「あの声……、誰だったんだろう……」

意識が段々と朦朧としていく。

「サナ……、サナ!!」

水中でも届いた微かな声。

ハッと見上げると水面に人影が写り、ジャポンっと大きな音を立てた。

空気の泡で目の前が真っ白になる。

そして泡の中から、暖かい光に包まれた手が目の前に差し出された。

同時に荒くなった水流で、首からぶら下がった何かが揺れている。

「指輪……?」
よく見ると、雪の結晶が刻まれていた。

「私があげた指輪……!」

その指輪をネックレスにして身に付けている人は、サナには一人しか思い浮かばなかった。

その手を力強く掴んだ瞬間、池の水はパッと瑞々しく弾け飛び、同時にサナは大粒の涙をこぼしながら姉の胸に飛び込んでいた。

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ピピピピッ……ピピピピッ……

時計のアラームで目を覚ます。

何か良い夢でもみたのだろうか、今日は目覚めも良く、朝から気分が良い。

名前は、松川サエ。
現在、写真の趣味を活かしカメラマンとして生計を立てている……と、カッコよく言えたら良かったが、やはり人生はそんなに甘くない。

正直に言うと今は無職。

ここ数年、短期のアルバイトを単発でやっていたりもしたが、不器用で職場に慣れるまでにも時間が掛かる私には、かなり心理的負担が大きかった。

案の定昨年、私は再び体調を崩した。
やはり一度壊れたものは、そう簡単には戻らないのだ。頭では分かっていても、体が思うように動いてくれない。
経験したことのある、あの葛藤が再び舞い戻ってきていた。

苦しくて、悔しくて、情けなくて……何度も泣いた。
泣けるようになっただけまだマシだが、一人で耐えるのは思った以上に辛かった。

それでも、いつも頬を伝う涙は温かかった。
死にたい気持ちに駆られて、泣きじゃくった時でさえ、温かいのだ。

泣く度に思う。

まだ生きているのだと……。

育てて貰った両親や祖父母には悪いが、もう自分を見失いたくなかった。
壊れたくない。
私が私として生きれる時間を守りたかった。

事情を話したら、おばあちゃんは理解してくれた。

優しい声色で
「サエちゃん、今の方がええ顔しとる。おばあちゃん、こっちの方が好きよ。サエちゃんが元気なら、それでええ」
と励ますように言ってくれた。

私は胸が少し苦しくなった。

それでも私は思ってしまう。

「自分らしく生きたい」と。

劣等感や罪悪感が抜けた訳では無い。

ただ、それだけを抱えて生き続けるのは、天国の両親も可哀そうだと思い始めたのだ。

天国で両親に再会した時「生んでくれてありがとう」と言えるように、私はなるべく笑える日々を過ごしたい。

「ちゃんと自分のことを守れるようになってる……」

私は窓からゆっくり動く雲を眺めながら呟いた。

目覚めたばかりで、光の眩しさに若干目を細める。

「何とか一人でやっていけてるよ」

私はテレビの横に飾ってある一枚の写真に目を移した。

セーラー服を着た女の子。
私が撮ったにしては珍しい、人物がメインの写真だ。
この子の名前はセイ。

振り返った瞬間を写し、被写体のアンニュイな雰囲気が良い感じに撮れている。

我ながら良い写真だと思うが、これは被写体の力があってこそな気がしている。
普段写真写りの悪い私は、羨ましくて仕方がない。

「あんたはモデルか!」と、今でもツッコミたくなる。

ふとそこに寂しく残された、ジンベエザメのぬいぐるみと目が合った。

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写真の趣味は、意外にもあれからずっと続いている。

最近は、自分が撮った写真をSNSにアップすることにハマっている。

今はこれが唯一、私が社会と繋がれる手段だった。

撮った写真を投稿すると、そこに「いいね」やコメントが貰えることがある。

それが何より嬉しく、密かな今の楽しみとなっていた。

「ふわぁ~、そろそろちゃんと起きるか」
私は大きく伸びをする。

顔洗って、歯磨きをして……
そう言えば冷凍していた食パンってまだ残りがあったかな?

そんなことを思いながら、私は布団からノッソリと這い出る。

布団は、相変わらず三つ折りにして押入れにしまう。

そして、予定通り洗面所へ。

リビングに戻ってきてからは
「あっ、いけない!いけない」
と呟き、髪を簡単に手櫛で整えてあるところに向かう。

仏壇の前。

私は静かに手を合わせた。
「お父さん、お母さん。おはよう。今日は良い天気なのよ。お布団が外に干せるかも。今日も一日天国から見守っててね」

朝の挨拶と、いつものお祈り。

変わったことは何一つ無いけれど、体調が悪い時には出来ない時もある。

だからきちんと起きて、お祈りが出来たこの貴重な瞬間を心の中で噛みしめて今日を始める。

「ほぉれじゃあ、朝ご飯の準備しますかぁ」
私は欠伸をしながら、台所に向かった。

人生の一部を担う今日という日。

無くてはならない、一日の始まりだ。