俺がこの世に生まれ落ちて、十七年。彼女がいたことは一度もなく、クリスマスデートをした経験も当然ない。そんな俺に偽装とは言えイケメンの彼氏ができて、「誘ってくる女子面倒くせぇ」対策だとしても、デートに誘われているときた。
羽純ちゃんの好きな少女漫画もびっくりの展開が続いているわけだけど、なにが一番びっくりって、俺がひっそりと喜んでいる事実なんだよな。
――でも、そっか、クリスマスだもんなぁ。
繰り返すが、女子を遠ざけるための瀬尾の常套句とわかっているし、本気で受け取っているわけではない。だが、本の一冊程度のプレゼントは許されるのではないだろうか。
学校帰りに立ち寄った駅ビルにある大型書店で、いつも以上に俺はぐるぐると歩き回っていた。
夏に知り合って以来、瀬尾には世話になっているし、服や装飾品でなければ、そこまで重くはないと思うのだけど。
言い訳じみたことを心の中で呟きながら、出版社別に並ぶ文庫本の棚の前で立ち止まる。
……それに、好きになったかもって言ってくれたし。
趣味を押しつけないように気をつけつつ「よかったら」と続けて貸した二冊目も、途中で「けっこう好き」と感想をくれて、「今度返すとき、別のやつ貸してよ」と笑ってくれた。
そんな反応を貰って、本好きオタクがやられないわけがないのだった。なんでもプレゼンしちゃうよという気分になるし、瀬尾はどんな本が好きなんだろうと想像したくなる。
背表紙に目を走らせ、案外エッセイもありかもしれないと考える。ミステリーはとっつきにくい文体のものもあるし、恋愛小説を贈るのは、なんだか少し恥ずかしい。
自意識過剰だって、わかっているけど。伸ばしかけた指を戻し、次の棚の前に移動する。今日はバイトが休みだから、時間には余裕がある。
もう少しほかのコーナーも回ってみようと俺はゆっくり歩き始めた。
クリスマス関連本のコーナーが充実し、ブックサンタのお知らせが目に留まる十二月の本屋は、クリスマスのあたたかい期待に満ちている。
今年もそんな時期なんだな、クリスマスにはどの本を買おうかな、とわくわくした気分になる、俺の冬の風物詩。でも、今年はそれだけではない。
――だって、クリスマスデートだもんな。
声に出さず、俺はもう一度呟いた。もしかしなくても、ヤバいくらい浮かれているに違いない。自覚した事実を誤魔化すように、エッセイコミックに手を伸ばす。
恋愛がテーマらしいそれを数ページめくるうち、俺はふと瀬尾との会話を思い出した。
好きなタイプについて、話したときのこと。好きなタイプなんてないんだけどなぁと思いながら、用意していた答えを俺は言った。話しやすい子という、可も不可もないそれ。「ほとんど誰でもいいじゃん」と瀬尾は笑ったけれど、実はそのとおりなのだった。
――なんていうか、幼稚園のころの初恋は結衣先生って覚えてるけど、それ以外の恋愛の記憶ってないんだよな、俺。
楽しそうな日向と羽純ちゃんや、クラスメイトの恋愛模様を見て、いいなぁと感じたことはある。でも、キラキラとした恋愛は俺には無理なんだろうなぁという諦めのほうが、いつもずっと強かった。
いつか、俺のことを好きになってくれる女の子が現れたらと夢を見ることはあっても、その程度。なるちゃんが言う一番、二番の「好き」と変わらない、幼い憧れのままの感情。
俺には等身大の恋はほど遠いと、ずっと一線を引き続けていた。
――それなのに、なんで、こんなに意識してんだろ。
女の子ですらない相手なのに。苦笑を呑み込み、本を棚に戻そうとした瞬間。近くの本を取ろうとしていた人の指と手の甲が触れ合った。
「あ、……すみません」
余計なことを考えていたせいで、すぐ近くに人がいたことに気がついていなかった。いつもであれば、もう少し気配に気を配っているのに。
軽く頭を下げた俺に、大学生くらいの男の人が優しげにほほえむ。おっさんではなかったことにほっとして立ち去ろうとした足が、声をかけられたことで止まる。
「本、好きなの?」
「あ、……えっと」
「僕もすごく好きなんだよね。でも、年の近い男の子で本好きの子って少ないから。よかったら、おすすめとか教えてくれない? 時間ある?」
「いや、その」
周囲にほかに人の姿はない。これはナンパというやつなのだろうか。おっさんに絡まれるときとは別の類の困惑に、愛想笑いを刻む。
でも、それがよくなかったのかもしれない。にこにことほほえみながら、背中に伸びてこようとした指に、俺はぴしりと固まった。
「下のカフェでも行く? おごるよ」
「……けっこうです」
ぎこちなかった愛想笑いを消し、俺は今度こそとその場を離れた。
相手が追いかけてくることはなかったし、たぶんだけど、ただのナンパならそういうものなのだと思う。
はっきりと断ればそれまでの、よくあること。人によっては些細なこと。でも、うきうきとしていた俺の心は完全にしぼんでいた。足早にエスカレーターを降りて、駐輪場に向かう。
気にしなければどうでもいいことであるはずなのに。ひさしぶりだったせいか、なんだかめちゃくちゃ気持ちが悪かった。
羽純ちゃんの好きな少女漫画もびっくりの展開が続いているわけだけど、なにが一番びっくりって、俺がひっそりと喜んでいる事実なんだよな。
――でも、そっか、クリスマスだもんなぁ。
繰り返すが、女子を遠ざけるための瀬尾の常套句とわかっているし、本気で受け取っているわけではない。だが、本の一冊程度のプレゼントは許されるのではないだろうか。
学校帰りに立ち寄った駅ビルにある大型書店で、いつも以上に俺はぐるぐると歩き回っていた。
夏に知り合って以来、瀬尾には世話になっているし、服や装飾品でなければ、そこまで重くはないと思うのだけど。
言い訳じみたことを心の中で呟きながら、出版社別に並ぶ文庫本の棚の前で立ち止まる。
……それに、好きになったかもって言ってくれたし。
趣味を押しつけないように気をつけつつ「よかったら」と続けて貸した二冊目も、途中で「けっこう好き」と感想をくれて、「今度返すとき、別のやつ貸してよ」と笑ってくれた。
そんな反応を貰って、本好きオタクがやられないわけがないのだった。なんでもプレゼンしちゃうよという気分になるし、瀬尾はどんな本が好きなんだろうと想像したくなる。
背表紙に目を走らせ、案外エッセイもありかもしれないと考える。ミステリーはとっつきにくい文体のものもあるし、恋愛小説を贈るのは、なんだか少し恥ずかしい。
自意識過剰だって、わかっているけど。伸ばしかけた指を戻し、次の棚の前に移動する。今日はバイトが休みだから、時間には余裕がある。
もう少しほかのコーナーも回ってみようと俺はゆっくり歩き始めた。
クリスマス関連本のコーナーが充実し、ブックサンタのお知らせが目に留まる十二月の本屋は、クリスマスのあたたかい期待に満ちている。
今年もそんな時期なんだな、クリスマスにはどの本を買おうかな、とわくわくした気分になる、俺の冬の風物詩。でも、今年はそれだけではない。
――だって、クリスマスデートだもんな。
声に出さず、俺はもう一度呟いた。もしかしなくても、ヤバいくらい浮かれているに違いない。自覚した事実を誤魔化すように、エッセイコミックに手を伸ばす。
恋愛がテーマらしいそれを数ページめくるうち、俺はふと瀬尾との会話を思い出した。
好きなタイプについて、話したときのこと。好きなタイプなんてないんだけどなぁと思いながら、用意していた答えを俺は言った。話しやすい子という、可も不可もないそれ。「ほとんど誰でもいいじゃん」と瀬尾は笑ったけれど、実はそのとおりなのだった。
――なんていうか、幼稚園のころの初恋は結衣先生って覚えてるけど、それ以外の恋愛の記憶ってないんだよな、俺。
楽しそうな日向と羽純ちゃんや、クラスメイトの恋愛模様を見て、いいなぁと感じたことはある。でも、キラキラとした恋愛は俺には無理なんだろうなぁという諦めのほうが、いつもずっと強かった。
いつか、俺のことを好きになってくれる女の子が現れたらと夢を見ることはあっても、その程度。なるちゃんが言う一番、二番の「好き」と変わらない、幼い憧れのままの感情。
俺には等身大の恋はほど遠いと、ずっと一線を引き続けていた。
――それなのに、なんで、こんなに意識してんだろ。
女の子ですらない相手なのに。苦笑を呑み込み、本を棚に戻そうとした瞬間。近くの本を取ろうとしていた人の指と手の甲が触れ合った。
「あ、……すみません」
余計なことを考えていたせいで、すぐ近くに人がいたことに気がついていなかった。いつもであれば、もう少し気配に気を配っているのに。
軽く頭を下げた俺に、大学生くらいの男の人が優しげにほほえむ。おっさんではなかったことにほっとして立ち去ろうとした足が、声をかけられたことで止まる。
「本、好きなの?」
「あ、……えっと」
「僕もすごく好きなんだよね。でも、年の近い男の子で本好きの子って少ないから。よかったら、おすすめとか教えてくれない? 時間ある?」
「いや、その」
周囲にほかに人の姿はない。これはナンパというやつなのだろうか。おっさんに絡まれるときとは別の類の困惑に、愛想笑いを刻む。
でも、それがよくなかったのかもしれない。にこにことほほえみながら、背中に伸びてこようとした指に、俺はぴしりと固まった。
「下のカフェでも行く? おごるよ」
「……けっこうです」
ぎこちなかった愛想笑いを消し、俺は今度こそとその場を離れた。
相手が追いかけてくることはなかったし、たぶんだけど、ただのナンパならそういうものなのだと思う。
はっきりと断ればそれまでの、よくあること。人によっては些細なこと。でも、うきうきとしていた俺の心は完全にしぼんでいた。足早にエスカレーターを降りて、駐輪場に向かう。
気にしなければどうでもいいことであるはずなのに。ひさしぶりだったせいか、なんだかめちゃくちゃ気持ちが悪かった。