紡の後を追い透もこの世を去った後、残した日記が見つかり街は少し騒ぎになった。
ニュースを見て"後を追う必要が無い""遺された遺族の気持ち考えて欲しい"と、どこか他人行儀な意見もあったが1部では、"愛の重さが素晴らしい""紡のためなら命も惜しくないのはかっこいい"という意見もでた。
それでもしばらく経てば、2人の生きた痕跡を人々は忘れていく。

ある日、通りがかりの人が、透が飛び降りたビルの近くにある花束の中に「二人の愛は永遠に」とメッセージが添えてあるものを見つける。誰もが彼らの物語を知っているわけではないが、何か特別なものを感じる人々もいた。その通りがかりの人、いや、映画の脚本家は、この2人のことに目をつけたのだ。

透と紡の死後、街は次第に彼らの記憶を薄れさせていった。その頃、透の残した日記や透の祖母や紡の両親の協力を経て、2人の生きた証を映画としてだすことにしたのだ。
賛否両論はもちろんあったが、"透の愛の重さが心に染みる"、"過去の自分と重ねてしまって号泣した"など、さまざまな意見の中大ヒットを記録し幕を閉じた。
その反面、彼らの悲劇的な選択は深い痛みを伴っていた。
批評家たちからも称賛を受けたが、同時に批判も浴びた。「愛が命を奪うのは正しいわけではない」といった声も少なくなかった。社会的な議論が巻き起こり、メディアはこのテーマを取り上げ続けた。透と紡の死が持つ意味や、若者たちの心の苦悩について、多くの人が語り始めた。

やがて、透と紡の物語は忘れ去られ、映画も過去のものとなっていった。街は日常を取り戻し、彼らの記憶は薄れ、愛の重さも失われていった。しかし、透が残した日記の一節は、静かに街の片隅で誰かの目に留まることを願っていた。愛の真実は、いつまでも語られず、影の中に埋もれているのかもしれない。