私はその後、仕事を辞めた。
自分自身では無く、生きる場所をリセットすることに決めたのだ。
仕事の内容が、直接自身を苦しめていた訳ではない。
しかし、人との関わりが自らの心を脅かしていることは間違いなかった。
逃げるようで抵抗はあったが、
自分を大切にし、自身の人生歩むためには必要な決断だった。
私は、上司に退職届けを提出し、きちんとした手続きを踏んで職場を去った。
セイには
「えっ!辞めるって決めてからも、一ヶ月は仕事に行かなきゃいけないの⁉何その生き地獄!大丈夫なの?」
と心配されたが、やはり人への迷惑はどうしても考えてしまった。
「自分を大切にすることと、身勝手になることは違う」
そう自分に言い聞かせて、最後の日まで自分の仕事を全うした。
セイは最初の方こそ若干不服そうだったが、私の意志を尊重してくれてか最後まで見送り続けてくれた。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
仕事を辞めて最初の一ヶ月は、
久しぶりに人の目を気にすることなく過ごせ、気持ちは随分楽になっていた。
食事も朝・昼・晩と、三食きちんと喉を通るようになった。
このまま良い方向に向かうと思いきや、そう甘くは無かった。
三ヶ月が過ぎた頃、私の気持ちは塞ぎ込んでいた。
今まで好んで観ていたドラマやアニメに興味が持てなくなった。
好きなアーティストの音楽にも、殆ど触れることが無くなっていた。
とにかく何もやる気が起きない。
家の中のことは、出来る範囲でセイが助けてくれていた。
「サエ?なんか、気分転換にテレビでも観ない?」
セイにはそう声をかけられるが、私は全く乗り気にならなかった。
セイに気を遣ってもらっている。
申し訳ない。
そういった気持ちはあるのだが、どうしても体は動かなかった。
そんな私に対しても、セイは常に一定の距離感を保ってくれていた。
どんなに会話をしない時間が増えても、
セイは変わらず好きな漫画を読んだりして、自分の時間を過ごしていた。
この流されないスタンスが私にとっては有難く、心地の良い空間だった。
この時ドラマやアニメ、音楽などといったエンタメは、何故か私にとって心に影をもたらす存在となっていた。
人が作り出したものには、少なからず泥臭い人間味が宿る。
表現者が届けたい思いや感情は、映像や言葉、メロディなどを通して具現化される。
作品として「思い」が形を成した時、人の目に光が宿るが如く、その作品に息が吹き込まれる。
鼓動を始めた作品は、人々の心に問いかける。
この躍動感が人の心を震わせ、呼応するかのように様々な感情を呼び起こすのだ。
時には「笑い」を、時には「感動」を連れてくる。
普段人は、こういった作品の輝きを無難に受け流している。
しかし当時の私にとっては、その輝きがどうしても不快に感じてしまうのだった。
「笑い」も「感動」も何も要らない。
私は完全に拒絶していた。
一歩踏み込めば、洗濯機の中に放り込まれたがごとく、自分の心が掻き乱されるのが分かっていたからだ。
洗濯が終わると、大抵シワになった衣類が出てくる。
延ばすのに手間がかかり、時にはアイロンが必要な時もある。
それと同じで、心がよれた状態になったのを頑張って元に戻そうとすると、
その分気力がだいぶ削られるのだ。
恐らく、羨望や劣等感……そういった感情が、目にしようとする光を拒んでいた。
望まぬ感情と向き合う事が、どれだけ苦しいことか。
作品特有の人間味と、感情に働きかける躍動感は、
時に人の心を不安定にさせることがある。
調子の良し悪しで「常に」という訳ではなかったが、こういった現象は何度か繰り返された。
自分自身では無く、生きる場所をリセットすることに決めたのだ。
仕事の内容が、直接自身を苦しめていた訳ではない。
しかし、人との関わりが自らの心を脅かしていることは間違いなかった。
逃げるようで抵抗はあったが、
自分を大切にし、自身の人生歩むためには必要な決断だった。
私は、上司に退職届けを提出し、きちんとした手続きを踏んで職場を去った。
セイには
「えっ!辞めるって決めてからも、一ヶ月は仕事に行かなきゃいけないの⁉何その生き地獄!大丈夫なの?」
と心配されたが、やはり人への迷惑はどうしても考えてしまった。
「自分を大切にすることと、身勝手になることは違う」
そう自分に言い聞かせて、最後の日まで自分の仕事を全うした。
セイは最初の方こそ若干不服そうだったが、私の意志を尊重してくれてか最後まで見送り続けてくれた。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
仕事を辞めて最初の一ヶ月は、
久しぶりに人の目を気にすることなく過ごせ、気持ちは随分楽になっていた。
食事も朝・昼・晩と、三食きちんと喉を通るようになった。
このまま良い方向に向かうと思いきや、そう甘くは無かった。
三ヶ月が過ぎた頃、私の気持ちは塞ぎ込んでいた。
今まで好んで観ていたドラマやアニメに興味が持てなくなった。
好きなアーティストの音楽にも、殆ど触れることが無くなっていた。
とにかく何もやる気が起きない。
家の中のことは、出来る範囲でセイが助けてくれていた。
「サエ?なんか、気分転換にテレビでも観ない?」
セイにはそう声をかけられるが、私は全く乗り気にならなかった。
セイに気を遣ってもらっている。
申し訳ない。
そういった気持ちはあるのだが、どうしても体は動かなかった。
そんな私に対しても、セイは常に一定の距離感を保ってくれていた。
どんなに会話をしない時間が増えても、
セイは変わらず好きな漫画を読んだりして、自分の時間を過ごしていた。
この流されないスタンスが私にとっては有難く、心地の良い空間だった。
この時ドラマやアニメ、音楽などといったエンタメは、何故か私にとって心に影をもたらす存在となっていた。
人が作り出したものには、少なからず泥臭い人間味が宿る。
表現者が届けたい思いや感情は、映像や言葉、メロディなどを通して具現化される。
作品として「思い」が形を成した時、人の目に光が宿るが如く、その作品に息が吹き込まれる。
鼓動を始めた作品は、人々の心に問いかける。
この躍動感が人の心を震わせ、呼応するかのように様々な感情を呼び起こすのだ。
時には「笑い」を、時には「感動」を連れてくる。
普段人は、こういった作品の輝きを無難に受け流している。
しかし当時の私にとっては、その輝きがどうしても不快に感じてしまうのだった。
「笑い」も「感動」も何も要らない。
私は完全に拒絶していた。
一歩踏み込めば、洗濯機の中に放り込まれたがごとく、自分の心が掻き乱されるのが分かっていたからだ。
洗濯が終わると、大抵シワになった衣類が出てくる。
延ばすのに手間がかかり、時にはアイロンが必要な時もある。
それと同じで、心がよれた状態になったのを頑張って元に戻そうとすると、
その分気力がだいぶ削られるのだ。
恐らく、羨望や劣等感……そういった感情が、目にしようとする光を拒んでいた。
望まぬ感情と向き合う事が、どれだけ苦しいことか。
作品特有の人間味と、感情に働きかける躍動感は、
時に人の心を不安定にさせることがある。
調子の良し悪しで「常に」という訳ではなかったが、こういった現象は何度か繰り返された。