私は、写真の趣味を復活させてから定期的に色々な写真を撮るようになっていた。

最初こそカメラを持って出かけることが楽しく、電車に乗って少し一人旅などしていた。

そこでの綺麗な景色を写真に収めたりしていたが、最近はそんなに遠出はしなくなっていた。

近場を散歩しながら目に付いたものを撮る。

これが何となく自分にしっくり合い、飾らない素の写真を収めるようになっていた。

時間をかけてじっくりと、一つの写真と向き合う。

自分が満足いくまで、いつまでもカメラ越しに被写体を眺めていた。

長い時には、一時間程居座ることもある。

帰りが遅くなると、セイがよく心配をしたものだ。

良い感じに撮れたと思った写真は、今も入院しているおばあちゃんに見せに行くこともある。

これから秋の色が濃くなってくると、彩り豊かな写真が撮れそうだとワクワクしてくるのだった。

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ある時、道端に咲いているタンポポに目が止まった。

コンクリートの割れ目から生えた、一輪のタンポポ。

とても狭い隙間から、顔を出している。

同じ仲間が、ここに集う余裕は無さそうだった。

咲いてみたらこんな場所。
このタンポポも「こんなはずじゃなかったのに」って思ってたりするのかな……。

私はそんなことを想像しながら、カメラを構えた。

勝手なシンパシーが、私の身体を動かしたのだった。

私は肩にかけていた小さな鞄をヨッと腰の後ろに回してしゃがみ込み、カメラ越しにタンポポと目線を合わせた。

すると、先程まで想像していた印象とは全く異なる景色が、そこには広がっていた。

地面に覆い被さるようにして生えたギザギザの葉っぱは、両手を目一杯広げるようにして光を浴びている。
瑞々しくハリのある茎は、凛とした佇まいを見せていた。
咲いている花はライオンの鬣のように勇ましく堂々と、タンポポとしての顔を務めていた。

「……」
小さな衝撃が走る。

私は暫くカメラを構えたまま、固まっていた。

「私は何を期待していたんだろう」

生命力みなぎるタンポポを前に、私はポツリと呟いた。

きっと、このタンポポはここで生まれたことに後悔などしていない。
確かに生きにくい環境ではあるだろう。
もしかしたら、野原でのびのびと生きる未来を描いていたかもしれない。
それでもこの子はただ貪欲に、生きることを望んでいた。

「かっこいい……」

私は下を向いて、静かに笑った。

自分と同じように苦しんでいるのではないかと、勝手に仲間意識を持った自分が恥ずかしく思えたのだった。

萎れる選択肢もあったタンポポ。

それでもこの子は、「生」を自らの姿で体現していた。

人は、生まれる場所も性格も皆違う。
自分が劣等だと感じる運命もあるだろう。
だからと言って、例え環境(場所+性格)を優越的な条件に揃えたとしても、やはりクローンのように同じ人間にはなれないのだ。

個性として、私たちが生きてこの身で示せるのは、
価値観の代名詞とも言われる「生き様」のみ。

私はこの子が教えてくれた気がした。
「自分を生きろ」と。

私は何かが吹っ切れた気がして、「あーあ!」と天を見上げた。

そして再度カメラを構え直し、ピントを合わせた。

カシャッ

過酷な地理に咲く、一輪のタンポポ。
スポットライトに照らされるが如く太陽の光を浴びて、その姿は輝きをみせていた。

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「ただいまー!」
私は、いつも通り帰宅した。

もう日は暮れ始めており、時計は五時を指していた。

「おかえりー」
リビングから、いつものセイの声が聞こえる。

私は廊下を抜けリビングに向かった。

「今日も遅かったね」
セイは、少し意地悪そうに言う。

「ごめん、ごめん。でもね、今日は良い写真が撮れたよ!」

私は興奮冷めやまず、若干早口になってしまった。

セイは遠くから顔を上げて
「良かったね」
と笑顔で言ってくれた。

上着を脱ぎながら、セイの元へ歩みを進める。

セイは、丁度洗濯物を畳んでくれていたようだ。

「手伝うよ」と声をかけたが、
「もう少しだから大丈夫」と優しく断られた。

セイが畳んでくれている間、私は今日の写真を見返す。

そして、セイは全ての洗濯物を畳み終わると
「何撮ったの?」
と私に聞きに来た。

「洗濯物ありがとね。えっとねー、この写真!」

私はそう言ってカメラを渡し、先程の写真を見せた。

すると、セイはタンポポの写真をジーッと見つめて、動かなくなってしまった。

セイ?
私はそんなセイの様子に、何故か変な胸騒ぎがするのだった。

「どうしたの?なんか気になる所でもあった?」

「いや、よく撮れてんじゃん。これ、絶対飾りなよ」

セイは相変わらず、カメラから目を離さない。

「そんなに褒めるなんて珍しいじゃん」

私はなんだか照れ臭くなってしまった。

気を取り直して、私は晩御飯の準備に取り掛かる。

その時私はセイの隣を丁度横切った。

その際、一瞬見えたセイの表情。
……ん?なんか良いことでもあったのかな?

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今日の夕飯は、カレーにすると決めていた。

野菜の下処理をしながら、今日の出来事をセイに聞かせる。

「私は、今まで何を気にしていたんだろうね。誰にどう思われようと、勝手に生きていれば良いのに。周りに振り回されているのが、馬鹿らしくなっちゃった。まさか、道端のタンポポに教えられるなんて思いもしなかったよ」

私はそう口にしながら、手元はジャガイモの皮を剥いている。

「でもね、心が歪んでいる時に見たら、この感動は得られなかったと思うの。今自分の目に写っているもの。目の前で起きている出来事。それらを純粋に、正しく感じ取ることが出来るって『なんて幸せなんだろう』って思った。セイと出会った当初、私の目には歪んだフィルターが付いていた気がする。素直に綺麗なモノ、素敵なモノを目に映すことが出来なかった。当時の私が今日のタンポポを見ても、何も感じなかったと思う。私、本当に生きていて良かった」

最後の言葉を発した瞬間、私の目の端でセイの肩が一瞬ピクッと、僅かに動いた気がした。

「そう思えるのは、セイのおかげだね。次はどんな景色に出会えるのか、今はそれが楽しみで仕方がない。あんなに、この世から消えてしまいたかったのに……。今や、死ぬのが勿体なく感じちゃってる」

私は刃物を持つ手元に集中したまま、苦笑する。

手元はニンジンの皮剥きに移行していた。
先程皮を剥いたジャガイモは、大き目に切って水にさらしてある。

「生きる未来を楽しみに思えるって、こんなに幸せなことなんだね」
私は独り言のように呟いた。

そうこうしているうちに下ごしらえは一通り完了し、私はタオルで手を拭いた。

そして、顔を上げてリビングの方へ目を向ける。

セイはまだ、カメラを持ったまま固まっていた。

本当にどうしちゃったんだろう。

「セイ?」
そう呼ばれて顔をこちらに向けたセイの目からは、一筋の涙が零れていた。

「え⁉セイ⁉どうしたの!」
私は慌ててセイの元へ駆け寄る。

セイは何かを訴えるかのような、悲しみの表情を浮かべていた。

そして、やや俯いて一言こう言った。

「ごめん、私……。サエに嘘ついてた」

「え?」