「あの……!」

「はい!サエさん、どうしたの?」

私は震えながら聞く。

「そのおまじないは……、どこで」

「あ!ちょっと変わってますよね!うちの家系がこうなんですよ!私の姉が小さい時に何か我儘を言ったみたいで、母がオリジナルで作ったみたいです。私は逆に、生まれた時からこのヘンテコなおまじないしか聞いたこと無かったから、初めてこれが普通じゃ無いって知った時は恥ずかしくて仕方が無かったですよ」

そう言いながら、東雲さんは苦笑いし肩をすくめた。

「でも結局私に馴染みがあるのは、このおまじないで……。今や、自分の娘にまで同じ事をしちゃってます。あっでも、娘にはちゃんと「別なものもある」と教えるつもりですよ!」

そう言って、慌てて胸の前で小さく手を振りながら照れ臭そうに笑った。

「そう言えば、今日はここで姉と待ち合わせしているんですよ!この後、一緒にお昼を食べる予定で」

そう話す声を遮るかのように、「おーい!」と遠くから声が聞こえた。

私は、そちらにゆっくりと目を向ける。

するとそこには、スラッと背の高い女性が立っていた。

デニムの短パンに白いTシャツを合わせ、薄手のガウンワンピースを羽織っていた。
ベルトで絞めたスタイルは、足の長さをより引き立たせていた。

「あっ!お姉ちゃん!」
東雲さんは、嬉しそうに手をブンブン振っている。

姉が来た瞬間、母親という鎧は脱がされ妹に戻ったようだった。

「ご紹介しますね!こちらが先程話した、私の姉です!」

「先程って何?」

「まぁまぁ!そしてお姉ちゃん!こちらが、いつもお世話になっているサエさんだよ!」

私は今、目の前にいる女性をしっかりと目に焼き付けたかった。
顔が見たかった。
しかし、見上げられる角度には限界があった。
曲がった腰を年の功と前向きに捉えていたが、今日ほど悔しい思いをしたことは無い。

そう思っていると、女性はスッと私の前に屈み込んだ。

「はじめまして!カナの姉で、東雲ハルと申します。妹がいつもお世話になっております!」

目が合った。
私はこの面影に、確かに見覚えがあった。
今は懐に入れて、いつも眺めている一枚の写真。
あの写真の人物よりだいぶ大人びているが、纏う雰囲気はセイそのものだった。

もうこの歳になると多少のことでは驚きもしないが、この時私の視界は潤んでいた。

目の前の女性と重なる、セイの姿。

過去に自分の妹と、その来世を生きる私を重ねて見ていたセイの気持ちが今ならよく分かる。

「サエと申します。どうぞ、よろしく」

そうゆっくりと挨拶を交わした。
曲がった腰を、より深くする。

そして私は、ある一つのお願いを申し出た。

「すみませんが、私と握手をしてもらえませんか?」

「えっ、あぁ!もちろんですよ!お近づきの印に、こちらこそ是非お願いします!」

そう彼女は快く引き受けてくれた。

私はソッと手を差し出す。

そして、彼女の手を優しく両手で包み込むように握手をした。

私はポツリと呟く。
「冷たい……」

「ごめんなさい!私結構冷え性なんですよ。でもちゃんと、生きてますからね!」
そう言って、彼女は大きく口を開けて笑った。

「それにしても、サエさんの手は温かいですね。なんか、心までポカポカする……」

「生きている」「触れられる」そんな当たり前のことが、今やっとここで何十年もかけて現実になったのだ。

私は手を握ったまま、目の前の女性の魂に語りかけていた。

⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆

ねぇ、セイ?

(……。サエ!?)

今なら見えるわ。
あなたの心に絡まった鎖。
やっぱりまだ巻き付いたままだったのね。

(これは……、もう良いの。自分で作っちゃったんだから)

やっぱりそうだったのね。解けないんじゃなくて、解かなかった。

(もう慣れちゃったから、大丈夫よ)

その「大丈夫」を信じてあげられるほど、私はもう優しくないのよ。
こんなのあんまりだわ。
高校生が背負う重みじゃない。
もう時効よ。
楽になって良いの。

(でも……)

あれ……。

(どうしたの?)

この鎖よく見たら透明だわ。
氷……かしら。

(えっ)

ねぇ、セイ。
あなたは妹さんの件で、自分がずっと許せなかった。
その後悔や自責の念がこの鎖を生み出したのよね?

(そうだよ。だから、この鎖はあるべくしてここにあるの!だから、放っておいて!)

でも、この鎖は氷で出来ている。
さっきの様子からして、知らなかったんじゃない?

(っ!)

あなたは、そもそもこの鎖を解く気なんて無かった。

(さっきからそう言ってるじゃない)

そうね、解く気は無かった……少なくとも「自分では」。

(何が言いたいの)

あなたは、「誰かに」この鎖を壊して欲しかったのよ。

(そんなことある訳ないじゃない!)

じゃあ、どうして普通の鎖じゃなくて、氷で作られたか分かるの?

(それは……)

ねぇ、セイ聞いて?
セイが妹さんのお話をしてくれた時、あなたは「同じ温度で受け止めてやれなかった」って言ったわね。
口を付いて出てきた言葉にしては、少し不思議な言い回しに聞こえたの。
もしかして、同じ温度で受け止めて欲しかったのは、セイ。
あなたも同じだったんじゃないかしら。
あなたは、人の温もりに飢えていた。

(違う!)

妹さんが居なくなってから、家族はバラバラ。
ご両親はご両親で、自分の事で精一杯だった。
セイの方には見向きもしない。
時にはお母さんの要望に応えて、亡くなった妹さんの代役を演じる始末。
セイはこう感じたんじゃない?
「ご両親はの関心は、もう自分に無い」と。
もしそうだとしたら、「寂しい」なんてもんじゃ無いわ……。

(違う……)

違う?本当に?
確かにご両親の思いは、私の想像だから真実は分からないわ。
でも、セイが実際にどう感じたかが重要なのよ。
ほら、よく見て。
この氷の鎖、人の温もりで溶けるみたいよ。
ほら、ポタポタと水が滴ってきている。
まるで心が泣いてるみたいだわ……。

(そんな!直接触れて無いのに……なんで)

セイには直接触れてなくても、あなたの魂が宿ったこの身体の持ち主さんが、冷えた心に自ら火を灯したんじゃないかしら。
心は身体と、一心同体。
あなたはもう幽霊じゃない。
一人の身体じゃないの。
あなたは乗り越えなきゃいけない。
自由になるのも、勇気がいることだって分かってる。
でも、もう縛られるのは終わりにしましょう?
きっと、彼女もそう望んでいるわ。

(沈黙)

厳しさは、時に人を脆くする。
自分に厳しいセイは、人に頼る事を拒んだ。
でも見方を変えれば、人に頼る事でしか解決しない出来事からあなたは目を背けたのよ。
これはセイの強さじゃない。
むしろ弱い所よ。
鎖が不完全な氷で出来ていたのが、その証拠だわ。

(じゃぁ、どうすれば良かったって言うのよ!直ぐに死のうとしてたサエに言われたくない!あっ……)

それもそうね。セイの言う通りだわ。

(ごめっ、違うの……)

いいえ。間違って無いわ。
私は弱い。
結局あなたとお別れしてからも、無力な自分に苦労するばかりだった。

(サエ……)

ムカつくのも分かるわ。

でも、おばあちゃんの歳になった私だから、言える事があると思うの。

だから、一旦耳を貸してくれないかしら。

(うん。もちろんよ)

私たちは、十分闘った。
お互い、嫌と言う程自分自身と向き合ったと思うの。

だから、もう全てを認めましょうよ。
「感情」「思い」「存在」全てを。

(全てを認める?)

そう。
認めてあげるの。

これまで必死に藻掻いてきた自分自身のことも、家族に振り向いて欲しかった思いも。

(でも、サナはもっと苦しかったはず)

そうね。
でも、サナさんの苦しみはサナさんの苦しみ。
自分の苦しみは、自分だけのもので良いんでしょ?

(……!)

セイが言ったこの言葉に、私は救われた。
「忘れた」なんて、言わせないわよ。

(そうだね……。
サエ。さっきは酷い事言って、本当にごめんなさい。
ほん、と……は。
嘘でも良いから、「あなたのせいじゃない」って言って欲しかった。
抱きしめて欲しかった。
寂しかったよ。
お父さん、お母さん。
どうして、どーして……私も。
私だって、二人の子供なんでしょ)

もう大丈夫みたいね。

ピシッ……ピキッ……パリンッ

不完全な鎖は、前に進める突破口でもあったのね。

(ウッ……ァァァァァ)

今この世で私が唯一、セイの事を知っている人物。
だから救うなら私しかいないと思った。
先にあの世へ逝ってしまわなくて良かったわ。
間に合って良かった……。

(スンッスンッ、あー。サエは出会った時から、全て分かっていたの?)

そんな訳無いじゃない。

(えっ、でも、直ぐに手を……)

それは、再び会えたと思ったら、居てもたっても居られなかったのよ。

(なーんだ)

笑い事じゃないわよ。
本当に感動したんだから。
当時はセイがどんなに寂しそうな表情を浮かべても、涙を流していても、私は背中をさすってやることすら出来なかった。
本当に悔しかったわ。
だから、今はとっても嬉しいの。
今日やっと触れることが出来た。
まさか、鎖を壊すきっかけになるとは思いもしなかったけどね。

(そっか。きっとサエだから出来たんだ。ありがとう。まさかもう一度出会えるなんて……)

ええ。
本当に奇跡だわ。
私にとっては人生の賭けだった。
長生きした分だけ、出会いは未知数。
そう思って生きていたわ。
間違ってもセイのためだけじゃないわよ。
自分の人生だから、悔い無く逝きたかったの。
でもお陰でもう、手はこんなにシワシワね。

(何言ってんの。生きた証じゃない。誇って良いのよ)

あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。

(サエ、救ってくれて本当にありがとう。素敵なおばあちゃんになったね)

素敵かは知らないけど、あなたのお陰で、おばあちゃんになれたわ。

(フフッ。素直に受け取れば良いのに)

そうね、あなたはお世辞なんて言わない人だったわ。

⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆

「サエさん?サエさん!」
私はハッと顔を上げる。

やってしまった。
これじゃあ、何も言わないでただボーッと手を握っている人じゃない。
こんなの明らかに不審者だわ。

「サエさん、どうしたの?」

「いや、何でも無いんだよ。あの、すみませんでした。お願いを聞いて下さってありがとうございました」

私は女性に向けて、丁寧にお辞儀をした。

「いえいえ!なんかとても心が温かくなった気がします!これからも妹とアカネのこと、よろしくお願いします」

彼女はそう言って、こちらに快活な笑顔を向けた。

これで良かったんだわ。
この姉妹には、長生きして欲しいものね。

⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆

私の役目は終わった。
あとは、この人生を全うするだけね。

私はもう一度桜の木を見上げた。
何重にも年輪を重ねた大きな木。

私ね、本当は桜の季節が苦手なの。
環境の変化が大きくて、色々な感情が渦巻く季節だから。

でも、今のセイにはピッタリな季節だと思うわ。
囚われていた過去から、卒業したんだもの。

出会いと別れの季節でもある今。

「あの子に会わせてくれてありがとう」
私はソッと呟いた。

さあ、そろそろ帰りましょうかね。
帰り道分かるかしら……。