次に起きたのは、幸いにして次の日。熱はまだあるから動けない。けど眠っていたおかげで意識ははっきりしている。
 大家さんが水分やゼリーを買ってきてくれていて、なんとか薬を飲むことができた。まだ声はあまり出ないけど、音は聞こえるようになった。


「嗅いだことのないような不思議な匂いがして、それが玲良ちゃんの家からで、応答がないから合鍵で入ったの。そうしたら家の真ん中で玲良ちゃんが倒れていたの」
「まんなか……?」
「そう。必死に声をかけて、一度起きてくれたのよ。覚えてる? ベッドまでは這いずって行ってくれたのよ」
「全然、おぼえてない……」
「そう。その時から熱はあったからね。しょうがないわ」


 熱にうなされて覚えていないのか。全く覚えていなかった。今みたいに眠ってしまった状態で誰かに発見されること、今までなかった。『夜』の人との時は眠っているだけだったし。
 甲斐甲斐しく面倒を見てもらって、また次の日には熱は下がった。まだ体は重いけれど、少しずつ関節を動かして歩く感覚を取り戻す。
 大家さんが学校に連絡して、明日、回答用紙を貰うことになった。その時に何やら話があるとのことだった。
 ……行きたくなくなった。


 ・♢・


「失礼しまー……」


 学校は今はお休み中。なので正門から通してもらって、職員室に来た。


「おう。来たか辛城。体調どうだ」
「はい。ほどほどです」
「それは?」
「あ、一応ってことで持たされた杖です。借りものです」
「無理すんなよ。今回は頑張ったみたいだな」


 折りたたみの杖は大家さんが貸してくれた。まだ前回ではない体を気遣ってのことだが、
 男の先生はそう言って、茶封筒を渡してきた。中身を見る前に会議室を指さした。そちらで話でもするのだろう。
 会議室の鍵は開いていたので先に入る。二・三人掛けのソファが向かい合わせにあって、その間にはローテーブル。手前のソファに座って茶封筒の中を見た。回答用紙がいくつか。
 それと、受けた試験の点数が一覧になっている(これ)


「ああ……よかった」


 赤点がない。今まで必ず何教科かあったのに、初めて差し色の赤は存在していなかった。


「ほい」
「ありがとうございます」


 遅れてきた先生は薄い陶器の器にお茶を入れてきてくれた。氷は入っていないが湯気もない。早速手にすればひんやりした感触が伝わってくる。


「辛くないか?」


 正面に座った先生は真っ直ぐに私を見ている。唐突に聞いてきた質問は実は今まで何度も聞かれたもの。


「大丈夫です」
「放置はお前にも、相手にもためにならないんだがな」
「……そうですよね、すみません」
「詳細は話してくれないんだろう?」
「すみません」
「いや、無理に聞く気はない。約束は守ってくれな」
「はい。辛くなったら必ず」


 先生はいじめに気付いている。最初に私に確認して来たのだ。けれど、私は否定して、そして「何もしないでほしい」とお願いした。複雑そうで悲しそうな顔は今でも覚えている。
 私のこの体質を説明するのは簡単だ。けれど信用してもらえるのかは話してみないとわからない。気にかけてくれるこの先生ならば信用してくれるかもしれないけれど、ただ眠いだけというのを理由にいじめを受け入れているのは看過できないと思う。いじめを受け入れている私のためにも、いじめをしているクラスメイトのためにも、本当は話した方が良いのかもしれないけれど。


「んで、話なんだがな」


 お茶を一口飲んだ先生は再度口を開いた。今の話は今回とは別件らしい。


「受験しないか?」
「じゅけん?」


 目から鱗の提案だった。先生は真剣な目をしている。


「大学じゃなくてもいい。だが、専門学校とか、資格があると今後もいいんじゃないかと思ってな」
「ああ、資格……なるほど」
「ご両親がいなくて大変だろうから、早く働きたいだろうが、考えてみてくれ」
「専門学校って、どこかいいところありますか」


 先生は少しだけ目を大きくして、「資料持ってくる」と。会議室を出てすぐに戻ってきた。


「校風的に少ないが、このあたりか」


 美容師、ネイルアーティスト、医療、介護。いくつかの学校を眺め、そういえばと沸き起こる記憶があった。そしてそのためならば、私は頑張りたいとも思う。


「この学校、受けます」
「……そうか。願書ここで書いていくか?」
「はい」
「よし」


 先生が見守る中、私は願書に記入事項を書く。まさか自分が受験をしようとするなんて思わなかった。受験を提案されるとも思わなかった。でも、受験しようと思ったのは、受験できるのではないかと思ったのは、まぎれもなくあの人のおかげだろう。


 ・♢・