「ここから朝日を見ると、幸せになれるんだって」
私はポツリと呟く。

昔おばあちゃんが言っていた言葉を思い出していた。

ここの海から見える朝日はとても綺麗で、
見た人には幸せが訪れるという噂があるらしい。

幼い頃、
おばあちゃんに手を引かれてこの海岸沿いを散歩していた時、教えてくれた。

――「サエちゃん、良い事を教えてあげよう。ここで朝日をみるとね、幸せになれるんだよ。サエちゃんが大人になったら、いつか見に行っておいで」
「おばあちゃん、朝日が昇るのって何時くらいなのー?」
「さぁ、季節にもよるけど、朝の五時くらいだろうねぇ」
「えー!サエチャ、そんな早くに起きれないよ!サエチャが朝起きるのは、いつも七時だよ」
「そぉね、いつもサエちゃんは同じ時間に起きれて偉いね。だから、大人になったら試してごらん?もしかしたら、一番辛い時に助けてくれるかもしれないよ」

「え?朝日?何それ、ジンクス?」

「昔おばあちゃんが教えてくれたの。せっかくだから見て帰っても良い?」

「うん、私は全然構わないよ。サエのおばあちゃんは、見たことがあるのかな?ていうか、朝日が昇るのって今から何時間後?」

「んー、今が三時だから、あと二時間後くらいじゃないかな?」

「りょーかい!」

それまで横にでもなっとくか、
といった形でセイはゴロンとゴツゴツした岩肌に寝そべった。

私もセイのおかげでだいぶ心が軽くなり、肩の力は抜けていた。

気を抜いたら寝過ごしてしまいそうだ。

そんなことを考えていると、急にセイが「あっ!」と声を上げる。

「どうしたの?」

「サエの足、血が出てる」

この防波堤はやや古く、きちんと舗装がされていなかった。

そこを私は、ストッキングのみで歩いていたため、足の裏の一ヶ所が切れて血が滲んでいた。

当の本人は足の痛みなど、セイに指摘されるまで全く気付いていなかった。

「あぁ、こんなの大したこと無いよ。ありがとね」
私は笑いながら言った。

「じゃあ、そんなサエに、とっておきの魔法をかけてあげましょー!」

セイは指をクルクルまわしながら、
「任せとけ」と言わんばかりに自信満々である。

「魔法?何それ。もしかして、子供が怪我した時とかにするやつ?いいって、恥ずかしいなぁ」

「まぁ、まぁ。任せなさいって!ちちんぷいぷい……」

「やっぱりそれだ」と、私は聞いたことのあるフレーズに呆れながらも、
セイがノリノリで楽しんでいるためその様子を見守っていた。

「痛いの痛いの、パクパクパク!」

「えっ」

「はい!これでもう大丈夫!」
セイは満足げに鼻歌を歌っていた。

「いや、待って!」

「えっ、何?」
セイは振り返る。

「さっきの……って、怪我をした時にかけるおまじないだよね?」

「そうだよ!サエも、子供の頃には経験があるでしょ!」

「うん、あるからこそ疑問に思ってるんだけど……。普通は『痛いの痛いの、飛んでけー!』じゃないの?あと、その手……」

変わっているのは、フレーズだけでは無かったのだ。

おまじないをかけるセイの手は、何故かキツネの形を作っていた。

セイは、一瞬ポカンとしていた。
そして、急にお腹を抱えて笑い出した。

「アハハ、ごめんごめん!そっか、一般的にはそっちが有名なのか!」

「有名というか、それしか知らないんだけど」
と私は心の中でツッコミつつ、説明を求めた。

「私の家では、これが主流だったのよ。最初はね、サエが言うような普通のおまじないをしてくれていたの。でも、小さい時にそのおまじないを聞いた私は、『ねぇ、お母さん。この痛いの飛んで行ったら、誰かに当たっちゃう?別の子、痛い痛いになる?だったら、飛ばさなくて大丈夫』って言ったみたいで」

本人はケラケラと笑っている。

私は、あまりの可愛いエピソードに胸を打たれていた。

セイの幼少期は想像したことが無かったが、
エピソードに挙がった発言にはセイらしさが滲み出ていた。

「それでね、しょうがないから『痛いのは、お母さんが食べちゃうから大丈夫よ!ほら、痛いの痛いのパクパクパク!』って作り変えてくれた訳!母曰く、キツネを手で作ったのは、『こうした方が、食べてる感じが出るでしょ!』ってことらしい。それから私の家では、これが主流になっちゃったの」

私は心温まるエピソードに、目頭が熱くなっていた。

「何涙ぐんでんの⁉」

「いや、素敵なエピソード過ぎて……」

もう、と呆れながらセイは笑っている。

「ほら!気を抜いてると、朝日が昇り始めちゃうよ!」

もう既に時刻は、明け方の五時を示していた。

朝によく聞く、鳥のさえずりも聞こえ始めている。

私たちが言い合っていると、
海を囲う山の後ろから、じんわりと空が赤く染まり始めた。

暗くて見えていなかった遠くの山々や雲の動きが、段々とオレンジの明かりに照らされて露わになる。

私は、固唾を呑んで見つめていた。

暫くして、一瞬光が強くなったかと思うと、大きな光の塊が山の端に沿って現れた。

「朝日だ……」
そうセイの口から零れる。

私は何も言わず、光が強くなるのをジッと見つめていた。

五分も経たずして、朝日はじわりじわりと全貌を見せ始めた。

眩しさを感じる程の強い光だが、温かく包容力に満ちた光だった。

赤やオレンジ、黄色などの入り混じった色合いが辺り一帯に広がる。

「綺麗だね」
セイは前を向いたまま呟く。

「うん。本当に綺麗」
私も前を向いたまま、セイの意見に同意した。

それから何分経ったのだろうか。

次第に、朝日がだいぶ高いところまで昇った。
今まで、逆光で黒く染まっていた海や山も色づき始める。
同時に水面も、輝きを見せ始めた。
細かく漂う波に光が反射し、キラキラと輝いていた。

私は、息をするのも忘れて、この景色を目に焼き付けていた。

セイはと言うと、目を潤ませながら口を強く結んでいる。

感動して泣くのを、グッと堪えているようだった。

「幸せになれるかな……」

私は綺麗な朝日を見つめたままポツリと呟く。

セイはハッキリとした口調で言った。

「それは、これからの私たち次第じゃない?でも確実にこの朝日は、勇気をくれる」

お互いに視線を交わす。

「そうだね。これは願掛け、願掛け!でも本当に見れてよかった。セイ、付き合ってくれてありがとう」

「私も見れて良かった」
とセイは言った。

ここまでは良かったのだが、
セイは最後に余計なひと言を付け加えた。

「サエのおかげだね」

「セイさん、それはなんか、複雑です……」

そう言って二人で笑うのだった。

その後、光はどんどん膨張し、この街に朝を運んできた。

「さっ!帰ろうか!」
私はゆっくりと立ち上がり、スカートの汚れを払いながら言う。

「うん。一緒に帰ろう」
そう言いながら、セイもヨッと立ち上がって、日の光を浴びながら大きく背伸びをした。

「そのままで大丈夫?足……」

「大丈夫!大丈夫!でもちょっと恥ずかしいから、パパッと帰っちゃおうね」

私は苦笑いしながら、
「早く!早く!」とセイを急かした。