月日は流れ、もう何度目の春だろう。

薄れゆく記憶の中でも、色濃く残る不思議な出会い。

遥か昔の出来事だが、つい最近のようにも感じる。

私は、とある公園のベンチに座っていた。

散りゆく桜を、一回一回丁寧に瞬きをしながら眺めている。

途中で、居眠りでもしているのではないかと心配されることもあった。

とても大きな桜の木。
私には、そう見える。

腰の曲がった今の私には。

木に近いベンチに腰掛けてしまうと、てっぺんまで見上げるのが難しい。

だから私は一番遠くにある、公園入口すぐのベンチに、いつも腰を下ろしていた。

手には杖をしっかりと握っている。
これがないと、どうも重心が傾いてしまっていけないね。

転げたりなんかしたら、ご近所さんに迷惑をかけてしまうから、外に出る時には必ず持ち歩くようにしている。

杖には大きな字で「後藤サエ」とシールが貼ってある。

一度お散歩から帰ろうとした途中、帰り道が分からなくなり、息子たちの家に帰れなくなってしまったことがあったのだ。
それからは、お嫁さんがこの「お名前シール」を貼ってくれている。

私は今、息子たちの家に住まわせてもらっている。

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私は結婚するまで結局、社会の歯車になれなかった。

一度で良いから、ちゃんと自立した生活がしてみたかったわね。

自分の稼いだお金で、好きな物を買う。
育ててくれた、祖父母に恩返しをする。

でも、今となっては無いものねだりね。

「苦しみはその人にしか分からない」ほんとその通りだわ。
何を「苦しみ」と捉えるかなんて人それぞれ。

「社会の歯車」って言うと、拘束された印象で嫌う人もいるんじゃないかしら。
でも、私はそんな歯車になりたかったのよ。
何処にでもしっくり馴染むような、そんな素朴な歯車に……。

でも、私の存在は歪に描かれてしまった。
歪な形をした歯車。
それが私。
そのせいで、社会に無理やり溶け込もうとすると、
身体が悲鳴をあげた。
無理にねじ込むモノじゃないわね。
周りの人まで傷つけてしまう。

そんな私でも、自分らしくここまで生きて来れたのは、周りの人達が支えてくれたお陰ね。

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だから当時の日常は、写真を撮ることで成り立っていた。

よく行ったのはあの公園かしら。

私のお気に入りの公園。
季節ごとに色々なお花が咲くから、いつ行っても飽きないのよね。

そう言えば、あの人と出会ったのもあの公園だったわ。

物静かな人で、いつも難しそうな本を読んでいた。
いつもブラックコーヒーを片手に、少し木陰になる場所を選んで過ごしていたわ。

私としては、スーツをピシッと着こなしていて、最初は何となく苦手だった。
けれども、今ではその人が私の夫なのよね。
不思議なものだわ。

そんなあの人も二年前に逝ってしまった。

私は三十歳の時に結婚し、二人の子供に恵まれた。
優しい子供たちだけど、性格はバラバラ。

長男の方は基本的にのんびりとしていて、何となく私に似ているような気がする。

逆に長女は、キビキビとよく働く子。
今は都会の方に出て、元気にやっているみたい。
この性格は一体誰に似たんだろうね。

やはり夫かしら。
あの人は仕事が出来る人だったものね。

夫と子どもたちが、私を「妻」や「お母さん」としての役割をくれ、この社会に噛み合う歯車の一部にしてくれた。

ご近所付き合いや、ママ友って輪は相変わらず苦手だった。精一杯頑張ったつもりだけど、上手く出来たか分からない。
けれども精神的に疲れ果てた時こそ、セイと過ごした日々を思い出した。

「逃げても良い」そう自分に言い聞かせる。
頑張りたい時こそ、そう心に言い聞かせるの。

「頑張らなきゃ」と思うよりは、効果のあるおまじないだったわ。

そんな私だから、家族にも迷惑をかけた。
でも、みんな助けてくれたわ。
ただ私は心配だった。

「子どもたちには負担だったんじゃないか」
「私のせいで、過去の私と同じような苦しみが、彼らを襲うんじゃないか」って。

でも、そんな心配は必要なかったみたい。

二人は立派に成長して、今や孫にまで会わせてくれた。

私は何度「生きていてよかった」と思ったことか。
昔の自分に、言い聞かせてやりたい。

「私も生きたものね……」
私は桜を見ながら、ポツリと呟いた。