仕事にやっと慣れてきた頃、私はある大きなミスを犯してしまった。

私が担当していたデータ打ち込みの一ヶ所が計算ミスでズレており、その後のデータ集計全てに影響が出てしまったのだ。

「ここからズレてるわ。ここ担当したの誰?」
上司が言う。

私は青ざめていた。
しかし、震えながらもハッキリとした声で名乗り出た。

「私です」

「えっ、松川さん?珍しいね、こんなミスするの」

「大変申し訳ございませんでした」

勢いよく頭を下げて謝罪をする。

血の気が下がり、後ろにフラッと倒れそうになるのを必死に堪えた。

「はい、しっかり!顔を上げて。起こったことはしょうがない。みんなで手分けして、ペース取り戻すわよ!」
そう私の肩をさすりながら上司は言った。

私は、周りの同僚の顔が見れなかった。

みんなその場の空気に合わせて「はーい」と返事をしているが、同じ発言でも声色は様々だった。

快く引き受けてくれる声。
諦めて上司の指示に従う声。
面倒臭いと感じている声。
イラつきが隠せていない声。

居たたまれなかった。
自分はどんな顔をして、ここに居ればいいのか分からなかった。

中には
「ミスをしない人なんて居ないんだから、大丈夫!みんな通ってきた道だよ!」
と声をかけてくれた先輩も居た。

しかし、それでも私の心は晴れなかった。

ミスをしない人は居ない。
つまり私はきっとまた、いつかミスをする。

その「いつか」に怯えながら仕事をする事が、私にとっては絶望でしか無かった。

「いつか」という言葉の威圧感。

みんなこんな脅威を感じながら、ここに居るのだろうか。

私には、この脅威を背後にずっと感じながら仕事を続けることは考えられなかった。

未来を閉ざされ、私は一気に孤独な暗がりにいざなわれた。

人に相談すれば、また「大げさな」と言われるだろうか。
そんなことを思いながら、私は必死に働き続けた。

「大学まで行かせてもらった。立派に働いてお金を稼がなきゃ……」
そう自分に言い聞かせる日々だった。

相変わらず職場の空気は薄い。

この時の私は「頑張ることが正義」という根拠のない持論だけを持ち合わせ、「逃げる」という選択肢を学生時代に学ぶことが出来ていなかった。

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それからというもの、段々と職場でミスをする事が増えていった。

自責の念と恐怖が入り混じり、私の心は身動きが取れなくなっていった。

必死に笑顔を保ち、乗り越える日々。

それにも限界があった。

ある時、自分の目に写る景色から、フッと色が消えた。心が何も感じなくなったのだ。

正確には「感じ取ることを諦めていた」のかもしれない。

痛みや悲しみの感情が例え湧いたとしても、涙は出てこない。

自身の誕生日をお祝いされても「ありがとう」の平仮名五文字が、機械的に口から出てくるだけだった。

私の心は、無機質な鉛のようだった。

ズシッとした重みを抱えて、光の届かない所に、どこまでも沈んでいく。

同時に湧きあがる負の感情も、ただの文字列となって脳裏に過るだけだった。
気分の良いものではなかったが、その不快感すらもどうでも良かった。


――この身体を動かしているのは、誰……?――