月日は流れ、もう何度目の春だろう。
薄れゆく記憶の中でも、色濃く残る不思議な出会い。
遥か昔の出来事だが、つい最近のようにも感じる。
私は、とある公園のベンチに座っていた。
散りゆく桜を、一回一回丁寧に瞬きをしながら眺めている。
途中で、居眠りでもしているのではないかと心配されることもあった。
とても大きな桜の木。
私には、そう見える。
腰の曲がった今の私には。
木に近いベンチに腰掛けてしまうと、てっぺんまで見上げるのが難しい。
だから私は一番遠くにある、公園入口すぐのベンチに、いつも腰を下ろしていた。
手には杖をしっかりと握っている。
これがないと、どうも重心が傾いてしまっていけないね。
転げたりなんかしたら、ご近所さんに迷惑をかけてしまうから、外に出る時には必ず持ち歩くようにしている。
杖には大きな字で「後藤サエ」とシールが貼ってある。
一度お散歩から帰ろうとした途中、帰り道が分からなくなり、息子たちの家に帰れなくなってしまったことがあったのだ。
それからは、お嫁さんがこの「お名前シール」を貼ってくれている。
私は今、息子たちの家に住まわせてもらっている。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
私は結婚するまで結局、社会の歯車になれなかった。
一度で良いから、ちゃんと自立した生活がしてみたかったわね。
自分の稼いだお金で、好きな物を買う。
育ててくれた、祖父母に恩返しをする。
でも、今となっては無いものねだりね。
「苦しみはその人にしか分からない」ほんとその通りだわ。
何を「苦しみ」と捉えるかなんて人それぞれ。
「社会の歯車」って言うと、拘束された印象で嫌う人もいるんじゃないかしら。
でも、私はそんな歯車になりたかったのよ。
何処にでもしっくり馴染むような、そんな素朴な歯車に……。
でも、私の存在は歪に描かれてしまった。
歪な形をした歯車。
それが私。
そのせいで、社会に無理やり溶け込もうとすると、
身体が悲鳴をあげた。
無理にねじ込むモノじゃないわね。
周りの人まで傷つけてしまう。
そんな私でも、自分らしくここまで生きて来れたのは、周りの人達が支えてくれたお陰ね。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
だから当時の日常は、写真を撮ることで成り立っていた。
よく行ったのはあの公園かしら。
私のお気に入りの公園。
季節ごとに色々なお花が咲くから、いつ行っても飽きないのよね。
そう言えば、あの人と出会ったのもあの公園だったわ。
物静かな人で、いつも難しそうな本を読んでいた。
いつもブラックコーヒーを片手に、少し木陰になる場所を選んで過ごしていたわ。
私としては、スーツをピシッと着こなしていて、最初は何となく苦手だった。
けれども、今ではその人が私の夫なのよね。
不思議なものだわ。
そんなあの人も二年前に逝ってしまった。
私は三十歳の時に結婚し、二人の子供に恵まれた。
優しい子供たちだけど、性格はバラバラ。
長男の方は基本的にのんびりとしていて、何となく私に似ているような気がする。
逆に長女は、キビキビとよく働く子。
今は都会の方に出て、元気にやっているみたい。
この性格は一体誰に似たんだろうね。
やはり夫かしら。
あの人は仕事が出来る人だったものね。
夫と子どもたちが、私を「妻」や「お母さん」としての役割をくれ、この社会に噛み合う歯車の一部にしてくれた。
ご近所付き合いや、ママ友って輪は相変わらず苦手だった。精一杯頑張ったつもりだけど、上手く出来たか分からない。
けれども精神的に疲れ果てた時こそ、セイと過ごした日々を思い出した。
「逃げても良い」そう自分に言い聞かせる。
頑張りたい時こそ、そう心に言い聞かせるの。
「頑張らなきゃ」と思うよりは、効果のあるおまじないだったわ。
そんな私だから、家族にも迷惑をかけた。
でも、みんな助けてくれたわ。
ただ私は心配だった。
「子どもたちには負担だったんじゃないか」
「私のせいで、過去の私と同じような苦しみが、彼らを襲うんじゃないか」って。
でも、そんな心配は必要なかったみたい。
二人は立派に成長して、今や孫にまで会わせてくれた。
私は何度「生きていてよかった」と思ったことか。
昔の自分に、言い聞かせてやりたい。
「私も生きたものね……」
私は桜を見ながら、ポツリと呟いた。
薄れゆく記憶の中でも、色濃く残る不思議な出会い。
遥か昔の出来事だが、つい最近のようにも感じる。
私は、とある公園のベンチに座っていた。
散りゆく桜を、一回一回丁寧に瞬きをしながら眺めている。
途中で、居眠りでもしているのではないかと心配されることもあった。
とても大きな桜の木。
私には、そう見える。
腰の曲がった今の私には。
木に近いベンチに腰掛けてしまうと、てっぺんまで見上げるのが難しい。
だから私は一番遠くにある、公園入口すぐのベンチに、いつも腰を下ろしていた。
手には杖をしっかりと握っている。
これがないと、どうも重心が傾いてしまっていけないね。
転げたりなんかしたら、ご近所さんに迷惑をかけてしまうから、外に出る時には必ず持ち歩くようにしている。
杖には大きな字で「後藤サエ」とシールが貼ってある。
一度お散歩から帰ろうとした途中、帰り道が分からなくなり、息子たちの家に帰れなくなってしまったことがあったのだ。
それからは、お嫁さんがこの「お名前シール」を貼ってくれている。
私は今、息子たちの家に住まわせてもらっている。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
私は結婚するまで結局、社会の歯車になれなかった。
一度で良いから、ちゃんと自立した生活がしてみたかったわね。
自分の稼いだお金で、好きな物を買う。
育ててくれた、祖父母に恩返しをする。
でも、今となっては無いものねだりね。
「苦しみはその人にしか分からない」ほんとその通りだわ。
何を「苦しみ」と捉えるかなんて人それぞれ。
「社会の歯車」って言うと、拘束された印象で嫌う人もいるんじゃないかしら。
でも、私はそんな歯車になりたかったのよ。
何処にでもしっくり馴染むような、そんな素朴な歯車に……。
でも、私の存在は歪に描かれてしまった。
歪な形をした歯車。
それが私。
そのせいで、社会に無理やり溶け込もうとすると、
身体が悲鳴をあげた。
無理にねじ込むモノじゃないわね。
周りの人まで傷つけてしまう。
そんな私でも、自分らしくここまで生きて来れたのは、周りの人達が支えてくれたお陰ね。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
だから当時の日常は、写真を撮ることで成り立っていた。
よく行ったのはあの公園かしら。
私のお気に入りの公園。
季節ごとに色々なお花が咲くから、いつ行っても飽きないのよね。
そう言えば、あの人と出会ったのもあの公園だったわ。
物静かな人で、いつも難しそうな本を読んでいた。
いつもブラックコーヒーを片手に、少し木陰になる場所を選んで過ごしていたわ。
私としては、スーツをピシッと着こなしていて、最初は何となく苦手だった。
けれども、今ではその人が私の夫なのよね。
不思議なものだわ。
そんなあの人も二年前に逝ってしまった。
私は三十歳の時に結婚し、二人の子供に恵まれた。
優しい子供たちだけど、性格はバラバラ。
長男の方は基本的にのんびりとしていて、何となく私に似ているような気がする。
逆に長女は、キビキビとよく働く子。
今は都会の方に出て、元気にやっているみたい。
この性格は一体誰に似たんだろうね。
やはり夫かしら。
あの人は仕事が出来る人だったものね。
夫と子どもたちが、私を「妻」や「お母さん」としての役割をくれ、この社会に噛み合う歯車の一部にしてくれた。
ご近所付き合いや、ママ友って輪は相変わらず苦手だった。精一杯頑張ったつもりだけど、上手く出来たか分からない。
けれども精神的に疲れ果てた時こそ、セイと過ごした日々を思い出した。
「逃げても良い」そう自分に言い聞かせる。
頑張りたい時こそ、そう心に言い聞かせるの。
「頑張らなきゃ」と思うよりは、効果のあるおまじないだったわ。
そんな私だから、家族にも迷惑をかけた。
でも、みんな助けてくれたわ。
ただ私は心配だった。
「子どもたちには負担だったんじゃないか」
「私のせいで、過去の私と同じような苦しみが、彼らを襲うんじゃないか」って。
でも、そんな心配は必要なかったみたい。
二人は立派に成長して、今や孫にまで会わせてくれた。
私は何度「生きていてよかった」と思ったことか。
昔の自分に、言い聞かせてやりたい。
「私も生きたものね……」
私は桜を見ながら、ポツリと呟いた。