「セイと出会えたのって、妹さんのおかげだったりするのかな?」

セイがひとしきり泣いて落ち着いた頃、私は少し気になって言葉にしてみた。

「どういうこと?」

「だって、こんなのタイミングが良すぎるじゃない。私だってこれでも、二十四年生きているのよ!単に幸せに生きる姿を見たいなら、何もこんな最悪なタイミングでなくても良かったんじゃないかと思って……」

「確かに」
セイは不思議そうに、顎に手を当てている。
いつの間にか正座から胡坐に戻っていた。

「死を選択しそうになる私を見かねて、きっと妹さんがセイを呼んでくれたんだよ。『助けて』って」

セイは視線を落とす。

「妹さんに感謝しなきゃだね……」
私はそう言いながら、ゆっくりと目を伏せた。

嘘か本当か、真実は分からない。

しかし、隣を見るとセイは微笑んでいた。

私はサナさんの存在を一緒に共有出来たような気がして、何だか嬉しかった。

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全てを話し終え、お互い表情は晴れやかだった。

先程までの重苦しかった空気が嘘のように軽くなっている。
すると

グゥゥゥ……

私は慌ててバッとお腹を押さえた。

セイは、もちろん大笑い。

「だって、晩御飯食べて無かったんだもん!なんか色々落ち着いたら、お腹空いちゃった」

私は、この恥を正当化すように御託を並べた。

「そうだったね。なんか食べなよ。カレーは……。今からじゃ作れないかもだけど」

申し訳なさそうにセイは言う。

この時時刻は既に、夜の九時に近かった。

「そうだね、多分インスタントのラーメンがあったから、それにしよっかな!」

暫くラーメンの香りをさせながら、たわいもない話をしていた。

ただその横で段々とセイの目元が潤み始めていることに、この時の私は気づいていなかった。

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私は思い立ったように「あっ!」と声を上げた。

「十時から、この前セイが見たいって言ってたドラマがあるよ!録画しとく?」

私は何げなくセイに尋ねた。
いつもならテンポ良く返事が返ってきても良いはずなのだが、何故か今日は返事が返って来ない。

「セイ?」

「あっ、ごめん。今日は録画……しなくて大丈夫だよ」

「えー。このまま起きてリアルタイムで見るの?じゃあ、先にお風呂入ってこようかなぁ」
そう言って、私はお風呂に入る準備を始めた。

ゆるっと立ち上がり、私はセイに背を向けて洗面所に歩き始める。

すると、私の背後から呼び止める声が……。

「サエ!」

「ん?どーしたの?」
私は振り返り、どうしたのかと小首を傾げた。

「あー、えっと!こういう時って何て言ったら良いんだろっ」

セイはそう言いながら、両手で頭をグシャグシャーとしていた。

その後セイは時計を見たり、辺りを見回したりと落ち着かない。

「なに、どうしたの?」

私はそんなセイと、一瞬目があった。
少し充血して潤んだ目。

「ねぇ、セイ。ちょっとこっち向いて」

「あー、大丈夫、大丈夫!」
顔を手で軽く隠しながら、セイは私から逃げるように歩き回る。

私が心配していると、私の背後に滑り込みそこで足を止めた。

謎の沈黙がこの部屋に漂う。

「このまま聞いてね」
セイが静かに言う。

「うん」

「私がサエと過ごせるのはここまでなのよ。だから……さ、お別れしなきゃ」

「えっ!」
私はバッと振り向く。

するとセイもこちらを向いていた。

セイは寂しげに笑っている。

「振り向くと思った」

そう意地悪そうに言うセイだったが、目元からは優しさが溢れ、逆にそれが切なさを醸し出していた。

私が戸惑っていると、セイの足元から光の粒が湧き始めた。
真っ白でも無く温かみのある淡い光。

「何これ……どうなってるの⁉」

私は驚いて、その場に立ち尽くす。

セイは落ち着いた声でこう言った。

「私はサエが、今を幸せに生きていることが嬉しい。だから、私がここにいる理由はもう無くなったんだよ」

言い終わるとニコッと寂しげに微笑んだ。
その後「それにね……」と、セイは話を続ける。

「確かに最初は転生した妹のためだったけど、今はサエの幸せを心から願ってる」

セイは私の顔をしっかりと見て、確信するように頷いた。

「うん。出会った頃の表情と大違いね!纏う雰囲気も全然違う。サエはもう、誰かに振り回されちゃうような人じゃないよ。自分を信じて、自分の道を歩める」
そう言って目尻を下げた。

時間の経過と共に、セイの身体はどんどん光に粒に包まれていく。

既に腰の辺りまで光に包まれていた。

「待って!もしかして消えちゃうの⁉もう会えないの⁉」

私の言葉に、セイはゆっくりと目を閉じコクンッと頷いた。

「待って、そんな急すぎるよ!」

鎖……。

この瞬間、私の脳裏に大事なことが過った。

もし本当に消えてしまうのなら、今聞かなければ絶対に後悔する。

「ねぇ、セイ!これが最後なら聞いて欲しいことがあるの!私にまだ言えて無いことがあるんじゃない?私、セイが傷ついたままお別れするなんて嫌だよ。私もセイを救いたいの!」

「何?どうしたの?」

セイは若干驚きながらも、落ち着かせるように優しく宥めた。

「おばあちゃんが言ってた。初めて病院でセイに会った時、見えたって。セイの心には鎖が複雑に絡み合ってる。こんなの絶対に苦しいはずだって」

セイは、静かに聞いていた。
そして、当てもなく周りを見渡しこう言った。

「サエのおばあちゃん、すごい能力だね。そのせいで苦労してきたこともいっぱいあるだろうに」

「はぐらかさないで!」

「……。ねぇサエ。サエには、その鎖とやらは見えるの?」

「ううん、私には見えない。だから心配なの!」

「そっか」
セイは何故か少し安心したように目を伏せた。

「多分ね、もうその鎖は解けてると思う」

「えっ」

「今までの過去の話や、ここに来た理由までサエはしっかり受け止めてくれたでしょ?それで十分私の心は救われてるよ。私にも鎖は見えないからわかんないけど、ここまでしてもらって解けてない訳がない」

「ほんと?」

「うん、ほんと。だから大丈夫!安心して」

セイはいつもの堂々とした様子でそう言った。

「サエ、本当にありがとう。私の願いを叶えてくれて。そして、私のエゴを許してくれて」
そう言いながら、セイはサエの頬にゆっくりと手添えた。

実際には掴めない手。

それでも私はその手を両手で握るようにして言った。

「本当に行っちゃうの?」

「そんな名残惜しそうな目で見ないでよ。最初はあんなに警戒してた癖に」
とセイは笑う。

「だって……」

振り返ればこの約一年、色々な思い出が蘇る。

出会った当初、私の心はボロボロだった。
そんな時に突然やって来たセイ。
始めから家にズカズカと入って来て図々しい奴だと思ったけれど、いつしかセイの「おかえり」が当たり前になっていた。
もう聞けないんだ、あの「おかえり」も。
いつもの日常をセイがくれて、生きることが当たり前になっていた。
もしまた生きるのが恐くなったら、どうしよう……。
私は、セイの顔を見つめる。
セイは、ん?と視線に気づきこちらを見る。
その優しい眼差しからは、信頼の色が滲み出ていた。
大丈夫だ、きっと。
私たちにしかない、この不思議な思い出をお守りにすれば良い。

私は別れの覚悟を決めた。

「セイのおかげで私は今ここに居る。生きて、得られる幸せに気づかせてくれた。きっとセイじゃなきゃダメだった。出会えて本当に良かった……」

私の声は震えていた。
一生懸命涙を堪えようと、歯を食いしばったがそんなの無理だった。

そんな様子に釣られてか、セイの目も潤んでいる。

セイは一瞬フッと足元に視線を落としたが、再び顔を上げ笑顔で言った。

「私も。サエに出会えて良かったよ」

珍しく震えるセイの声。

もうほとんど、セイの身体は光に包まれている。

心なしか光の粒が細かくなっているように感じた。

(お姉ちゃん……。ありがとう)

急にセイが辺りをキョロキョロ見渡し始めた。

「セイ、どうかしたの?」
セイは明らかに動揺していた。

「サエ、今なんか言った?」

「えっ。何も言ってないよ」

「……。そっか」

「何か聞こえたの?」

「いや。『お姉ちゃん、ありがとう』って聞こえた気がして。まぁ……。そんなの気のせいだね」

そう誤魔化そうとするセイを、私は優しく制した。

「ううん、多分気のせいなんかじゃないよ。今、私の胸の辺りがじんわり温かいの。悲しいはずのに、何故か心が満たされたような感覚が拭えない」

私はその温かみを感じながら手のひらを胸に当てる。

手のひらに届く鼓動がまるで何かを伝えたがっているかのようだった。

よく見ると、セイが私の手元をジーッと見ている。

「どうしたの?」

「ねぇ、なんか光ってない?」

私の胸の辺り。

手を添えている辺りをよく見ると、確かにうっすらと白く光っているように見えた。

「そういえば、最初私の家を見つけたのは、光が目印だったって言ってなかった?」

セイはハッとした表情を見せた。

「確かに、この丘のこの家が光っていて……。もし、サナが本当に私を呼んだのだとしたら、この光はつまり妹と……」

「リンクしてるんじゃないかな?」
私はセイが言いにくそうにしている言葉を補足する。

「きっと妹さんの感謝は本当だよ。セイの思いは伝わっている。生まれ変わりの私が保証する!」

私は自信を持ってそう伝えた。

この事実がセイの救いになって欲しい。

そう心から願った。

セイは暫く鼻をすすっていたが、涙を拭って明るく言った。

「ありがとう。これで心おきなく、向こうの世界に行けるわ!」

そう言った瞬間光の粒は湧きあがり、セイの身体全体を包んだ。

私はその光が眩しすぎて、反射的に目を閉じて顔を逸らしてしまった。

そんな私の耳に、セイは最後のメッセージを残していった。

「未来は、きっと明るいはずだよ」

遠のくように小さくなる声。
でも確かにセイの声だった。

光の粒が全て消えた時、そこにセイの姿はもう無かった。

もうこの部屋には一人だった。

可愛くジンベエザメのぬいぐるみを抱く彼女はいない。
ゴロゴロしながら漫画を読んでいる姿を見ることもない。
ちょっとむかつく澄ました顔も、
意地悪そうに微笑む顔も、
無邪気に大きく口を開けて笑う顔も……もう見ることは出来ない。

私は久しぶりに声を上げて泣いた。

時刻は現在夜の十時。

私はこの日、明け方まで泣き続けた。

途中少し眠った気もするが、起きたら体はとてもだるかった。

瞼が腫れている感覚を味わいながら目を開けると、カーテンから差し込む朝日の光が目に飛び込んだ。

眩しい……。

そう感じた瞬間昨夜の記憶がぼんやりと思い出された。

「未来は、きっと明るいはずだよ」
セイが最後に残した言葉だ。

そんなキザな言葉でもさえも、思い出すと結局涙が零れるのだった。

「あーあ。こんなに泣いてるのは私だけなんだろうなぁ」

そう言いながら、目の前の布団に体を埋める。

「存在感ありすぎて、生身の人間として悔しいわ……」

そんなことを思いながら、自分の酷い顔を確認するために、まずは一旦洗面所に向かう。

布団からモゾモゾ出て、ユラユラと歩いた。

この時私はあの言葉を、単なる励ましだと思い込んでいた。