拓海は中庭のベンチに腰掛けていた。いつかの昼休みに勉強を手伝う約束をした、あの大きな木の木陰にあるベンチだ。
 頬に汗が伝うのを感じながら、一歩ずつ彼の元へと向かっていく。聞こえるのは、校舎で笑う生徒たちの声と、じわじわ響く蝉の声。その二つがあるのに、中庭なぜだかとても静かに感じられた。
 彼の正面までやってきた由紀は、意を決して口を開く。
「拓海くん」
「――っ、由紀」
 魂が抜けたようにぼーっとしていた彼は、由紀に気づいて慌ててベンチを立とうとする。
「逃げないで」
「…………」
 拓海は諦めたように座り直し、歯をかみしめてうつむいた。
 由紀はセピスカが立ち上がったままのスマホを彼に差し出す。
「どうしてゲーマーじゃないのに、セピスカはこんなにプレイしてたの?」
「…………」
 拓海は黙ったまま、気まずそうに顔を逸らした。いつも太陽のような表情をしている彼とは思えないほど、その表情は弱々しい。
「僕、怒らないよ。ただ話を聞きたいだけなんだ」
「…………」
「拓海くんが一緒にいてくれたから、僕は今とっても楽しいんだ。そんな時間をくれた君のことを、僕は分かりたい」
「…………」
「どうしても、話せない?」
 すると拓海はうつむいたまま、小さく言葉を発した。
「……だって」
 直後に彼は、がばりとベンチから立ち上がる。
「だって引くだろ、由紀と話したくてやり込んだなんて言ったらさあ!!!!」
「ふえっっ!?」
 思いも寄らなかった言葉が飛び出し、由紀は変な声を上げてしまった。
 拓海は顔を真っ赤にしながら、キッとこちらを睨み付けてくる。
「ああそうだよ、気持ち悪いよなこんなの。けどずっと小さくてふわふわしてて目隠れ可愛いとかずっと思っててさあ。けどいつもゲームしてるしどうやって話しかけたらいいのかも分からないしでずっとずっと悩んでたんだよ。んでやってるゲームがセピスカって知ってやり始めてさ。けど中途半端な状態で声かけても逆に嫌われそうと思ったから攻略サイトと動画とSNS見まくって一ヶ月間ひたすらプレイしてようやくあの日に声かけて! なんかフレンドになれたしゲーム以外でも話せるようになったし素顔もめちゃくちゃ可愛いしアイス食べさせあいことかもできて最高に幸せ~とか思っちゃってさあ。なのに、なのに――」
「すすすす、ストーーーーップ!!!!」
 由紀は混乱しながら、突然早口で話し始めた拓海を止めた。
 恥ずかしさと混乱で、顔から火を噴きそうだった。なんだか一ヶ月でセピスカをやりこんだとかあり得ない話が聞こえてきたが、今はそれを気にしている余裕はない。
 互いに肩で息をつきながら、興奮しきった感情を鎮めていく。
「拓海くん、なんだか性格違くない?」
「いつもは取り繕ってたの。かっこ悪いだろ、こんなの」
 拓海は口をとがらせてそっぽを向いた。普段は余裕のあるイケメンの彼が、なんだか今は子供っぽい。
 由紀は深呼吸をして、改めて拓海の言葉を頭の中で整理する。
「ええっと、つまり拓海くんがセピスカをやり込んでいたのは、僕のため……?」
「そうだよ」
 彼は相変わらずそっぽを向いて、ぶっきらぼうに答える。
「なんで……」
「好きだから」
「えっ……」
「好きだからだよ。由紀のことが、恋愛的な意味で」
 拓海は身をかがめて、まっすぐに由紀を見つめてきた。
 長い前髪で彼から瞳の場所は分からないはずなのに、何故だか目が合っているような気さえする。
 突然の告白に、由紀は何を言っていいか分からなかった。それでもなんとか声を絞り出し、彼に向かって問いかける。
「いつから……?」
「受験の時、シャーペンを拾ってくれた時から」
「そ、そんなに前?」
 由紀が覚えていなかった受験の時の拾い物。
 そのときから彼が、自分を認識してくれていたなんて。
「由紀がいなかったら、多分俺はこの学校に落ちてた。前は恩人って言ったけど、ほんとは天使みたいに思っててさ。それからずっと、由紀のことが気になって。一緒に受かってればいいなと思ってたし、同じクラスになれて嬉しかったし、どうやって話しかけたらいいか悩んだりした。ずっとずっと、入学前から由紀のことで頭がいっぱいだったんだよ」
「…………」
 拓海の想いを目の当たりにして、今度こそ言葉を失ってしまう。
 昔から恋愛というものには無縁だった。というか考えたこともない。
 そもそも家族以外の他の誰かが自分を好きになってくれるとは、思いもしていなかった。なにせ自分は中学の頃まではからかわれて、高校に入ってからは無視され続けていた陰キャなのだから。
 それなのに今、目の前で世界遺産レベルの高身長イケメン陽キャが、自分に向かって想いを告白している。あり得ない光景すぎて、頭の理解が追いつかなかった。
「ごめん、急に困るよな。こんなこと言われても」
 黙ったままの由紀を見て、拓海は顔に影を落とした。踵を返し、再びどこかへ去ろうとする。慌てて由紀は、彼のシャツの端をつかんで引き留めた。
「ま、待って!」
 確かに驚きもしたし、混乱もした。けれども、嫌な気持ちは一つもない。
 だって拓海は、ゲームばかりだった自分を現実世界に導いて、コンプレックスさえ受け入れてくれた。入学前のことはやっぱり思い出せないけれど、それでも彼はすでに由紀にとって特別な人になっていた。そんな人から思いを告げられて、嬉しくないはずがなかった。
 震えるようなこの鼓動が恋なのかなんて、由紀にはまだ分からない。けれどもし、今の告白に返事をするなら――
「まずはお友達からでお願いします!」
 蝉に負けないくらい張り上げた声に、拓海は目を丸くする。
 そうしてこの関係に、ようやく名前が付いたのだった。