ピピピピッ……ピピピピッ……

時計のアラームで目を覚ます。

直前まで悪い夢でも見ていたのか、何だか口は苦く、気分も最悪だった。

布団を三つ折りにし、重い腰をあげ洗面所へ向かう。
歩きながら長い髪を束ね、歯磨きをして、顔を洗う。

「朝ご飯でも食べるか」

冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップへ注ぐ。
冷凍していた食パンをレンジで解凍し、その後トースターで焼く。

先に牛乳を入れたコップを手にし、机に向かった。
ゴクッと一口。
冷たい牛乳が、喉に通ると心地よい。

のんびり朝ご飯を食べていると、ふと時計に目が止まった。
八時四十六分……。
いつもなら朝の朝礼が始まってる時間……。

今日は日曜日で仕事もお休みだが、ふとそんなことを考え、胸のあたりが一瞬重たくなった。

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大学を卒業して、まだ半年も経たない八月の半ば。

うだるような暑さが、飽きもせずに続いている。

ヒールを履き、大学生の時とは違う様相で、目まぐるしい日々を送っていた。
足腰のラインが目立つタイトなスカートには、未だに慣れない。

私が住んでいるのは海の近い、のどかな街。

私の両親は早くに事故で他界した。

当時三歳だった私は、そのまま母方の祖父母に引き取られ育ててもらった。

二十年経った今も私は、祖父母が残してくれた一軒家に住んでいる。

表札には「佐藤」とあるが、これは母の旧姓である。
だから私の苗字は「佐藤」ではなく、「松川」。

松川サエが私の名前である。
現在二十二歳。

この家自体は、築五十年くらいかな?
やや丘の上にあり、大きな海が見渡せる。

大学は近くを選んだため、特に家から出る必要はなかった。

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家の向かいには、小さな古本屋さんがある。

そこの店主である梶本さんには、昔から色々とお世話になった。

両親が居ない私を心配して、よく気にかけてくれた。

学校帰りにはいつも「おかえり」と声をかけてくれる。

多くは語らない人だが、とても心の優しい人なのだ。

特に仲が良かったは、私のおじいちゃん。

小さい頃はお散歩の帰りに
「先に家入って、ばあさんからおやつでも貰いー。わしゃ、あそこのじーさんとちょっくら将棋してくるけぇ」
と、お店の扉をガラッとよく開けていた。

今考えると真昼間の営業中のお店で、そんなことが許されるのかと疑問に思うが、そこは二人の仲でしか分からないことなのだろう。

私が一人で家に帰ってくると、おばあちゃんは言った。
「まぁ、おじいさんはまたお隣さんにお邪魔して!ご迷惑になって無ければ良いのだけど」
そう言葉にしつつも、おばあちゃんは決まって頬に手を当て、クスっと笑うのだった。

私はそんな祖父母が大好きだった。

しかし時の流れは残酷で、今現在祖父母はどちらも施設に入所している。

数年前から二人とも認知症の症状が出て来ており、日中二人にしておくのは不安が大きかった。

そのため介護保険もこの際新規で申請し、安否確認をしてもらえる施設に入所したのだ。

金銭面的には、現在なんとか両親の遺産や祖父母の協力もあり支払いは滞りなく出来ているが、正直お金に余裕がある訳では無かった。

大学まで行かせてもらったのだ。きちんと働き、育てて貰った恩返しがしたい……。
それが今、私にとっての目標だった。

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私が働き始めたのは、街中にあるごく普通の会社。
文房具会社の事務員として雇ってもらえた。

この就職活動が、私にとってかなりハードだった。

私は小さい頃から将来の夢というものは特になかった。
だから学校で「将来の夢」という作文を提出しなくてはならない時は、困りはてたものだった。

「どうしよう」
と考えたあげく私はパン屋さんや花屋さんなど、その都度違うお仕事について原稿用紙一杯に架空の夢を綴っていたように思う。

流石に大学生になってからは、自分の向いている仕事内容に焦点をあてて就職活動を行ったが、どの履歴書も「内容が薄い」と添削された。

自分の主張が無いのが仇となり、私の就職活動は険しい道のりとなった。

周りの友人たちは、どんどん内定を決めていく。その都度焦りが募る私だったが、なんとか現在の職場から内定を頂き晴れて新入社員として働くことが叶ったのだった。

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出勤日の朝、玄関を出ると水バケツを持った梶本さんがいた。

昔よりだいぶ腰が曲がってきたように思う。

梶本さんはいつも早起きで、お店の前の履き掃除は毎日欠かさずやっている。
でも今日持っているのは、いつもの箒ではなく水バケツ。

何をするのかなと見ていると、一旦奥の庭に入りそこから柄杓を持ってきて、打ち水を始めた。

確かに。こんな暑い日には、打ち水の方が良いのかもしれない。
ボーっと私が突っ立っていると梶本さんが
「おはよう」
と声をかけてくれた。

我に返り、私はすかさず「おはようございます」と頭を下げた。

「今日は打ち水なんですね」
「朝から暑いからのう。やることを増やしおって、困ったもんじゃ」

そう言う梶本さんの言葉を聞いて、私は何げなく失礼なことを言ってしまったことに気が付いた。

汚れが残ったままの道路に水をかけても砂埃が固まってしまうだけで、余計に汚くなってしまう。

つまり、いつもの掃き掃除はとうに終わらせている……。

よく考えれば分かることだが、咄嗟に「今日は楽ですね」とでも言いたげな言い方をしてしまったことを悔やんだ。

私が気まずく感じていると、そんな様子を察してか梶本さんの方から話題を変えてくれた。

「お前んとこのじいさんは元気かえ」
そう言いながらも顔は上げず、打ち水に集中されている。

「ええ、元気ですよ」
私は気を取り直して返事をした。

「あいつ最近全然顔見んよーになったな。まだ将棋の結着はついとらんのに!」

そういえば。梶本さんにはまだ、あのことを伝えることが出来ていなかった。

「おじいちゃんとおばあちゃん、施設に入ったんです。お伝えするのが遅くなり、ごめんなさい」

梶本さんは暫く目を見開いて、言葉を失っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。

「あぁ、そうか。まぁ、奥さんも一緒に行ったんなら安心じゃな。そうか……」

「もうそんな歳か」と思いを巡らしているようだった。

その後、梶本さんからこのことについて聞かれることは一度もなかった。

そうこうしているうちに、そろそろ家を出ないと遅刻してしまう時間になっていた。

急いで梶本さんに挨拶をする。

「すみません、そろそろ行ってきます」
「おう!」

私は笑顔で振り返った。梶本さんらしい短い相槌。背中を押されるような、そんな温かさを感じた。

坂の上から海を眺めながら、タッタッタッと歩いて会社に向かう。
坂を下りると、商店街に入り込む。
ここは、朝から活気づいている。

パン屋さんや、お花屋さん、喫茶店等、様々なお店が並んでいる。
最近はテイクアウトのみの、洒落たカフェなんかも出来ていた。

このアーケード内を通っていると、沢山の良い匂いに全身が包まれる。

美味しそうなパンの匂いや、コーヒーの香ばしい香りがなんとも言えない。

こんな所で朝ご飯を食べて出勤なんかできたら、最高なんだろうな。
そんなことを思いつつ、私はお店の前を足早に通過する。

自分にはきっと縁のないことだと、高を括っていたからだ。

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職場に到着。出勤時刻には余裕もあり、息も上がっていない。しかし私は、毎回疑問に思うことがある。

ここは山のてっぺんか何かですか……?と。

私の職場は酸素が薄い。
少なくとも、私にはそう感じる。

ここに入職して、約四ヵ月。
私は毎日登山でもしているような感覚だった。

職場に着けばあらゆる所で電話は鳴り、忙しない空気感が物凄い圧力を持って体全体を圧縮してくる。

コツコツと鳴るハイヒールの音や、隣にバンッと資料が置かれる音など、これら全てが私の鼓動を早め呼吸を浅くした。

こんな症状に違和感を抱きつつも、私は日々「おはようございます!」と平然を装い出勤するのだった。