『先生、私、目標ができたんです』
『目標、ですか』
『諦めていたことなんですけど、きっかけがコロコロと手元に来てくれました。それは自分だけじゃ掴めなかったもので、道筋を作ってくれた人がいるんです。そして、その道を歩く靴をくれた人でもあります』
『素敵な、とても良い人ですね』
『はい。その人も今頑張ってるんだと思うんです。今は会えないし、私の目標は達成していないけれど、また会いたい。その時のために、私はできることをしたい。そしてそのために、私は私のことを知りたい』
そこで、音声が一度途切れた。先生は俺を見て、機械に紛れていない声を出す。
「彼女はこの後、ご自分の体について知りました。【クライネ・レビン症候群】についてもお話ししています」
「どんな様子だったんですか?」
「静かに受け入れていらっしゃるようでした。終始目を見て、泣かず、落ち込まず。少なくともその時は、ですが」
「そうですか……」
辛城本人が受け止めたのなら、それでいいだろう。ただの友人でしかない俺がどうこう言えるものでもない。……どうこう言う前に、何を言ったらわからないのが事実。病気を診断された人に、なんて声をかけたら良いんだろうか。
「その、【クライネ・レビン症候群】というのは治るんですか?」
「治ります」
「えっ、治るんですか? 本当に?」
「はい」
治るのか。こんな展開では治らないと思っていた。
体の力が抜けるのを自覚する。背中が曲がって、背もたれが支える。大きく息を吐いて、腹筋が緩む。
「あーーーーー…………、なんだそっか……よかった……」
身近なところで、不眠症とはまた違うようだ。そうなったら、辛城の目標とやらも、時間をかければいずれ達成できるだろう。
……でも。ならば何で、先生はそんなに浮かない顔をしているんだ。
「【クライネ・レビン症候群】は、長期にわたりますが成人すると治る傾向にあります。ただし、辛城さんの問題は、それだけではありません」
「それ、だけじゃない……って……」
「みなさんに確認しています。あなたは聞きますか? この先の話を。辛城さんの体で、何が起こっているのか」
説明と同意。治療や予後についての説明。何をどうやって治療していくかを、医師と患者さんが話し合って決めること。それは今回で言えば、榊原先生と辛城、もしくは大家さんが適応しているだろう。
それでも、俺に聞いてくる。恐らくこれは、俺が何かを決めるのではない。辛城たちが決めたことを聞くだけだ。その上で俺がどう行動するか……。
「……聞きます」
恐怖がないわけではない。ただ、治らない病気ではないと聞いたのが多少の後押しになった。悲観的になる必要はない。まだ、わからない。病気ではあるけど、抱えながらでも生きてる人はたくさんいる。知らなければ感情は傾かない。
「わかりました」
静かな声が部屋に落ちた。先生はお茶を一口飲んだ。その姿は先生も気持ちを落ち着けているようにも見える。それは逆に、俺の焦燥感を煽った。
「ご本人が眠ってしまって、発見されたのが2日後。その間に感染症を引き起こしていました。病院に運ばれた時の症状は重く、【敗血症】の診断が出ました。」
「はい、けつ、しょう」
「治療は一刻を争いました。そもそも【敗血症】は細菌の特定と抗生剤のスピード勝負。運ばれてきた時点で危うい状態でした」
淡々と話し、淡々と聞く。それはすでに終わった話であることと、さっき見た辛城がそこまで悪い状態には見えなかったからだ。大家さんは「安定している」と聞いたのだ。……出だしが悪いだけだ。
「幸いにして、【敗血症】の治療は完了しました」
「よかった……」
「ですが、退院はまだできません」
「それは眠っているからですか?」
「それもありますが、深刻な後遺症が残ってしまったからです」
「後遺症……って……」
先生はまた、お茶を飲む。
額から汗が垂れた。部屋の中は暑いとは思わない。むしろ寒いくらいだ。喉が乾燥しているほどに。
「腎臓、消化器官、その他心臓を含めた臓器に大小のダメージが残っています」
そこまで本格的な医療知識はない俺でも、複数の臓器にダメージがと言われれば深刻さは伝わってくる。
なんで。なんで。なんで辛城が、こんなことになったんだ……?
「現在も投薬治療は行っています。ですが回復状況は芳しくありません。そして、この治療はタイムリミットがあります」
『目標、ですか』
『諦めていたことなんですけど、きっかけがコロコロと手元に来てくれました。それは自分だけじゃ掴めなかったもので、道筋を作ってくれた人がいるんです。そして、その道を歩く靴をくれた人でもあります』
『素敵な、とても良い人ですね』
『はい。その人も今頑張ってるんだと思うんです。今は会えないし、私の目標は達成していないけれど、また会いたい。その時のために、私はできることをしたい。そしてそのために、私は私のことを知りたい』
そこで、音声が一度途切れた。先生は俺を見て、機械に紛れていない声を出す。
「彼女はこの後、ご自分の体について知りました。【クライネ・レビン症候群】についてもお話ししています」
「どんな様子だったんですか?」
「静かに受け入れていらっしゃるようでした。終始目を見て、泣かず、落ち込まず。少なくともその時は、ですが」
「そうですか……」
辛城本人が受け止めたのなら、それでいいだろう。ただの友人でしかない俺がどうこう言えるものでもない。……どうこう言う前に、何を言ったらわからないのが事実。病気を診断された人に、なんて声をかけたら良いんだろうか。
「その、【クライネ・レビン症候群】というのは治るんですか?」
「治ります」
「えっ、治るんですか? 本当に?」
「はい」
治るのか。こんな展開では治らないと思っていた。
体の力が抜けるのを自覚する。背中が曲がって、背もたれが支える。大きく息を吐いて、腹筋が緩む。
「あーーーーー…………、なんだそっか……よかった……」
身近なところで、不眠症とはまた違うようだ。そうなったら、辛城の目標とやらも、時間をかければいずれ達成できるだろう。
……でも。ならば何で、先生はそんなに浮かない顔をしているんだ。
「【クライネ・レビン症候群】は、長期にわたりますが成人すると治る傾向にあります。ただし、辛城さんの問題は、それだけではありません」
「それ、だけじゃない……って……」
「みなさんに確認しています。あなたは聞きますか? この先の話を。辛城さんの体で、何が起こっているのか」
説明と同意。治療や予後についての説明。何をどうやって治療していくかを、医師と患者さんが話し合って決めること。それは今回で言えば、榊原先生と辛城、もしくは大家さんが適応しているだろう。
それでも、俺に聞いてくる。恐らくこれは、俺が何かを決めるのではない。辛城たちが決めたことを聞くだけだ。その上で俺がどう行動するか……。
「……聞きます」
恐怖がないわけではない。ただ、治らない病気ではないと聞いたのが多少の後押しになった。悲観的になる必要はない。まだ、わからない。病気ではあるけど、抱えながらでも生きてる人はたくさんいる。知らなければ感情は傾かない。
「わかりました」
静かな声が部屋に落ちた。先生はお茶を一口飲んだ。その姿は先生も気持ちを落ち着けているようにも見える。それは逆に、俺の焦燥感を煽った。
「ご本人が眠ってしまって、発見されたのが2日後。その間に感染症を引き起こしていました。病院に運ばれた時の症状は重く、【敗血症】の診断が出ました。」
「はい、けつ、しょう」
「治療は一刻を争いました。そもそも【敗血症】は細菌の特定と抗生剤のスピード勝負。運ばれてきた時点で危うい状態でした」
淡々と話し、淡々と聞く。それはすでに終わった話であることと、さっき見た辛城がそこまで悪い状態には見えなかったからだ。大家さんは「安定している」と聞いたのだ。……出だしが悪いだけだ。
「幸いにして、【敗血症】の治療は完了しました」
「よかった……」
「ですが、退院はまだできません」
「それは眠っているからですか?」
「それもありますが、深刻な後遺症が残ってしまったからです」
「後遺症……って……」
先生はまた、お茶を飲む。
額から汗が垂れた。部屋の中は暑いとは思わない。むしろ寒いくらいだ。喉が乾燥しているほどに。
「腎臓、消化器官、その他心臓を含めた臓器に大小のダメージが残っています」
そこまで本格的な医療知識はない俺でも、複数の臓器にダメージがと言われれば深刻さは伝わってくる。
なんで。なんで。なんで辛城が、こんなことになったんだ……?
「現在も投薬治療は行っています。ですが回復状況は芳しくありません。そして、この治療はタイムリミットがあります」