それから一週間ほどして、テレビではマンション建設中にボヤ騒ぎが起きて工事の中断を余儀なくされたというニュースが流れた。火元を確認し、安全が取れ次第再開するとのこと。それはミエの住む町から少し離れた住宅街の空き地だった。
もとはもっと大きな雑木林だったらしいが、区画整理の折りに仮換地のままなぜか放置され残っていたらしい。どこかの事業が土地を買い上げ、このたびマンション建設の運びとなった。そこに住む生き物たちのことなど度外視して。

ブルーシートで覆われた様子がテレビで流れる。まるで事件現場のよう。実際、火を消そうとした従業員が何人か背中に火傷をしたらしい。

ミエには火事の原因が何であるか、察していた。

報道されないだけで、動物の死骸もあったのかもしれない。争いの果てに失った命。もしかしたらどこの工事現場にもあるのかもしれない。たとえあったとしても、大衆の目に触れずにそのまま埋められてしまうだけで。

気の乗らないまま、ミエは店へと向かう。
太陽の出ている間はまるで暖かな森であっても、夜になると姿を変える。森は基本、動物たちの居場所だからと黄昏さんは言っていた。
ミエが気づかないだけで、今も通る道のどこか遠くから動物たちに観察されているのかもしれない。住処を奪おうものなら、また襲い掛かろうと。
ふと、あの夜のことを思い出す。

―――あれはなんだったんだろう。

あの、四つの光るもの。目、のようだった。ただ小さすぎて鉱物が月明かりに反射しただけにも見える。
あの日以来ミエは夜遅くには帰らないようにしているし、どんな時間帯でも黄昏さんが一緒に歩いてくれていた。向こうは一人になっても平気らしい。たぶん、黄昏さんはミエとは違うからだろう。

「おはようございまーす……」

うつうつと扉を開くと、まずカウンター越しに立っている黄昏さんの微笑が出向かえてくれる。

「おはよう。元気ないねえ」
「そんなことないです」
「お客さんいるのに」

ミエははっと顔を上げた。
背中を向けていた双子が振り向き、ミエを見ている。無表情なまなざしのままで。それはあの時見た、四つの光とそっくりだった。

―――でもあの時見た輝きはもっとささやかな大きさだった。まるで……。

「……ネズミ」

ぽつりと呟き、慌てて口を閉じる。
双子は相変わらず何を考えているのかわからない生真面目な顔つきのまま、カウンターに向かうミエを目で追っている。赤と青のサロペットを着て、やや汚れたエプロン姿は一週間前と同じ。けれど、一か所違うところがあった。

「どうしたの、その靴の汚れ?」

まるで泥の中を飛び跳ねたかのような汚れ具合。ここ最近、雨は降らなかったのに。
もし汚れたまま店内を歩き回っていたら、後で掃除が大変だ。ミエはそれとなく双子の足元を確認した。もう渇いてぱりぱりしている。床も汚れてはいなかった。
こんな無感情な雰囲気でも、泥んこ遊びが好きなのだろうか。

「追いかけっこしてたの」

青い子が答えた。

「追いかけっこ?二人で?」

赤い子が首を振った。

「僕らは鬼さん。でも見失っちゃったの」
「見失った?」
「捕まえられなかったの」

蝶か何かでも追っていたのだろうか。確かに上ばかり向いて走り回っていたら、靴の汚れを気にしてはいられないかも。

「ふうん、そうなの。残念ね」
「今日は何作るの?」

赤い子に訊ねられ、ミエはちょっと考えた。
先日からメニューを考えていた。が、これが得意でこれを看板メニューにしたい、と思うようなものが一つも思い浮かばない。代わりに、ある考えがずっと頭にあった。

―――でも、突拍子もないしなあ。

言うか言うまいか悩んでいると、黄昏さんと目が合った。ミエの瞳に映る躊躇いに気がついたのか、黄昏さんがこくりと頷く。言葉はなくとも、それだけでミエは背中を押されて気持ちになった。

「実はあらかじめメニューを用意するんじゃなくて、リクエストにこたえる形で作りたいなって思ってて。例えばこの絵本に出てくるお菓子が食べたいとか。せっかくこんなに本があるんだし、再現出来たら嬉しいなって。ああでも、私が知らない料理だと困るし、やっぱり難しいかな」
「いいんじゃない?」
「やっぱりそうだよね。……えっ」

ミエは驚いて訊き返す。

「もしわからなくて失敗したら……」
「また悪い方に考えてる。失敗したっていいじゃないか、ねえ」

黄昏さんは双子に目をやった。

「僕らは捕まえられなかったよ」
「でも別に気にしないよ」
「ほら」
「ほらって」

いいんだ、それでも。

やりたいと思ったことを素直に受け止めてくれるんだ。失敗してもいいって言ってくれるんだ。一会社員として働いていた時は、何をするでも正社員や上司の意見を求めないと決められなかったのに。失敗のないように冒険はできなかったのに。
ミエは胸の奥が熱くなる。感じたのは仄かな喜びだった。はじめて読む絵本を開く時の、あのわくわくした感覚に似ている。

「いい、かな」

おずおずと口に出す。もう答えはわかっていた。
黄昏さんは返事のかわりに微笑んで、一つ頷く。ぱっとミエの顔が明るくなった。

「ありがとうございます、黄昏さん」
「ミエさんのお店でもあるんだから。好きにしていいんだよ」
「で、何作るの?」

再び双子が問いかける。

「何がいい?」

ミエは訊ねた。

「うーんと……」

同時に悩む仕草を見せる双子。その背中越しに、お店の扉が開いた。ミエはその扉の向こうのお客様を出迎えた。

「いらっしゃいませ。……あっ」
「こんにちは」

やってきたのは、タヌキおじさんだった。大きな体の後ろにはウサギさんとキツネさんも。とっさにミエの表情が硬くなる。けれど三人はその緊張には気づかずに、双子の隣の空いている椅子に腰を下ろした。

「いやはや、とんだ大戦争だったなあ!」

開口一番、ウサギさんは笑った。思いがけず大きな声に、双子は自分の耳を塞ぐ。タヌキさんが肘でつついてたしなめると、ウサギさんは未だに表情に勝利の微笑を浮かべつつも黙った。ただ鼻だけがひくひくと主張を忘れない。
キツネさんが後を引き取る。キツネらしいほっそりした背筋を伸ばして、心持ちこの間よりも傷心からは脱しているように見えた。

「ウサギどんが火を熾して、人間どもがこしらえたゴミ屑を燃やしたんです。たばこの不始末だとお互いに罵り合っている人間どもを見るのは痛快でした」
「さっさと消せばいいものを。やつらは誰のせいなのかばっかり気にしておりました。そのうちどんどん燃え広がって、ウサギがつけた火よりも大きくなってしまいました」
「ようやく火を消そうって動いた時にはもう遅え。どんどん燃えて収集つかなくなって大わらわよ。そこで俺たちウサギは、やつらの背中に熱い石ころをぶん投げてやったのさ。あの時の人間どもの驚いた顔といったら!」

からからとウサギさんは笑った。
ミエは何も言えなかった。喜べばいいのか、それとも憤ればいいのか。あるいは悲しめばいいのかすらわからなかった。
この様子では、恐らくミエを襲った動物のことは知らないのだろう。そもそもあのクマに化けた何かの動物は、この三人の仲間なのか。人間とひとくくりに言ってもいろんな人種があるように、動物も様々いるはず。

何も言わないほうがいい。ちらりと黄昏さんを見ると、同じ意見だったようで口元に人差し指を押し当てた。
ものいう動物たちは続けた。

「人間がそちらに気を取られている隙にイタチくんを助けたんです」
「かわいそうに。檻に入れられておったのです。ですが私の実力をもってすれば、葉っぱ一枚で人間なんぞ楽に騙せます。木屑をイタチくんに見せかけ、助け出すことに成功いたしました」

胸を張ってタヌキは両手を腰に当てる。でんと突き出たお腹がさらに前に出て、カウンターを押す勢い。備えつけでなかったら押し負けていただろう。実際にはタヌキさんの椅子が後ろに引き下がっただけだったが。

「そのイタチはどうしてるの」

黄昏さんが訊ねた。

「ちょっと遅れますが、時期にここに来ます。実は今日は、お別れの挨拶に来ました」
「お別れ?」

目を丸くしてミエは訊き返した。
タヌキさんが頷く。