次の日、私は一人で病院に向かった。

おばあちゃんの入院に必要な、タオルや雑貨を持って行くためだ。

今日は生憎の雨だった。

お見舞いのお花も持って行きたかったため、大きめの傘で出かけた。

コンコンコン
「はーい」
ガラガラガラ……

「おばあちゃん、具合はどう?」

「調子良いわよ!今日は朝からリハビリのお兄さんが来てくれてね、体一杯動かしちゃった」

腰を労わりながらも、元気な様子を見せてくれる。

「良かった。そう言えば、おじいちゃん心配してるんじゃない?」

「もー何が、あの人は自分の好きな将棋の事で頭が一杯なのよ!」

「そんなことはないと思うけど……。いや、まさか」

「そのまさかよ」
間髪入れずにピシャリと言い切った。

しかし、おばあちゃん自身はそれ程気にしていないようだった。

おじいちゃんの方は、認知症の症状が結構ひどくなってきている。

この前は、トイレの位置が分からなくなって施設内で迷子になったそうだ。

色々な事が分からなくなっていく様子を見るのは、おばあちゃんにとってもショックなことだろう。

「きっと、私が入院しているのも忘れちゃってるわ」
と時折悲し気な笑みを浮かべるのだった。

そんな状況でも、
将棋のことだけは活き活きと語るおじいちゃん。

そんな姿に、ある意味おばあちゃんは元気をもらっているのかもしれない。

私は持って来たお花をベット脇に飾った。

「わざわざありがとね。やっぱりお花があると、お部屋が明るくなって良いわ」

おばあちゃんは、思った以上に喜んでくれた。

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「そうだ、もう一つ聞きたかったことがあるんだけど」

「何?どうしたの?あっ、タオルありがと」

「この前お見舞いに来た時、私と一緒に居た人って……」

「あぁ、あの綺麗な女の子?」

「やっぱり見えてるじゃない!」

「え、あっ、やっぱり幽霊さんなのね。触れない方が良いかと思ったんけど、目が合っちゃったもんだから……」
おばあちゃんは苦笑いしている。

「もぉ、二人して私を騙すんだからー」

私はベット柵に両手をかけてうなだれる。

「騙すつもりは無かったわよ!ただ、サエちゃんは昔から幽霊とか苦手だったから」

そう言いながら、アワアワと手を動かしている。

「いやまぁ、確かに。それはそうなんだけど」

誤魔化していたのは、私のことを思ってのことだったらしい。

おばあちゃんはごめんね、
と許して欲しそうな目をこちらに向けていた。

おばあちゃんには失礼かもしれないが、目で訴えるその姿は可愛いチワワのようだった。

「今日、あの子は来てないのね」

「あぁ、セイは雨の日外に出られないのよ。体が水をはじいちゃって、怪奇現象になっちゃうから」

「あら、それは大変ね」

「んー、大変なのかな?殆ど天気関係無く家にいるし。今日なんか、朝から昨日買ったぬいぐるみをクッションにして漫画読んでるよ」

「紙袋からはみ出ていた、あの大きなぬいぐるみは、セイちゃんって女の子のリクエストだったのね」

おばあちゃんは、微笑ましそうに笑った。
セイの顔を思い出しているようだった。

「あの子とお話してみたかったわ」

「えー、何話すのよ」
私は怪訝な顔をしながら、洗濯物を畳む。

「ちょっと気になることがあってね。でも、こういうのは聞かない方が良いのかしら」

おばあちゃんは真剣に悩んでいた。
何がそんなに気になることでもあったのだろう。

「気になることって何よ。私にだったら気軽に言ってみても良いんじゃない?」

おばあちゃんは暫く口元に手を当てて、フッと顔を上げた。
話す覚悟を決めたようだった。

「あの子、過去に何かあったのかしら」

「何かって、セイに?交通事故で亡くなったってことまでは聞いてる」

「あらそうなの、それはお気の毒に。サエちゃんはどうして、あの子と出会ったの?」

「急にやって来たのよ。ついでに家にまで押し入って来て、本当に大変だったんだから」

私はため息をつきながら言う。
でも、今思えば懐かしい思い出だった。

「でもサエちゃんがずっと気にかけてるってことは、今はあの子の存在がとても大切なんでしょ?」

そう。
改めて言われると照れるが、セイは私にとって命の恩人なのだ。

「うん、私が辛い時助けてくれたの」

「そう。じゃあ、今度はサエちゃんが助けてあげる番かもね」

「え。どういうこと?」

セイを元の世界に戻してあげたい気持ちもあるし、過去が気にならない訳ではないけど、そんなに助けが必要な状態なのだろうか。

家でくつろぐ姿からは、そこまでの危機感は全く感じられず、最近では居るのが当たり前になってきているくらいだ。

「ねぇ、おばあちゃん。助けてあげるって、どういうこと?」

おばあちゃんは暫く考え込んで、こう口にした。

「あの子は今も何かに苦しんでるよ」

「苦しんでる?」

「なんて言い表したら良いんだろうね。心が鎖でがんじがらめになっている、そんな形が見えるんだよ。自分で巻きつけたものなのか、誰かにそうされたのか分からないけど。まるで呪いのようだわ」

私は暫く言葉を失っていた。
というか、色々と理解が追い付いていなかった。

「えっ、おばあちゃん。ごめん、まず確認したいんだけど、これは何か特殊な能力なの?」

「んー、特殊と言えば特殊なのかもね。何となくその人の心の形が分かるのよ」

最近、超異次元なイレギュラーが身の回りで起こりすぎているのは気のせいだろうか。

私は暫く混乱していた。

しかし当の本人は、何でもない顔をしている。

かなり今日は強い雨が降っている。
そのせいで外も暗く、ガラス窓には雨と混ざって私が写り込んでいた。
見えにくいけど、見えている。
こんな感じなのかな。

「おばあちゃん、ごめん。見えるって感覚は理解出来なかったけど、ただセイは今苦しんでるってことは間違いないんだよね?」

「そうだね、あれは苦しいと思うよ」

「じゃあ、早く聞いて解決してあげなきゃ」

「ちょっと待って。焦ってはいけないよ。人の心を急かすのは、時に相手を余計に苦しめてしまうことがあるからね」

「じゃあ、どうすれば」

私はセイを救いたかった。
私の心を救ってくれたみたいに。

「まずは、どうしてあの鎖が巻き付いたのかを考えてあげると良いかもしれないね。結構複雑に絡まっているから、理由は必ずあるはずだよ」

心に……呪い。
セイがそんな状態だなんて思いもしなかった。

そもそもセイは、どうしてここに来なければいけなかったのか。
やっぱりそれが、セイの鎖を解くヒントな気がする。

「おばあちゃん、もう一つ聞いても良い?」

「ん?なんだい?」

「セイの心にある鎖、放っておいたらどうなるの?」

「……。放っておいたからといって、特別何か起こるってことはないと思うわ。むしろ……」

「むしろ?」

「本人は苦しい自覚すらないんじゃないかしら。心はもちろん悲鳴をあげていると思うわ。でも、その状態が日常と化していたとしたら、本人自身もその苦しみに気づけていない可能性がある」

「そんな……」

例え無自覚だとしても、セイの心は縛られている。

健全な精神状態では無いだろう。

しかし、自覚が無い苦しみを、私はどうやって受け止めてあげれば良いのだろう。

「おばあちゃんは今まで、大切な人が苦しんでいると分かったら、どうしてあげていたの?」

「ただひたすらに見守ってあげたわ。近しい間柄ほど、解決してあげたい気持ちが湧くのは分かるの。でもね、それが先走っちゃうと相手を傷つけてしまうこともあるのよ」

「どうして?」

「さっき言ったみたいに、自覚が無い場合もあるでしょ?本人が表に出していない以上、それはつまり見られたくない部分でもあるのよ。だからこそ、そこを無理やりこじ開けてしまった場合、良い方向に行った試しが無いわ」
おばあちゃんは、悲しそうに俯いた。

「わかった。私も暫くセイのこと見守ってみる」

「ごめんね。私が伝えたばかりに、変に気を負わせることになっちゃったかしら」

「んーん、そんなこと無い。私は知れて良かった。おばちゃんも放って置けなかったから、私に言うって決めたんでしょ?」

「そうね、サエちゃんがあの子には必要だと思ったから、ついね……」

「ありがとう。任せて……」

おばあちゃんは優しく微笑んだ。

「長居してごめんね。また来るよ」

「ええ、雨が強くなってきているみたいだから、気を付けて帰るんだよ」

若干横殴りぎみの雨が、強く窓を打っている。

雷鳴もやや遠くでしている気がした。

もしかしたら、この後かなりの量の雨が降るのかもしれない。

私は足早に病院を出て、急いで帰宅した。

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「ただいまー」

「おかえり。おばあちゃん、具合どうだった?」

「うん、大丈夫そう。痛みがある割には元気そうだったよ。リハビリも始まったみたい。心配してくれてありがとね」

「そっか、よかった」
セイは少し顔の緊張がほどけ、安堵を見せた。

「あっ、お皿洗ってくれたの?」

「うん」

「ありがとね」

セイからは、「はーい」と軽い返事が返ってきた。

「ちょっと手とか洗ってくる」

「いってらー」

私は洗面所で、今日の話を考えていた。

鏡を見ながら、自分の胸に手を当ててみる。
ここにある鎖。
何かのきっかけで、解けてくれたりしないだろうか。

厄介なのは、鎖が解けた瞬間、自分では確認のしようが無いことだ。

「私にも見えればな……」
私はポツリと呟く。

色々一人で考えていると、頭がショートしそうになってしまった。

「あぁぁぁぁ」

「どうしたの⁉」
セイはびっくりした様子でこちらに駆け付けてきた。

「あ、いや、ごめん。何でもない」

セイは不思議そうに小首を傾げる。

一通り私にケガなどが無いかを確認すると、いつもの様子でまた背を向けて去っていった。

そんな後ろ姿に向かって、私はつい声をかけてしまった。

「セイは……今元気?」

物凄くぎこちなく聞いてしまった。
絶対に不自然だ。
何か言い訳を考えなければ。

「なんかさっきから変だよ。外雨だったから、風邪でも引いたんじゃない?体温計持って来ようか?」

「いや、大丈夫です。ありがとう」
今はセイの優しさが心に痛い。

暫くセイは、頭の上に疑問符を乗っけていた。

やはり、今の私に出来ることは見守ることしか無いみたいだ。

それから暫くセイと暮らしているが、大きな変化は特に何も起こらない。

私はある時セイに何げなく聞いてみたことがある。

「ねぇ、セイ。この世界に来てどれくらい?もう一年以上は経ってるよね?」

「んーっと、サエと出会ったのが去年の八月だから、そうだね一年と一ヵ月くらいかな」

「こんだけ時間が経っちゃうと、これからどうなっていくのか不安になったりしない?」

「んー、まぁ焦っても仕方がないしね。気長に行くよ」

こんな具合でセイには軽くかわされた。

セイ自身がそれ程不安でも無いのなら、もう少し様子を見ますか……。