今日は退院してから毎日行われていた補習の最終日だった。僕は特に勉強で苦戦していたわけではないが、彼女の友達がくれたノートと、根気強い先生のおかげで、なんとか乗り越えることができた。
今日も僕は彼女に会いに行く。この2週間、毎日彼女に会ってきた。彼女の幻影を求めて、逢いに行った。今日は目を覚ましているかな、明日はどうかな、一緒にいられるかな、そんな淡い期待を胸に抱いて。
いつものように廊下を歩いていると、異様なざわめきが耳に入った。どこかの誰か、と軽い気持ちで考えていたが、彼女の部屋に近づくにつれてざわめきは次第に大きくなっていった。そして、医者や看護師が誰かを運んでいるのを目にした。光さんがその後を追っている。そう、運ばれていたのは今まで眠っていた彼女だった。
僕は全身の血が引いていくのを感じた。体が凍りついて、まるで彫刻のように動けなくなった。
「な、なにかの間違いだよな?」
僕は腰が抜けてその場に座り込んでしまった。どれだけ時間が過ぎたか。次に立ち上がれたのは、事故にあった日に彼女に会うために連れて行ってくれた看護師さんに声をかけられてからだった。お礼も言わずに立ち上がり、一目散に走り出した。
「….紡っ!!!!!!」
彼女なら大丈夫。すごく明るくて、こんな僕と仲良くしてくれた、一緒にいるだけで心がポカポカする人。そんな彼女なら大したことにはなっていないと、信じたかった。
ある部屋の前を走り抜けようとした。その瞬間スローモーションのように横目に見えたのは、何かを話している光さん、スーツが乱れた朝日奈さん、そして、今まで繋がれていた管がすべて外されていた彼女。
僕は動揺して、頑張って震えを押えた。無意識に体が動いていたのだろう。その部屋に僕は入っていった。
すると僕を見た医者が悲しげに言った。
「君は朝日奈さんのご家族ですか?」
「いえ…恋人です。」
いつも落ち着いていた光さんが、床に座り込んでベッドに顔を伏せている。その姿から、今まで泣いていたことが伝わってきた。
呆然と立ち尽くしている朝日奈さんに、僕は声をかけた。
「あ、朝日奈さん…。紡は…?」
「心肺停止で…そのままっ。」
朝日奈さんの涙ぐんだ声は、自分の魂を吸い取られるようだった。「最善を尽くしたのですが」という医者の一言が、胸に鋭く突き刺さる。僕は彼女に近づき、これまで何十回、何百回と繋いできた手を、強く握りしめた。
「まだ暖かいじゃないか。」
涙が溢れてくる。大粒の涙が頬を伝い、静かに床に落ちた。
「紡。今日で僕の補習は終わったんだ。これから紡に教えられると思って、専用ノートを作った。紡が苦手なポイントを理解できるように、心を込めて工夫したんだよ。」
言い終わる頃には、光さんが背をさすってくれていた。自分も苦しくて辛いはずなのに、他の人をとことん守る姿は、彼女にそっくりだ。
「君の頼りにしていた透様は目の前にいるよ。お願い、紡…。目を開けて。起きてよ…。」
窓からキラキラとした日光が差し込み、澄んだ青が空いっぱいに広がっている文句のない晴れの日だった。
僕の人生で最大に愛した彼女が、すごく短い生涯を終えた。
僕の心の奥で一生癒えることの無い、深い傷を負った瞬間だった。
朝日奈さんに連れられておうちへ帰ると、家の外で祖母が待っていてくれた。
僕は何も考えたくなくて、家まで送ってくれたお礼を言うことも祖母に"ただいま"というのも出来なかった。何とか祖母に支えてもらい自室に入ると、急に全身の力が抜けて倒れ込んだ。
ずっと涙は止まらなくて心が苦しくて、楽になりたかった。
視線の先に自分の手が見えた際には、自分の手を握りしめ、彼女の手の感触を忘れたくなくて胸に収めた。
「紡...僕、君がいなかったらどうやって生きていけばいいのか分からない」
「紡、紡...」と名前をつぶやくと辛い気持ちが止まらない反面、まだ目が覚めてなくたって命が存在していて、彼女がベットで眠っているんじゃないか、どこかで彼女が生きている、と望みを考えるばかりだった。
あれから数日が経つ。
今日は彼女を見送る日となった。席に座っていると、周りの人はやっぱり彼女のことや、遺された家族のことを「可哀想」と言う。
僕は自分の心の中で渦巻く混乱と受け入れられない現実、そして孤独を感じていた。
彼女の遺影は太陽のような最高の笑顔を浮かべている。その写真を撮ったのは僕だ。僕は彼女と過ごした、日々の思い出を呼び起こして、どうにか心を保っていた。
葬式が進むにつれて、段々と彼女が亡くなったのは"自分のせいだ"と自分を責めるかのように感じ、彼女を支えられなかった自分への苛立ちがあった。
「僕が、周りを見ていれば彼女を救えたはずなのに…」と呟くと、思わず手が震える。周囲の人々の声が次第に遠のいていき、心の中の叫びが大きくなる。
棺の中に花を添えるとき、心の奥で崩れ落ちる音がした。今日で彼女の存在が消え、僕だけがこの世界に取り残されたことになる。その痛みは、言葉では表せないほどの鋭いものだった。
僕はその場で立ち尽くすことしかできなかった。彼女の笑顔が脳裏に焼き付いているのに、もう二度と見ることが出来ないなんて。彼女がいなくなった世界で、絶望が押し寄せてくる。
火葬場に着くと、冷たい空気が身体にしみ込んできた。
心の中の混乱がさらに増し、足元がふらつく。
彼女の棺がゆっくりと運ばれ、火葬場の中に入ると、彼女の最後を見届けようと人々が集まっていた。
「紡はこんなにたくさんの人に愛されていたんだな」
そう思ったら、心の喪失感がたまらなかった。
彼女はどこへ行ってしまったのだろう。心の中で、彼女の笑顔や声が生々しく蘇るが、同時にそのすべてが永遠に失われたことが恐ろしかった。
静かな炎が燃え上がっていく。その光景を見ながら、僕はその場にいることが辛くなり、施設を出てしまった。
「ちょっと、透どこいくの?」
そんな祖母の声も聞こえなかった。
彼女への愛情とともに、無力感が胸を締め付ける。どれだけ望んでも、彼女を救うことができなかったという思いが、絶えず心を壊していく。火葬場の外で、僕はただ一人、彼女を失った現実と向き合うことしかできなかった。
それからのことは覚えていない。
順調にことが進んでいったと思う。気づいたら家にいたから。
僕は心身ともに疲れていて、暗闇の中目を閉じた。
今日も僕は彼女に会いに行く。この2週間、毎日彼女に会ってきた。彼女の幻影を求めて、逢いに行った。今日は目を覚ましているかな、明日はどうかな、一緒にいられるかな、そんな淡い期待を胸に抱いて。
いつものように廊下を歩いていると、異様なざわめきが耳に入った。どこかの誰か、と軽い気持ちで考えていたが、彼女の部屋に近づくにつれてざわめきは次第に大きくなっていった。そして、医者や看護師が誰かを運んでいるのを目にした。光さんがその後を追っている。そう、運ばれていたのは今まで眠っていた彼女だった。
僕は全身の血が引いていくのを感じた。体が凍りついて、まるで彫刻のように動けなくなった。
「な、なにかの間違いだよな?」
僕は腰が抜けてその場に座り込んでしまった。どれだけ時間が過ぎたか。次に立ち上がれたのは、事故にあった日に彼女に会うために連れて行ってくれた看護師さんに声をかけられてからだった。お礼も言わずに立ち上がり、一目散に走り出した。
「….紡っ!!!!!!」
彼女なら大丈夫。すごく明るくて、こんな僕と仲良くしてくれた、一緒にいるだけで心がポカポカする人。そんな彼女なら大したことにはなっていないと、信じたかった。
ある部屋の前を走り抜けようとした。その瞬間スローモーションのように横目に見えたのは、何かを話している光さん、スーツが乱れた朝日奈さん、そして、今まで繋がれていた管がすべて外されていた彼女。
僕は動揺して、頑張って震えを押えた。無意識に体が動いていたのだろう。その部屋に僕は入っていった。
すると僕を見た医者が悲しげに言った。
「君は朝日奈さんのご家族ですか?」
「いえ…恋人です。」
いつも落ち着いていた光さんが、床に座り込んでベッドに顔を伏せている。その姿から、今まで泣いていたことが伝わってきた。
呆然と立ち尽くしている朝日奈さんに、僕は声をかけた。
「あ、朝日奈さん…。紡は…?」
「心肺停止で…そのままっ。」
朝日奈さんの涙ぐんだ声は、自分の魂を吸い取られるようだった。「最善を尽くしたのですが」という医者の一言が、胸に鋭く突き刺さる。僕は彼女に近づき、これまで何十回、何百回と繋いできた手を、強く握りしめた。
「まだ暖かいじゃないか。」
涙が溢れてくる。大粒の涙が頬を伝い、静かに床に落ちた。
「紡。今日で僕の補習は終わったんだ。これから紡に教えられると思って、専用ノートを作った。紡が苦手なポイントを理解できるように、心を込めて工夫したんだよ。」
言い終わる頃には、光さんが背をさすってくれていた。自分も苦しくて辛いはずなのに、他の人をとことん守る姿は、彼女にそっくりだ。
「君の頼りにしていた透様は目の前にいるよ。お願い、紡…。目を開けて。起きてよ…。」
窓からキラキラとした日光が差し込み、澄んだ青が空いっぱいに広がっている文句のない晴れの日だった。
僕の人生で最大に愛した彼女が、すごく短い生涯を終えた。
僕の心の奥で一生癒えることの無い、深い傷を負った瞬間だった。
朝日奈さんに連れられておうちへ帰ると、家の外で祖母が待っていてくれた。
僕は何も考えたくなくて、家まで送ってくれたお礼を言うことも祖母に"ただいま"というのも出来なかった。何とか祖母に支えてもらい自室に入ると、急に全身の力が抜けて倒れ込んだ。
ずっと涙は止まらなくて心が苦しくて、楽になりたかった。
視線の先に自分の手が見えた際には、自分の手を握りしめ、彼女の手の感触を忘れたくなくて胸に収めた。
「紡...僕、君がいなかったらどうやって生きていけばいいのか分からない」
「紡、紡...」と名前をつぶやくと辛い気持ちが止まらない反面、まだ目が覚めてなくたって命が存在していて、彼女がベットで眠っているんじゃないか、どこかで彼女が生きている、と望みを考えるばかりだった。
あれから数日が経つ。
今日は彼女を見送る日となった。席に座っていると、周りの人はやっぱり彼女のことや、遺された家族のことを「可哀想」と言う。
僕は自分の心の中で渦巻く混乱と受け入れられない現実、そして孤独を感じていた。
彼女の遺影は太陽のような最高の笑顔を浮かべている。その写真を撮ったのは僕だ。僕は彼女と過ごした、日々の思い出を呼び起こして、どうにか心を保っていた。
葬式が進むにつれて、段々と彼女が亡くなったのは"自分のせいだ"と自分を責めるかのように感じ、彼女を支えられなかった自分への苛立ちがあった。
「僕が、周りを見ていれば彼女を救えたはずなのに…」と呟くと、思わず手が震える。周囲の人々の声が次第に遠のいていき、心の中の叫びが大きくなる。
棺の中に花を添えるとき、心の奥で崩れ落ちる音がした。今日で彼女の存在が消え、僕だけがこの世界に取り残されたことになる。その痛みは、言葉では表せないほどの鋭いものだった。
僕はその場で立ち尽くすことしかできなかった。彼女の笑顔が脳裏に焼き付いているのに、もう二度と見ることが出来ないなんて。彼女がいなくなった世界で、絶望が押し寄せてくる。
火葬場に着くと、冷たい空気が身体にしみ込んできた。
心の中の混乱がさらに増し、足元がふらつく。
彼女の棺がゆっくりと運ばれ、火葬場の中に入ると、彼女の最後を見届けようと人々が集まっていた。
「紡はこんなにたくさんの人に愛されていたんだな」
そう思ったら、心の喪失感がたまらなかった。
彼女はどこへ行ってしまったのだろう。心の中で、彼女の笑顔や声が生々しく蘇るが、同時にそのすべてが永遠に失われたことが恐ろしかった。
静かな炎が燃え上がっていく。その光景を見ながら、僕はその場にいることが辛くなり、施設を出てしまった。
「ちょっと、透どこいくの?」
そんな祖母の声も聞こえなかった。
彼女への愛情とともに、無力感が胸を締め付ける。どれだけ望んでも、彼女を救うことができなかったという思いが、絶えず心を壊していく。火葬場の外で、僕はただ一人、彼女を失った現実と向き合うことしかできなかった。
それからのことは覚えていない。
順調にことが進んでいったと思う。気づいたら家にいたから。
僕は心身ともに疲れていて、暗闇の中目を閉じた。