展示の簡易プラネタリウムに入ったり、体育館のステージを見たり。気の向くままにぶらぶらとしていただけなのに、あっというまに残り三十分になってしまった。
 バイトのときもそうだけど、瀬尾といると時間がワープすることがある。つまり、楽しいということなんだけど、教室に戻ることが面倒になったことは厄介だ。
 ――まぁ、そんなこと言ったって、サボる選択肢はないんだけど。
 それに、まぁ、夜にある打ち上げが終わったら、一ヶ月に及んだクラスのわちゃわちゃも一段落になるのだし。あと少しと気分を切り替え、隣を歩く瀬尾に話しかける。
 お互いの教室に戻る前にちょっとゆっくりしようよ、という瀬尾の発案で空き教室に戻る道中だった。
 俺に気を使ってくれた側面もあると思うけど、どこを歩いてもちらちらと視線が刺さるから、瀬尾も疲れたんじゃないかなと踏んでいる。このあたりは人の出入りも少ないし、瀬尾も一息吐けるといいんだけど。
「瀬尾のクラスはさ、打ち上げとかあるの?」
「あるよ、今日。カラオケって言ってたけど」
「行かないの?」
「ちょっと面倒。テンション上がりすぎると怖いじゃん」
 女子の勢いがってことなんだろうな。はは、と苦笑を返し、続けて話しかけようとした台詞を、俺は寸前で呑み込んだ。
 窓の外から聞こえた俺の名前に、反射で足も止まる。
「野井さぁ、一颯に触んの好きだよね。めっちゃカフェで受けてたじゃん、女子に」
「だろ? まぁ、触んの好きなのはそうだけど。ちょっとビクッてすんの見て、楽しんでるところはある」
 軽い調子で笑う野井と犀川の声。ここは二階で、だから、たぶん、もう少し窓に寄って見下ろしたら、喋っているところを見ることは叶うんだと思う。
 なに好き勝手に人の噂してんだよって。冗談に乗って声をかけることもできるし、気にしないふりで通り過ぎることもできる。「なに、あいつら最悪。人で遊ぶなよな」なんてことを瀬尾に言えば、笑い話で終わる。適当に受け流して「べつに、どうでもいい」にする、いつもの最適解。
 頭ではわかっていたのに、次の言動を選ぶことができなかった。
 ……あれ、でも、なんで、俺、ショック受けてんだろ。
 こんなこと、べつに、めちゃくちゃ珍しいことじゃないはずなのに。自分でもよくわからないまま固まっていると、はっきりと野井の声が響いた。
「あいつ、本当に昔から変なおっさんにばっかり好かれんの。気にしないって顔するくせに、けっこうビビってるし。なのに、かわいそ、BLカフェとか」
「かわいそって。おまえが櫻井さんにしたんだろ、その話。めっちゃ受けてたじゃん。BLいたって」
「犀川こそ。調子乗って、ちょっかい出したくなる気持ちはわかるとか言うから、櫻井さん喜んだんじゃん」
「かわいい子が楽しそうにしてんの、かわいいじゃん。それに、BLカフェだったら、準備もぜんぶ女子が主導するって言ってたし」
 ああ、なるほど。俺が思っていた以上に完全に人身御供だったってわけ。へぇ、なんて。冷めた思考で取り繕っていると、からりと窓が閉まる音がした。
 その音に、はっとして顔を上げる。
「聞かなくていいよ、先輩」
 窓から手を離し、不機嫌そうに瀬尾が言う。笑い話にするつもりはいっさいないらしい態度に戸惑って、俺はもう一度視線を足元に落とした。誤魔化すように前髪をくしゃりとかき混ぜる。
「恥ず……」
「恥ずかしくはないと思うけど」
 それも、また、なんとも瀬尾らしい台詞だった。でも、うん、と言葉にすることはできなくて、身ぶりで頷く。
 そっとした溜息のあと、「行こ」と告げて瀬尾は歩き出した。踵を返した際に見えた横顔の眩しさに、知らず息が詰まる。なんでなんだろうと心底不思議になったのだ。なんで、瀬尾は、こんなふうにまっすぐでいることができるんだろう。
 立ち止まったままの俺に気がついて、瀬尾が振り返る。
「先輩?」
「あ、……うん。ごめん、なんでもない」
 慌てて表情を取り繕い、俺は足を踏み出した。正直、瀬尾に聞かれたこともめちゃちゃ恥ずかしい。でも、いてくれてよかったと思う気持ちも、たしかにあった。
 だって、俺ひとりだったら、みっともなく立ち尽くしていたかもしれない。