「一颯。おまえ、いつ王子と仲良くなったんだよ」
「呼び方」
教室に戻った途端に絡んできた野井にへらりと笑い、俺は少しずれた返しを選んだ。
瀬尾くんが高校でも偽装彼氏設定を利用する気があることは納得したものの、俺から積極的に広める予定はない。早い話が自己保身である。
「べつに、そこまで王子って感じでもないけど」
「だから、『そこまで王子って感じでもない』って言えるくらい、いつ仲良くなったって聞いてんの」
「バイト一緒なんだよ」
「バイトって、コンビニの?」
「そ。それと、あと、ふつうに日向の友達で。家で会ったりもするから」
夏休み中に瀬尾くんが遊びに来たこともあったので、嘘ではない。そのくらいの交流がある感じじゃないと、昼休みに誘いに来る距離感にはならないよなと踏んで、話を盛ったというだけだ。
へぇ、と相槌を打った野井が、にんまりと口角を吊り上げる。
「夏休み、バイトバイトで付き合い悪いって思ってたら。そっか、そっか。王子かぁ」
「いや、だから」
「しかもコンビニって。あそこだよな、あの大通りの」
「……そうだけど。見に来んなよ。瀬尾、そういうの嫌がるから」
「なに、そういうのって」
そういうのは、そういうのだろ。俺だって、自分をからかう目的で上級生がバイト先に顔を出したら嫌だよ。ふつうに。
即座に言葉は浮かんだものの、訴えても余計に面白がるに違いない。簡単についた想像に、俺は曖昧な苦笑に留めた。
小学校からの付き合いだし、悪いやつではないのだけれど。野井の言動はたまに度を過ぎることがあると思う。
――俺が根暗だから、そう感じるだけなのかもしれないけど。
瀬尾くんの、というか、日向の言うところの「オタクのくせに友達が陽キャで謎」というやつだ。野井もだけど、犀川も完全に一軍の陽キャだからな。この「一軍」という表現が、すでにオタクな気もするけど。
チャイムが鳴ったことをいいことに、俺は誤魔化し笑いで会話を切り上げた。
時間経過で興味が薄れてくれたらいいんだけど、なんて。楽観的だった俺の目論見は、数日後。バイト先に現れた野井と犀川によって、ぶち壊されることになる。
「あの、……ごめんね」
野井と犀川が嵐のように現れ、嵐のように帰った直後。不機嫌そうな塩顔で黙々とレジ周りの雑事をこなす瀬尾くんに、俺は取り成す調子で謝った。
野井が俺の保護者ぶって――瀬尾くんに絡む方法がそれしかなかったんだろうけど――「こいつ、ちょっととろいと思うけど、よろしくね」と言った瞬間が、最高潮に瀬尾くんの纏う空気が怖かった。たぶんだけど、喋りかけられたことが嫌だったんだろうな。
だが、しかし。めちゃくちゃテンションの低い声だったものの、「はぁ」と答えただけ愛想を振った可能性もある。だって、俺とのバイト初日の瀬尾くんもかなりの塩だったし。
最近の瀬尾くんは懐いてくれている感じがあるので、今となっては懐かしいくらいの塩。そんなことを思い返しつつ、そっと言い添える。
「ほら、たまにお昼誘いに来てくれるでしょ。それはぜんぜんいいんだけどさ、気になったみたいで。なんで、俺が瀬尾く……、瀬尾と仲良いのかなってことなんだけど」
「いや、べつに、先輩が謝ることじゃないと思うけど」
瀬尾くんが王子ってことじゃなくて、と。続けるつもりだった言い訳を遮るように口を開き、瀬尾くんはちらりと俺を見た。
「このあいだも聞いたけど。本当に仲良いの? あれ」
「いや、べつに。その、ふつう」
じとりとした雰囲気に、はは、と眉を下げる。もしかしなくても、俺たち全員で告白を覗いてネタにしていたと疑っているのかもしれない。
否定しづらい部分はあるし、悪ノリやべぇなと思ったことも何度もあるのだけど、でも、悪いやつではないんだよな、本当に。
説明しがたく、うーん、と俺は曖昧に唸った。
「まぁ、野井……瀬尾に話しかけてたほうは、小中一緒で、付き合い長くて」
「へぇ」
「幼馴染みってほどではないけど、それなりに昔から遊んでたし。まぁ、だから、今も一緒なのかも。属性違うだろって思うことはあるんだけど、あいつはあんまり思わないみたいで」
そういうところは、公平というやつなのだろうか。オタクを見下す陽キャも多いわけだし。はは、と。もう一度苦笑をこぼした俺から視線を外し、瀬尾くんは言った。
「じゃあ、頼めばよかったのに」
「え? なにを」
「なんとかしてって」
「なんとか……。ああ」
変なおっさんに絡まれがちという、俺の謎特性。偽装彼氏のきっかけ。悟った意味に、俺はまた少し笑った。その発想はなかったなぁと思いながら。
「できないだろ」
それで、する気もない。あたりまえのことだったのだが、瀬尾くんは不思議に感じたようだった。俺に視線を戻して、「なんで?」と問う。
クールな印象と反して、瀬尾くんは存外と素直にできている。きちんと目を合わせる意識があるところもそうだし、友達を頼ればいいと考えているところもそうだ。
かわいくて、少し眩しい。だから、なんでもないように俺は続けた。
「男に迫られて困ってるとか。良くて笑い話で、最悪きもがられて終わりじゃん。そうじゃなくても、反応に困るだろ。想像もできないんじゃないかなって思うし」
小学校の低学年くらいだったとき。不審者に遭ったことをぽろりと話したときの野井の引いた顔を俺はよく覚えている。
そんな顔を見たら、笑うしかなくなるだろ。俺が笑ったら、「なんだ、笑えばよかったのか」という顔であいつも安心して笑ったし。だから、それが正解なんだと知った。
「呼び方」
教室に戻った途端に絡んできた野井にへらりと笑い、俺は少しずれた返しを選んだ。
瀬尾くんが高校でも偽装彼氏設定を利用する気があることは納得したものの、俺から積極的に広める予定はない。早い話が自己保身である。
「べつに、そこまで王子って感じでもないけど」
「だから、『そこまで王子って感じでもない』って言えるくらい、いつ仲良くなったって聞いてんの」
「バイト一緒なんだよ」
「バイトって、コンビニの?」
「そ。それと、あと、ふつうに日向の友達で。家で会ったりもするから」
夏休み中に瀬尾くんが遊びに来たこともあったので、嘘ではない。そのくらいの交流がある感じじゃないと、昼休みに誘いに来る距離感にはならないよなと踏んで、話を盛ったというだけだ。
へぇ、と相槌を打った野井が、にんまりと口角を吊り上げる。
「夏休み、バイトバイトで付き合い悪いって思ってたら。そっか、そっか。王子かぁ」
「いや、だから」
「しかもコンビニって。あそこだよな、あの大通りの」
「……そうだけど。見に来んなよ。瀬尾、そういうの嫌がるから」
「なに、そういうのって」
そういうのは、そういうのだろ。俺だって、自分をからかう目的で上級生がバイト先に顔を出したら嫌だよ。ふつうに。
即座に言葉は浮かんだものの、訴えても余計に面白がるに違いない。簡単についた想像に、俺は曖昧な苦笑に留めた。
小学校からの付き合いだし、悪いやつではないのだけれど。野井の言動はたまに度を過ぎることがあると思う。
――俺が根暗だから、そう感じるだけなのかもしれないけど。
瀬尾くんの、というか、日向の言うところの「オタクのくせに友達が陽キャで謎」というやつだ。野井もだけど、犀川も完全に一軍の陽キャだからな。この「一軍」という表現が、すでにオタクな気もするけど。
チャイムが鳴ったことをいいことに、俺は誤魔化し笑いで会話を切り上げた。
時間経過で興味が薄れてくれたらいいんだけど、なんて。楽観的だった俺の目論見は、数日後。バイト先に現れた野井と犀川によって、ぶち壊されることになる。
「あの、……ごめんね」
野井と犀川が嵐のように現れ、嵐のように帰った直後。不機嫌そうな塩顔で黙々とレジ周りの雑事をこなす瀬尾くんに、俺は取り成す調子で謝った。
野井が俺の保護者ぶって――瀬尾くんに絡む方法がそれしかなかったんだろうけど――「こいつ、ちょっととろいと思うけど、よろしくね」と言った瞬間が、最高潮に瀬尾くんの纏う空気が怖かった。たぶんだけど、喋りかけられたことが嫌だったんだろうな。
だが、しかし。めちゃくちゃテンションの低い声だったものの、「はぁ」と答えただけ愛想を振った可能性もある。だって、俺とのバイト初日の瀬尾くんもかなりの塩だったし。
最近の瀬尾くんは懐いてくれている感じがあるので、今となっては懐かしいくらいの塩。そんなことを思い返しつつ、そっと言い添える。
「ほら、たまにお昼誘いに来てくれるでしょ。それはぜんぜんいいんだけどさ、気になったみたいで。なんで、俺が瀬尾く……、瀬尾と仲良いのかなってことなんだけど」
「いや、べつに、先輩が謝ることじゃないと思うけど」
瀬尾くんが王子ってことじゃなくて、と。続けるつもりだった言い訳を遮るように口を開き、瀬尾くんはちらりと俺を見た。
「このあいだも聞いたけど。本当に仲良いの? あれ」
「いや、べつに。その、ふつう」
じとりとした雰囲気に、はは、と眉を下げる。もしかしなくても、俺たち全員で告白を覗いてネタにしていたと疑っているのかもしれない。
否定しづらい部分はあるし、悪ノリやべぇなと思ったことも何度もあるのだけど、でも、悪いやつではないんだよな、本当に。
説明しがたく、うーん、と俺は曖昧に唸った。
「まぁ、野井……瀬尾に話しかけてたほうは、小中一緒で、付き合い長くて」
「へぇ」
「幼馴染みってほどではないけど、それなりに昔から遊んでたし。まぁ、だから、今も一緒なのかも。属性違うだろって思うことはあるんだけど、あいつはあんまり思わないみたいで」
そういうところは、公平というやつなのだろうか。オタクを見下す陽キャも多いわけだし。はは、と。もう一度苦笑をこぼした俺から視線を外し、瀬尾くんは言った。
「じゃあ、頼めばよかったのに」
「え? なにを」
「なんとかしてって」
「なんとか……。ああ」
変なおっさんに絡まれがちという、俺の謎特性。偽装彼氏のきっかけ。悟った意味に、俺はまた少し笑った。その発想はなかったなぁと思いながら。
「できないだろ」
それで、する気もない。あたりまえのことだったのだが、瀬尾くんは不思議に感じたようだった。俺に視線を戻して、「なんで?」と問う。
クールな印象と反して、瀬尾くんは存外と素直にできている。きちんと目を合わせる意識があるところもそうだし、友達を頼ればいいと考えているところもそうだ。
かわいくて、少し眩しい。だから、なんでもないように俺は続けた。
「男に迫られて困ってるとか。良くて笑い話で、最悪きもがられて終わりじゃん。そうじゃなくても、反応に困るだろ。想像もできないんじゃないかなって思うし」
小学校の低学年くらいだったとき。不審者に遭ったことをぽろりと話したときの野井の引いた顔を俺はよく覚えている。
そんな顔を見たら、笑うしかなくなるだろ。俺が笑ったら、「なんだ、笑えばよかったのか」という顔であいつも安心して笑ったし。だから、それが正解なんだと知った。