おまけに、俺がレジを代わろうとしても絶対に動かないときた。性別が逆だったら「ストーカーこわ」案件のはずなのに、女の人ってなんで自分はセーフだと思うんだろうな。
「瀬尾さぁ、川又さんに言う?」
「いいよ。なんか言われたらそのときに断るから。だから、早くなんか言ってくれないかな。マジ面倒なんだけど」
 俺が先に言ったら勘違い野郎みたいじゃん、と続いた愚痴に、苦笑いになる。
 ――まぁ、その気持ちはわかるけど。
 俺自身、おっさんに絡まれることは嫌だけど、大事にはしたくないと思っている。俺の「恥ずかしい」と瀬尾の「面倒」で意味合いは違っていたとしても、困っているという点ではきっと同じだ。
「まぁ、今日は、俺がレジにいるようにするからさ。瀬尾は品出しとかレジ点検とかやっててよ」
 品出し中に話しかけてくることは、今まで一度もなかったはずだし。俺が困っているときに瀬尾がしてくれたことを提案すれば、「そうする」と瀬尾は少し疲れた顔で頷いた。


 ――うわ、絡まれてんじゃん、結局。
 ピロンという間抜けな音がしたわりに、なかなかバックヤードから戻らないなぁと心配をしていたら、ものの見事に絡まれている。身を乗り出したレジから確認した光景に、俺は「げ」と呟いた。どうやら引き留められている真っ最中だったらしい。
 宣言通りぱっと断って振り切ればいいのにと呆れた反面、瀬尾がなんだかんだと冷酷な態度を取り切れないことも知っている。塩対応に「ごめん、無理」は言うことができても、必死に思いを伝える相手を遮ることはできない、みたいな。そういうやつ。
 ……っていうか、こういうときこそ「あれ、彼氏」って言えばいいのに。
 なんのための偽装彼氏だよ、本当に。悶々とした気分のまま、数を数えること五秒。わざとらしく息を吐いて、俺はレジを離れた。
「あの、そういうのやめてください」
 できるだけ事務的にかけた声に、驚いた顔で女の人が振り返る。けれど、俺を見て、すぐにほっとした表情に変わった。
「あ、ごめんね、バイト中だったよね」
 年下のアルバイトの学生だと決めてかかって、言い方は悪いけれど、舐めているそれ。
 べつに年下のアルバイトの学生なのは事実だし、それはいいんだけど。「バイト中に声をかけた」こと以外、なにも悪いと思ってないんだろうな。そう思ったら、自分でも意外なほど機嫌の悪い声が出た。
「バイト中もそうですけど。やたら居座ってこいつのこと見てんのも、やめてもらえませんか」
「え……、なに。べつに見てないんだけど」
「見てるじゃないですか、一ヶ月も店通って。迷惑なんで」
 言いすぎてるよなぁとわかっていたし、絶対、これ、瀬尾も引いてるよなぁとわかったから、顔を見ることはできなくて。半ばやけくそで俺は言い募った。
「知らないおっさんに何回もじっと見られたら気持ち悪いでしょ。それと同じだと思うんですけど」
「見てないって言ってんのに! っていうか、見てたとしても、同じなわけないじゃん。なに言ってんの?」
 赤い顔の反論に、本当になんでなんだろうなと首をひねる。
「同じなわけないって、女の人だからですか? 知らない人間にじっと見られたら、男でもふつうに気持ち悪いし、怖いですよ」
「だから、なに言って……」
「怖いですよ」
 憮然と繰り返した直後。なんか、これ、瀬尾にかこつけて八つ当たりしてるみたいだな、と思い至った。その事実に少し恥ずかしくなる。半分は正解だとわかったからだ。
 今までずっと心の奥底で思っていたことと、それと――。
「……べつに、ただのナンパじゃん」
 吐き捨てる細い声に、俺ははっとした。恥ずかしさを誤魔化す調子のまま、「本当、ストーカーとかじゃないから」と言って、女の人が背を向ける。
 ――絶対、やらかした、これ。
 間違いなく言いすぎてるし、え、あれ、泣きそうじゃなかった、と。自動ドアの開閉音を聞きながら青くなった俺に、「なんか、ごめん」と瀬尾がおずおずと口を開いた。
「一緒になって責めてもまずいかなって思って。でも、あいだに入っても、先輩が悪者になりそうだったから。……その、結局、なんも言えなくて」
「いや、うん……ぜんぜん」
 もごもごと呟きながら、のそりとレジに戻る。というか、もう十分悪者よ、俺は。やめてほしかったけど、傷つけたかったわけじゃないんだけどなぁ、本当。たぶん。
 徐々に増す自己嫌悪に、レジカウンターの中で俺は顔を覆った。なにをひとりで切れていたのか、と自分に心底呆れた気分。羞恥を絞り出すように溜息を吐き、隣に立つ瀬尾にひとりごと半分で話しかける。
「川又さんに報告したほうがいいのかなぁ、これ」
「いいんじゃないすか。クレーム来たらで。べつに、間違ったこと言ってないし」
「かなぁ」
「ぜんぜんキョドんないですらすら喋るから、逆にびっくりしたけど」
「瀬尾?」
 くすくすと笑ういつもの調子に、覆っていた手を外す。目が合うと、瀬尾は少し困ったふうにほほえんだ。
「適当に『俺の彼氏です』って言ってくれたんで、よかったのに」
「え……」
「そう言っとけば、そこまでみんな切れないし」
 バツの悪い表情で言い足した瀬尾に、本当に体のいい断り文句だったんだな、といまさらながら気がついた。
 本気の子はショックを受けるかもしれないし、逆切れをする子もいるかもしれない。けれど、興味本位で声をかけただけの子であれば、笑い話で終わる。つまり、俺の行動は本当に余計なお世話だったということ。
 でも、なんか、腹が立ったんだよ。内心で俺は答えた。
 腹が立って、俺の事情を重ねて、それで。「まだ使えるでしょ、偽装彼氏」なんて、自分のメリットを証明したい気持ちも、たしかにあった。そうしたら、瀬尾がまだ続けたいと考えると思ったから。ずるい感情に蓋をして、「いいんだよ」と開き直ったように告げる。
「俺が言いたかっただけだから」
「なに、それ」
 瀬尾が呆れ半分に笑ったタイミングで、深夜帯シフトの沢辺さんが入ってきた。「おつかれ」とバックヤードに向かう背中に「おつかれさまです」と応じて、視線を戻す。再び目が合い、またひとつ瀬尾が笑った。労わるみたいに。
「ありがと。さすが彼氏」
「……うん」
「でも、そこまで怒ってくれなくていいよ、本当。夏に先輩が『余計なことしなくていい』って言ったの、ちょっとわかった」
 ごめん、と謝る代わりに、もう一度「うん」と俺は頷いた。
 俺だって、できれば二度としたくないと思っている。自分が正しいと思うことでも、誰かに意見をすることは苦手だ。むやみに傷つけることも言いたくない。嫌われることも嫌だ。
 そのはずなのに、同じ場面に遭遇したら繰り返しそうだと疑っている。これはいったい、どういう感情なのだろう。
 慣れないことをしたせいか、その日一日。俺の胸はずっとドキドキとしていた。