立った瀬尾が、バツの悪い顔で囁く。
「あの、なんか言われたりした? 俺の元カノっつか、幼馴染みっつか、……ちょっと気が強くて。あと思い込みも激しくて。……いや、悪いやつじゃないんだけど」
 あ、へぇ、庇うんだ。ごく自然と思ってしまって、自分の女々しさに嫌気が差した。
「ぜんぜん、べつに。なんでもないよ」
 だから、なんでもないふりを装って笑う。
 実際、たいしたことじゃなかったし。野井たちが「俺がすぐに変なおっさんに絡まれる」と笑って、「リアルBLじゃん」と馬鹿にしていたのとほとんど同じことだ。
 強いて言えば、「男が好き」はそういうふうに見られると改めて実感をしたというくらい。
 だから、言ったじゃん、とは少し思ったけど。
 LGBTQとか、ジェンダーフリーとか。SNS上の有名人とか、知り合いの知り合いに対してだったら、理解のあることを言うことはできるけど。自分の隣にいるとなると、違うんじゃない、と。そういうこと。
「なら、いいけど。本当に本当?」
「本当、本当。遠坂のお兄ちゃんですかって言われたくらい。まぁ、昔からよくあるんだけどさ、あいつ顔広いから。――あ、いらっしゃいませ」
 お客さんが数人入ってきて、ごく自然と会話が途切れたことに、俺は心底ほっとした。
 レジ業務をしながら、瀬尾はさ、と心の中で問いかける。言葉にしては絶対に言えないこと。
 どうでもいい人にゲイって思われても、どうでもいいって言ったけどさ。お互い名前呼びをするような相手に、ゲイだと思われて非難をされたら、さすがにちょっと困るだろ。
 それで、「あいつ、ゲイなんだって」と噂をされる事態になったら、きっと、もっと。
 想像したら、なんか、ちょっと目が覚めた。それだけ。たいしたことじゃ、ぜんぜんない。