「楽しいっていうか、まったく参加しないはさすがにまずいでしょ」
「でも、日向、瀬尾も楽しそうって言ってたよ」
だから、最近は昼休みも来ないんだろ、とは。もっと言えるわけがない。楽しいのならなによりだというふうに笑えば、一拍置いて、まぁ、と瀬尾は認めた。
「春のころよりはそうかも。なんか、ようやくちょっと普通になったっていうか」
バイト先からの帰り道が、まだ蒸し暑かったころ。「俺を俺として扱ってくれるならそれでいい」と瀬尾が言ったことを、俺はしっかりと覚えている。
瀬尾の顔がうれしそうで、同時に、「ああ、こいつ、本当に顔で苦労したんだろうなぁ」と気がついて、なにを言えばいいのかわからなくなったからだ。
あのときの対象は俺だったけれど、今はクラスメイトがそうなりつつあるということ。もちろん、全員ではないだろうけれど。
「よかったじゃん」
だから、なんでもないふうに俺は言った。嫌味に聞こえることはないと信じて。だって、なんでもないことであるべきだ。
いつか大型犬みたいと評したとおりで、心を開いた人間に瀬尾はわりと懐くから。それで、本質は素直ないいやつだから、歯車が合いさえすれば、クラスでもうまくいくのだろう。よかったじゃん、と。俺は内心で繰り返した。
「っていうか、先輩こそ楽しいんじゃないの? 俺と違って友達も多いし」
「俺のはべつに」
おまえや日向みたいなんじゃないし、とこぼしそうになった台詞を慌てて留める。
俺が心を開ききっていないだけなのに、被害者ぶった言い分になりそうだったからだ。野井や犀川にとっては風評被害がひどすぎる。苦笑を浮かべ、俺は言葉を継いだ。
「ってか、ふつうに忙しくてさ。こないだも顔死んでるって日向にめっちゃ馬鹿にされた」
「馬鹿になんだ」
心配じゃないんだという雰囲気に、もう一度笑う。
「ない、ない。あいつ、俺はなんでも平気だと思ってるから」
「なんでも平気って」
「あ、いや、言葉の綾っていうか。心配もしてくれてるとは思うけど。ほら、日向、言い方軽いじゃん?」
「まぁ、それは、そうかもだけど」
「瀬尾のクラスはなにすんの? 展示って言ってたけど」
不服そうな顔を見かね、俺は話題を変えた。冷たいやつと認定したみたいに思ったのかもしれないな、と気がついたからである。
まぁ、実際、デリカシーがないだけで、冷たいわけではないけれど。兄から見た日向と友達から見た日向では違う部分もあるだろうな、とは思う。
「お化け屋敷。それ展示なのって感じだったんだけど」
「ああ、……まぁ、飲食物は出さないし。展示なんじゃない?」
この一、二年で、以前は禁止だったお化け屋敷にゴーサインが出るようになったと聞いた覚えがある。
「最近は治安が良いからオッケーってなったらしいよ。治安が悪いお化け屋敷も謎だけど」
「ふつうに暗がりでいちゃつくやつがいたんじゃない?」
「ああ」
納得して、俺は頷いた。なるほど、イケメンの発想。
「お化けを殴るやつがいたのかなって思ってた。そっち」
「まぁ、それもあるかもだけど。てか、先輩のクラスは? なにやんの?」
「……BLカフェ」
「なんて?」
ものすごく不審げに聞き返され、思わず唇が尖る。
「ゴリ押したの、女子が。クラスの中心的な子だったから、犀川とかも――あ、これは男なんだけど、が、いいじゃんって乗り気になって」
そうなったら、陰キャには否を唱える権利なんてないってわけ。いや、オタクっぽい女子もうれしそうにしてたけどさ。
早口になった説明に、「ええ」と瀬尾は引いた声を出した。その反応はわかるけど、俺が決めたわけではないと主張したい。
「っつか、なにすんの? 先輩は。その、BLカフェで」
「…………店員」
「店員? え、ふつうに飲み物出したりする?」
「ふつうに飲み物出したり、女子考案の絡みをしたりする」
ちなみに、店員は男子オンリーだ。BLカフェなので。ぼそぼそと告げた俺に、「ええ」と瀬尾はさらにドン引きした声を出した。いや、わかる。わかるけどさ。俺が好きでやりたいわけじゃないんだって、本当に。
――あ、でも、そういや、瀬尾、嫌なら自衛すればいいのにって言ってたな。
ほぼほぼ初対面だったころの、夏の記憶だ。正論だとわかっているし、瀬尾はきっと断るのだろうなぁとわかるものの、俺にはかなりレベルが高い。
情けないと呆れられることを防ぐために、俺は明るい声を出した。
「いや、でも、まぁ、みんなでやるし、仲良いやつも多いから」
「嫌じゃないの?」
「え……」
「だって、先輩、おっさんと距離近いの苦手でしょ。先輩に迫ってくるやつじゃなくても、ふつうに」
まっとうに心配してくれていたらしい事実に、曖昧に笑う。「おっさんがちょっと苦手」と打ち明けたことを覚えてくれていた気持ちはうれしいのだが、同時に少し恥ずかしい。
「それとも、おっさんじゃなかったら大丈夫なわけ? 友達とかだったら」
「あー……、そうだな」
正直なところ、身体接触は苦手だ。悪気はないとわかっていても、距離の近い野井や犀川に触られて嫌だなと感じることもある。
まぁ、なぜか、このくらいの距離で座っていても、瀬尾に対しては思わないんだけど。そんなことを考えつつ、「まぁ、そうかも」と改めて笑う。
「なら、べつに、まぁ」
不機嫌と不納得の混ざった横顔を少し見つめ、俺はひとついまさらなことを問いかけた。
「もしかして、その、……けっこうずっと気にしてくれたりした? 俺が、おっさん苦手って言ったこと」
代わることができるときは、おっさんのレジは代わる、とは。偽装彼氏を始めるときに、メリットのように瀬尾が提案をしたことだけど、たしかにわりとマメに代わってくれていたなぁと思う。
真面目で律儀なところのあるやつだから、約束を守っていると解釈をしていたわけだけど、もしかすると純粋に心配していたのかもしれない。
俺は、「しつこい女が出たときに、彼氏ですって顔してくれたらいいし」と言われたそれさえ、あまりできていなかったのに。
「……まぁ、彼氏だし」
親切がばれたことが気恥ずかしかったのか、瀬尾の耳が赤い。
「いいやつだよな、おまえ」
いや、本当に。しみじみと呟いた直後、階下から瀬尾を呼ぶ日向の声が響いた。その声に反応して、瀬尾が立ち上がる。片手には貸した文庫本。
「じゃあ、俺戻るわ。上がってこられても嫌でしょ」
「え、……っと、まぁ」
「好きな本あるといいね、図書館」
「あ、うん。……その、ありがと」
瀬尾がたらしすぎて、なんだかぎこちない声になってしまった。その俺にもう一度笑って、瀬尾が背を向ける。
ぱたんと閉まったドアを見つめ、俺はたまらず息を吐いた。たらしだけど、でも、おまえさぁ、と。言えなかったことを、心のうちでひとりごちる。
――いつまでこれ続けてくれるつもりなわけ? いや、いいんだよ。俺はいつまででも。
でも、おまえはさ。彼女欲しくなったりしてるんじゃないのって。そんなことも考えちゃうわけじゃん。なんか見ちゃったからさ。
みっともない感情がどんどんと胸の中に渦巻いて、さすがにちょっと自己嫌悪だ。それでも思考は止まらなかった。
――彼女とか面倒くさいって言ってたけど、ショートカットの子と仲良さそうにしてたじゃん。だから、昼休みも、俺のところに逃げる必要なくなったんだろ?
我ながら絶対に口にできない台詞のオンパレード。嫉妬だと思われて、面倒だと距離を取られかねないものばかり。
「あーあ」
言葉にして呟いて、俺は仰向けにベッドに寝転んだ。本当になにをやっているのだろうなと嫌になる。
俺には関係のないはずのことでうじうじと悩んだり、ひさしぶりに話せたと喜んでみたり。こんなの、初恋に浮かれてる小学生女子みたいじゃん。
「でも、日向、瀬尾も楽しそうって言ってたよ」
だから、最近は昼休みも来ないんだろ、とは。もっと言えるわけがない。楽しいのならなによりだというふうに笑えば、一拍置いて、まぁ、と瀬尾は認めた。
「春のころよりはそうかも。なんか、ようやくちょっと普通になったっていうか」
バイト先からの帰り道が、まだ蒸し暑かったころ。「俺を俺として扱ってくれるならそれでいい」と瀬尾が言ったことを、俺はしっかりと覚えている。
瀬尾の顔がうれしそうで、同時に、「ああ、こいつ、本当に顔で苦労したんだろうなぁ」と気がついて、なにを言えばいいのかわからなくなったからだ。
あのときの対象は俺だったけれど、今はクラスメイトがそうなりつつあるということ。もちろん、全員ではないだろうけれど。
「よかったじゃん」
だから、なんでもないふうに俺は言った。嫌味に聞こえることはないと信じて。だって、なんでもないことであるべきだ。
いつか大型犬みたいと評したとおりで、心を開いた人間に瀬尾はわりと懐くから。それで、本質は素直ないいやつだから、歯車が合いさえすれば、クラスでもうまくいくのだろう。よかったじゃん、と。俺は内心で繰り返した。
「っていうか、先輩こそ楽しいんじゃないの? 俺と違って友達も多いし」
「俺のはべつに」
おまえや日向みたいなんじゃないし、とこぼしそうになった台詞を慌てて留める。
俺が心を開ききっていないだけなのに、被害者ぶった言い分になりそうだったからだ。野井や犀川にとっては風評被害がひどすぎる。苦笑を浮かべ、俺は言葉を継いだ。
「ってか、ふつうに忙しくてさ。こないだも顔死んでるって日向にめっちゃ馬鹿にされた」
「馬鹿になんだ」
心配じゃないんだという雰囲気に、もう一度笑う。
「ない、ない。あいつ、俺はなんでも平気だと思ってるから」
「なんでも平気って」
「あ、いや、言葉の綾っていうか。心配もしてくれてるとは思うけど。ほら、日向、言い方軽いじゃん?」
「まぁ、それは、そうかもだけど」
「瀬尾のクラスはなにすんの? 展示って言ってたけど」
不服そうな顔を見かね、俺は話題を変えた。冷たいやつと認定したみたいに思ったのかもしれないな、と気がついたからである。
まぁ、実際、デリカシーがないだけで、冷たいわけではないけれど。兄から見た日向と友達から見た日向では違う部分もあるだろうな、とは思う。
「お化け屋敷。それ展示なのって感じだったんだけど」
「ああ、……まぁ、飲食物は出さないし。展示なんじゃない?」
この一、二年で、以前は禁止だったお化け屋敷にゴーサインが出るようになったと聞いた覚えがある。
「最近は治安が良いからオッケーってなったらしいよ。治安が悪いお化け屋敷も謎だけど」
「ふつうに暗がりでいちゃつくやつがいたんじゃない?」
「ああ」
納得して、俺は頷いた。なるほど、イケメンの発想。
「お化けを殴るやつがいたのかなって思ってた。そっち」
「まぁ、それもあるかもだけど。てか、先輩のクラスは? なにやんの?」
「……BLカフェ」
「なんて?」
ものすごく不審げに聞き返され、思わず唇が尖る。
「ゴリ押したの、女子が。クラスの中心的な子だったから、犀川とかも――あ、これは男なんだけど、が、いいじゃんって乗り気になって」
そうなったら、陰キャには否を唱える権利なんてないってわけ。いや、オタクっぽい女子もうれしそうにしてたけどさ。
早口になった説明に、「ええ」と瀬尾は引いた声を出した。その反応はわかるけど、俺が決めたわけではないと主張したい。
「っつか、なにすんの? 先輩は。その、BLカフェで」
「…………店員」
「店員? え、ふつうに飲み物出したりする?」
「ふつうに飲み物出したり、女子考案の絡みをしたりする」
ちなみに、店員は男子オンリーだ。BLカフェなので。ぼそぼそと告げた俺に、「ええ」と瀬尾はさらにドン引きした声を出した。いや、わかる。わかるけどさ。俺が好きでやりたいわけじゃないんだって、本当に。
――あ、でも、そういや、瀬尾、嫌なら自衛すればいいのにって言ってたな。
ほぼほぼ初対面だったころの、夏の記憶だ。正論だとわかっているし、瀬尾はきっと断るのだろうなぁとわかるものの、俺にはかなりレベルが高い。
情けないと呆れられることを防ぐために、俺は明るい声を出した。
「いや、でも、まぁ、みんなでやるし、仲良いやつも多いから」
「嫌じゃないの?」
「え……」
「だって、先輩、おっさんと距離近いの苦手でしょ。先輩に迫ってくるやつじゃなくても、ふつうに」
まっとうに心配してくれていたらしい事実に、曖昧に笑う。「おっさんがちょっと苦手」と打ち明けたことを覚えてくれていた気持ちはうれしいのだが、同時に少し恥ずかしい。
「それとも、おっさんじゃなかったら大丈夫なわけ? 友達とかだったら」
「あー……、そうだな」
正直なところ、身体接触は苦手だ。悪気はないとわかっていても、距離の近い野井や犀川に触られて嫌だなと感じることもある。
まぁ、なぜか、このくらいの距離で座っていても、瀬尾に対しては思わないんだけど。そんなことを考えつつ、「まぁ、そうかも」と改めて笑う。
「なら、べつに、まぁ」
不機嫌と不納得の混ざった横顔を少し見つめ、俺はひとついまさらなことを問いかけた。
「もしかして、その、……けっこうずっと気にしてくれたりした? 俺が、おっさん苦手って言ったこと」
代わることができるときは、おっさんのレジは代わる、とは。偽装彼氏を始めるときに、メリットのように瀬尾が提案をしたことだけど、たしかにわりとマメに代わってくれていたなぁと思う。
真面目で律儀なところのあるやつだから、約束を守っていると解釈をしていたわけだけど、もしかすると純粋に心配していたのかもしれない。
俺は、「しつこい女が出たときに、彼氏ですって顔してくれたらいいし」と言われたそれさえ、あまりできていなかったのに。
「……まぁ、彼氏だし」
親切がばれたことが気恥ずかしかったのか、瀬尾の耳が赤い。
「いいやつだよな、おまえ」
いや、本当に。しみじみと呟いた直後、階下から瀬尾を呼ぶ日向の声が響いた。その声に反応して、瀬尾が立ち上がる。片手には貸した文庫本。
「じゃあ、俺戻るわ。上がってこられても嫌でしょ」
「え、……っと、まぁ」
「好きな本あるといいね、図書館」
「あ、うん。……その、ありがと」
瀬尾がたらしすぎて、なんだかぎこちない声になってしまった。その俺にもう一度笑って、瀬尾が背を向ける。
ぱたんと閉まったドアを見つめ、俺はたまらず息を吐いた。たらしだけど、でも、おまえさぁ、と。言えなかったことを、心のうちでひとりごちる。
――いつまでこれ続けてくれるつもりなわけ? いや、いいんだよ。俺はいつまででも。
でも、おまえはさ。彼女欲しくなったりしてるんじゃないのって。そんなことも考えちゃうわけじゃん。なんか見ちゃったからさ。
みっともない感情がどんどんと胸の中に渦巻いて、さすがにちょっと自己嫌悪だ。それでも思考は止まらなかった。
――彼女とか面倒くさいって言ってたけど、ショートカットの子と仲良さそうにしてたじゃん。だから、昼休みも、俺のところに逃げる必要なくなったんだろ?
我ながら絶対に口にできない台詞のオンパレード。嫉妬だと思われて、面倒だと距離を取られかねないものばかり。
「あーあ」
言葉にして呟いて、俺は仰向けにベッドに寝転んだ。本当になにをやっているのだろうなと嫌になる。
俺には関係のないはずのことでうじうじと悩んだり、ひさしぶりに話せたと喜んでみたり。こんなの、初恋に浮かれてる小学生女子みたいじゃん。