私の息が落ち着いた頃に、ゆっくりとセイは私の隣にしゃがみこんだ。

見ると何故かセイも思い詰めたような表情をしていた。

手も震えている。
どうしたのだろう……?

セイは、その震えを必死に抑えるかのように、両手の指を交わらせグッと力を入れていた。

「セイ?」

「えっ」

「どうしたの?」

「ん?何が?」

「震えてる……」

「あ、バレたか。いや、ただちょっと怖かっただけ」

「怖い?」

「うん、私はサエに触れない。だからもし本当にサエが飛び込もうとしたら、私は体で止めることが出来ない。ただ見ているだけ。それを想像したら恐ろしかったし、無力だと思ったよ」

私が一番嫌う「恐怖」という感情を、私自身がセイに味あわせてしまったんだ。

「セイ……ごめんね」

ハハッとセイは笑った。

「サエが気にすることないよ」

それでも私は俯いたままだった。

そんな様子を見てか
「私の独り言だと思って、少し聞いてくれる?」
とセイは弱々しく微笑んで言った。

私は静かにコクンと頷いた。

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「自分から死のうとする時って、行動するほんとギリギリまで『生きる恐怖』と『死ぬ恐怖』が天秤にかかった状態なんだと思うの。みんな正直迷ってる。だから下手したら何かの弾みで、ガッとどっちかの天秤が傾いちゃうことだってある」

セイは一呼吸おいて、こう続けた。

「それでも今、サエはここに居る。生きている」

私は少し顔を上げた。

セイは頬を緩ませ、温かい眼差しをこちらに向けた。

「偶然でも良い。恐怖に負けたとかでも良い。今、私の声がサエの鼓膜を揺らしている。肌が海風を感じている。目が月明りを捉えている。ここにある世界は、サエがあの時もし命を絶っていたら感じることの出来なかった世界なんだよ」

私は泣き腫らした目で、前を見つめる。

広い海。
先程と変わらない景色。

けれど、セイが言った言葉を噛みしめながら見ると、自分が別世界を生きているように感じた。

「不思議……」

今まで自分が目に写していた景色はいったい何だったのだろう。

そう疑問に思うほど、透明な空気感と光が輝く夜景が広がっていた。

「ねぇ、こんなことで死のうとした私は馬鹿だと思う?」

体育座りをしていた私は、再び顔を膝に埋めてセイに聞いた。
顔に当たる骨が痛い。
両足を抱え込む手の肘がかなり骨ばっていた。

ストレスで体重も減り、自分の体がやつれていたことに今やっとこの時実感した。

「サエ。そんなこと、考えなくて良いんだよ」

私は若干、戸惑った。

想像の斜め上を行く回答。
大抵こういった場合は「馬鹿だね!」って返されるか、「そんなことないよ」的な返答だと思っていた。

「考えなくても良いって、どういうこと?」

私が思ったことを素直に口にすると、
セイは一回伸びをして「これから話すよ」と目で合図した。

「勘違いしないで欲しいんだけど、『そんなこと、どうでも良い』って言ってる訳では無いからね!」

セイは、一旦慌てて前置きを挟んだ。

私が「分かってる」と微笑むと、セイは安心したように話を続けた。

「私はね『サエの苦しみは、サエにしか分からない苦しみ』で良いと思うんだ。人にいくら『そんなことで?』って言われても、『私は苦しい』って心の声を、人の意見で掻き消して欲しくない。周りが言うなら『これは苦しく無いんだ』って洗脳もされて欲しくないの。人の苦しみはその人にしか分からないことを、逆手に取るんだよ。そうしないと、苦しみ以外に湧き出る感情が、きっと更にサエを苦しめる。疑心感だったり、自身を軽蔑する思いだったりがね。だから、馬鹿な行いだったかどうかなんて、『そんなこと、考えなくて良い』んだよ」

セイは落ち着いた声で、真剣に言葉を紡いでいた。

ありふれた励ましではなく、私の未来を考えてくれた言葉。

それは私にとって、新たな気づきだった。

私はこの苦しみを、心のどこかで誰かに分かって欲しいと願っていた。

でも経験上、身に染みて分かっている。

その思いに共感して貰えなかった時、確かに負の感情がしこりのように残るのだ。

だからセイは「この苦しさは、自分だけのもので良い」と言った。

もし誰かに吐き出して辛くなるくらいなら、自分だけが知っていれば良い。

「今苦しい」と認めてあげる。
どんなに、ちっぽけなことでも。

私はセイの言葉に、過去の自分を救ってもらった気がした。

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その後セイは、私にこう尋ねた。

「サエは、今も死にたいと思う?」

「……」
私はすぐ言葉に出来なかった。

何とも言えない無言の間が続き、私はやっと口を開いた。

「うん……。正直、やっぱり消えたい気持ちが無くなった訳じゃない。生きてもこの先、地獄にしか思えない。やっぱり死んだ方が楽なんじゃないかって思う。でも、さっきの言葉で少しだけ過去の自分は救われた気がした。セイ、ありがとね……」

そう言って私は、精一杯の笑顔を見せた。

それを見たセイは、一瞬切なそうな表情をしたが一度目を閉じ、再び微笑んでこう言った。

「そっか。そうだよね。そんな簡単には変わらないよね」

セイはダランと足をのばした。
暫くして
「そうだ、昔こんな話を聞いたことがあってね……」

セイは胡坐に座り直しながら、話し始めた。