実家から米が届いた。十キロ。ありあまりすぎる。
ミエの母曰く、どうせお菓子ばっかり作って料理なんてしないんでしょうが、おにぎりぐらいは握りなさい、とのこと。
失礼な。派遣社員時代はいつもお弁当だったし、今でも自炊はしている。たとえば、ケーキサクレとか。これは野菜を混ぜ込んで焼いたパウンドケーキだから、実質惣菜である。おいしくて野菜も取れているのだから、何も問題ないだろう。

「いやあ、だめでしょ」

黄昏さんは苦笑した。

「お米ばっかり食べてたら太っちゃうじゃないですか……」
「お菓子ばっかりでも同じだろうよ」

なけなしの反撃をするも、撃沈。
五キロに分けた米を運んでへとへとになったミエに、重ねて打撃が降り注ぐ。椅子に座り込んで机にぐったりと項垂れた。
黄昏さんはカウンター越しに水を渡した。一気に飲み干し、ふう、と息をつく。

「お米が出てくる絵本とか、ないですか?」

ああ、と合点がいったように黄昏さんの目が怪しく光る。わざわざこうして店まで運んできた理由に気づいた。

「お客さんに出して消化しようって魂胆だね」

ミエはうっと息がつまる。図星だった。

「でも、半分はまだ家にありますから」
「まだって」
「……だめでしょうか」

すんと項垂れる。いらないわけじゃない。多いのだ。もともと米食ではないミエにとって、三キロでも多いというのに。
黄昏さんは肩をすくめた。

「仕方ないなあ。でも、お母様がミエさんのために送ってくれたんだから、自分でも食べるんだよ」
「はいっ。わかってます!」
「ならよし」

微笑みに向かってミエはお辞儀をした。
米を使ったお菓子なんてあるのかと疑問に思ったが、探せばあるのだろう。あまり絵本に登場しているところは見ないが、米菓なんて名もあることだし。それにただの白米で食べるより、お菓子に変えたほうがミエにとっても食べやすい。食べ方が変わっただけで、摂取カロリーは変わらないのだが。

―――むしろお菓子にした方が増えるのでは……?

やっぱり米は、と気持ちが後ろ向きになりかけた時、勢いよく扉が開いた。振り向くとイダテンが立っている。

「太ってもミエはかわいらしいから問題ないぞ」
「出たな、過激派。庭掃除は終わったのかよ」

茶色い毛並みはよく見ると土で汚れている。手にはスコップが握られていた。汚れたままずんずん入ってきそうなので、慌ててミエが制止した。

「足元の土、払って!」
「俺としたことが。ちょっと待っててくれ」

小さな手のひらで足の裏や肩先についた泥を振り落とす。その様子を呆れたように黄昏さんは眺めていた。

「こいつ、僕の言うことは全く聞かないのに」
「俺は誰の指図も受けないのだ」
「ミエさんの言うことはすぐに聞いたくせに」
「ミエは、いいのだ」
「でも、庭掃除は黄昏さんが頼んだんですよね?」

なんだか仲のよくない様子を察したミエが間に入る。黄昏さんはカウンターに頬杖をついて鼻を鳴らした。

「庭が汚れてるとミエさんが悲しむからって言ってね」

それからちょっと眉を下げる。

「ごめんね。だしに使っちゃって」
「いいえ。いいんです。お庭がきれいな方が心地いいですから」
「ミエに喜んでもらえるのなら本望」

イダテンは胸を張った。呆れ半分のため息が黄昏さんの口から漏れる。

「お庭っていつもきれいでしたよね?そんなに土まみれになるほどだった?」

いつ見ても同じ長さに揃えられた緑の草地。ヒマワリはもちろん、ユリやペチュニアなんかも咲いている。ガーデニングのように人工的な配列ではないが、雑多な印象はない。むしろ自然な美しさに彩られていて、これから来る秋や冬の到来を楽しみにさせる。

「茶葉とかはこれまで通りネズミ配達便でいいけど、ハーブは庭で作れるよね」
「はい、もちろん。……もしかして、私のために?」

黄昏さんはこくりと頷く。

「何がいいかとか僕はわからないから、ミエさんの好きにしていいよ。とりあえず場所だけは作っておこうと思って」
「本当?嬉しいです、ありがとうございます」

黄昏さんは微笑んだ。心なしかいつもよりも気恥ずかしそうにしている。あまり見ない表情に、ミエの喜ぶ心にも同じような感情が芽生えた。
その二人を、イダテンはきょとんとした目で見つめる。

「まだ植える必要はなかったのか?そのつもりだったから、ミントを植えてしまったが……」
「え、ミント?」

まるで思いがけない失言を耳にしたかのように、黄昏さんは訊き返した。

「ミントを知らんのか?あのスースーする爽やかな香りの」
「知ってるっつーの。まさかならした場所全部に植えたの?」
「ハーブティーといえば、ミントではないのか?」
「……お前、今度勝手なことしたら追い出してやるからな」

そう言うと黄昏さんはカウンターを出ていき、外に向かった。去り際にイダテンの手からスコップを奪う。何をする気か、とミエとイダテンは目を見合わせる。
ややあって、黄昏さんは鉢植えを一鉢だけ手に戻って来た。中にはミントがちょこんと植わっている。

「おお、俺の植えたミント……まさか刈り取ったのか?」
「ミントはこれくらいでいいんだ。無尽蔵に庭に植えてみろ。今に店の周りがミントだらけになるそ」
「いいじゃないか、すがすがしい香りに包まれるんだから」
「限度があるわ」

黄昏さんはその鉢植えを丸窓のでっぱりに置いた。

「水を上げればここでも十分。毎日摘んでもすぐまた生えるからね」

最後はミエに向かって言った。
昔ミントで痛い目にでもあったのだろうか。聞きたいが聞かないほうがいい気がする。というか聞いても答えてくれないだろう。はじめて見せた人間らしい黄昏さんの様子に、ミエは仄かに嬉しさを滲ませた苦笑を浮かべ頷いた。

「あら、いいにおい」

鈴のような声が聞こえた。
あっと思いその声のした方向を探る。

少女がいた。丸窓に置かれている鉢植えを、身を屈めてじっくりと見つめる後ろ姿。綺麗にまっすぐ伸びた金色の髪の毛が肩に垂れ、はらりと落ちる間際に振り向く。

その美しさに、ミエは息をのんだ。

透明感のある肌。毛穴なんかこれっぽっちもなく、生まれて一度もニキビに悩まされたことのなさそうな白い色をしている。睫毛が長くふさふさとしている。縁どられる瞳の色は、薄い茶色かあるいは琥珀のよう。口元には形容しがたい甘さを秘めている。誰にでも微笑むでもない、ただ一人のためだけに与えられる唇。その色は仄かな……。
仄かな、灰色めいて見えた。

「どなたですか……?」

おずおずとミエが訊ねる。すると、少女は美しい眉の間に深い皺を刻ませた。

「お客様に決まっているじゃないの」

あんた馬鹿?と言ってきそうな高慢な雰囲気。腰に手を当ててミエを覗き込むように前のめりになる。反射的にミエの背中がややのけぞった。

―――というか、お客様?

一体いつ入ってきたのだろう。全然気づかなかった。ノックもしなかったし、最近備えつけた頭上のベルは黄昏さんが戻ってきた時に一度鳴ったきり。もしかしてその時に一緒に入ったのだろうか。それであっても、気づくはず。

「気づいた?」

黄昏さんが小声でミエに訊ねる。やはり同じ気持ちだったのか。ミエは首を横に振った。
店内を物色する少女。本棚の前に立ち止まって、下のほうにある本を見ようと屈む。その拍子にふうわりと白いワンピースが舞う姿は、本当にかわいらしい。
かわいいなあ、なんてミエがぼんやり眺めている間、黄昏さんは考え込むように少女の姿を目で追っている。それからイダテンを睨んだ。

「役に立たないなあ、お前」
「何だと?」
「さらっと入って来たのに気づかないんだもんなあ、それでも用心棒なの?」

イダテンは舌打ちをして、少女を一瞥した。

「あれは、気づかん」

ということは、少女も特別な何かなのだろうか。前にタヌキさんたちが人間の姿に化けて入ってきたように、この女の子もまた。
ミエは今度はじっくりと観察する。どこかに穴がないか。あるいはどこかにそれを想起させる何かが隠れていないか。

―――いや、ないな。

諦めてミエは首を振った。かろうじて少女の気になる点をあげるとすれば、唇の色の悪さだが、灰色の唇を持つ生き物などミエは知らない。知らなければ当てようもない。
金糸のような髪の毛がなびき、くるりと振り向いた。冷たく怒ったような顔をしていた。