ホームルームの時間が文化祭準備に充てられるようになり、放課後も有志で集まるようになると、学校全体がぐっと文化祭に染まり出す。
 クラスで一致団結して和気藹々と行事に取り組む、陽キャのハッピーシーズンというやつだ。
 ――陽キャだけじゃないかもしれないけど。でも、だって、野井も犀川も異常に生き生きしてんだもん。
 溜息を呑み、ちらりと教卓を窺う。学年一美少女と名高い櫻井さんを含む女子グループと、きゃっきゃと話し合う犀川たちは大変楽しそうだった。
 イベントの主導権を握るのは、一軍陽キャと相場は決まっているわけで。
 陽キャぶっているだけの俺に、「うちのクラス、BLカフェにしようよ」と盛り上がった一軍女子と追従した一軍男子――主に野井と犀川のことだ。本当にやめてほしかった――に対抗する術などあるわけがなく。ひっそりと気配を消して雑用に勤しんでいるのだった。
 というか、なんで彼氏持ちの一軍陽キャがBL好きなの。顔赤らめて「好きなんだよね」とか告白しなくていいから。おかげで、犀川が完全にその気になったじゃん。野井も野井で「最近流行ってんだってね、BLドラマ」じゃねぇよ。どうせ恋ちゃん――野井の中学生の妹のことだ。いい子でかわいい――情報なんだろうけど。
「あ、段ボール足りないかも。事務室にあるかな」
 同じグループで作業中だった原野さんの声に、鬱々とした思考を封印して、俺は立ち上がった。
「じゃあ、聞いてくるよ、俺」
「え? いいの? 一緒行く?」
「聞いてくるだけだから、大丈夫。なかったらスーパー行かなきゃになるし、そのときは誰かついてきてほしいけど」
 荷物持ち的な意味で。だよね、と笑った原野さんに、行ってくるね、と告げて、教室を出る。いつもの六時間目と違い、文化祭準期間中の校内は廊下を歩くだけでもにぎやかだ。
 開いた窓から入り込む風も涼しくて、もうすっかり秋だなぁ、と。俺は少ししみじみとした気分になった。

「段ボール? ちょうどあとふたつ残ってるよ。大きいのはもうみんな売れちゃったんだけど。これで大丈夫かな?」
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
 サイズが足りない可能性があっても、ないよりはマシだろう。その判断で、俺は笑顔で事務員さんから段ボールを受け取った。
 段ボールを抱え、のんびりと渡り廊下を歩く。教室から事務室までは少し距離があるのだが、気分転換にはちょうどいい。まぁ、そんなことを言ったところで、俺はぐるぐると考えてしまうわけだけど。
 ――BLカフェなぁ。
 メイドカフェであれば、「好き勝手にメイド服着てよ、女子」で済んだ話だったのに。たまらずひとつ溜息をこぼしたところで、俺は立ち止まった。声には出さず、瀬尾じゃん、と呟く。
 渡り廊下の奥、中庭に続く方角に見えた背中に、ふらりと一歩を踏み出す。教室に戻る時間を伸ばすための、現実逃避。そのつもりだった足が、瀬尾がひとりではないことに気がついてぴたりと止まる。
 ……また、告白されてんのかな。
 そう思ったのもつかの間。ちらりと見えた横顔の柔らかさに、俺は違うと思い直した。よくわからないまま、ドクンと心臓が鳴る。
 瀬尾が女の子とふたりでいるところを見ることは、はじめてではない。むしろ、間々あることだ。俺が瀬尾を知ったのも、女の子に告白される場面を目撃したことがきっかけだったし、「瀬尾にがんばって話しかける女の子の図」を見かけたことは何度もある。
 ただ、そういうときの瀬尾は塩対応を徹底していて、だから。そこまで考えたところで、俺はふるりと首を振った。
 ――瀬尾が女の子とふつうに喋ってたからってショックはおかしいだろ。
 あるいは、俺にだけ都合が良くて、心地の良かった「偽装彼氏」が終わるかもしれないと気づいて動揺したのだろうか。瀬尾に彼女ができるまでの期間限定とわかっていたのに。
「なーに、サボってんだよ、一颯」
「お、わ!」
 唐突に肩に腕を置かれ、俺はぎょっとした声を上げた。
「なに、その反応」
 びくりと肩を揺らした過剰な反応に、野井が眉を寄せる。当然と言えば当然の態度に、俺はへらりとした笑みを取り繕った。
「や、びっくりして。急に現れんなよ」
「おまえが戻ってくんの遅いからじゃん」
「え? そんなに遅かった?」
 まぁ、たしかに、ちょっと戻るの面倒だなぁとは思っていたけれど。焦った俺に、「嘘」と野井が口角を引き上げる。
「探しに来た。一颯いないとつまんないから」
「……野井さぁ、それ、櫻井さんに頼まれたとかじゃないよね」
 嫌な予感に、俺の愛想笑いは引きつった。BLカフェをやりたいと言い出した諸悪の根源のめちゃかわ女子。その櫻井さんが、BLカフェなんだからさ、男子の店員同士でいちゃついてほしいよね、あと、チェキサービスとか。などという恐ろしい提案をし続けていることは知っている。完全に俺の今関わりたくない人ランキング一位。